三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック松戸教会

2011年09月17日 | 千葉のカトリック教会
カトリック松戸教会(教会堂名:大天使ミカエル)
創立:1950年 ◇ 住所:千葉県松戸市松戸1126

JR常磐線の松戸駅で降りる。ここはまた、新京成線の乗り換え駅となっている。下り線に乗って、津田沼に近い北習志野駅で下車すると、そこは私の故郷・習志野台団地の入口である。あの頃、口さがない団地っ子は、自分たちの最寄り駅を「汚らしいの!(北習志野)」と揶揄したものだ。こんな土臭い駄洒落とともに、私は新京成沿線の風景を懐かしく思い出す。習志野原に広がる団地と梨畑、幼稚園の遠足で訪れた滝不動、とても小さな鎌ヶ谷大仏などを。

新京成は、旧陸軍の演習線を再利用して創業。戦前は、その沿線に軍事施設が集まっていた。津田沼の鉄道連隊から、習志野演習場を進み、松戸飛行場、八柱演習場を経て、終点の松戸までを結んでいた。これから訪ねる松戸教会の近傍には、旧陸軍の工兵学校があった。当時は江戸川で架橋演習などを行なっていたという。戦後、その跡地は松戸中央公園となったが、いまも正門や歩哨舎などの遺構がある。新京成沿線は「軍郷」の影が色濃く漂う(注)

松戸教会に到着。ここは、松戸中央公園などがある相模台のふもとに近い。緩やかな勾配の向こうに、白亜の聖堂が夏の強い日差しを浴びている。 教会と併設幼稚園の名に戴かれている聖ミカエルとは、三大天使(ガブリエル、ラファエル)の一人。「天軍の頭」と呼ばれ、炎の剣を持つ図柄で描かれることが多い。今後、私の心が乱れそうになるときは、次の「大天使聖ミカエルに向かう祈」も唱えよう。「願わくは霊戦に当たりてわれらを助け、悪魔を退け給え」。


現聖堂献堂:1972年?
“大天使ミカエル みつかいの長よ とわに守りませ”

(注):私の小学校(1970年創立)は旧陸軍の演習場跡に建っている。時々、校庭で古い銃弾が見つかった。それ以来、私は「軍隊の存在」を意識するようになった。

◆主な参考文献など:
・「新京成電鉄沿線ガイド」 崙書房編(崙書房・1995年)
・「公教会祈祷文」 カトリック中央協議会編(中央出版社・1964年版)
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十字架称賛の祝日

2011年09月15日 | ミサ聖祭
十字架称賛の祝日を迎えたカトリック築地教会
(住所:東京都中央区明石町5-26)
“しるべさやけし 聖教(みのり)の十字架”

9月14日(水)、築地教会で十字架称賛の祝日ミサに与った。その前に、私は「芥川龍之介生誕の地」へ寄った。当時を偲ぶものはなく、説明板だけが聖路加国際病院の西南に建っている。芥川の生家は牛乳販売業を営み、その跡地は聖路加看護大学と推定されている。明石町界隈は外国人居留地だったから、龍之介の父が搾ったミルクは大いに歓迎されたことだろう。もしかすると、築地教会にいたパリ外国宣教会司祭も愛飲されていたのかもしれない。

2009年9月、私は日本近代文学館で特別展「芥川龍之介の書画」を見た。展示品の中に、死の枕元にあったという遺愛の聖書が含まれていた。 芥川は「クリストを求めずにはいられない」(続西方の人)と記しながら、なぜ自ら命を絶ったのか。ところで、もし芥川の冷徹な目があれば、現代日本はどのように映るだろう。原発再稼働を企む野田政権の支持率が半数を超えたことに、「一国民の九割強は一生良心を持たぬもの」(侏儒の言葉)と嘆くに違いない。

午前10時、ミサ開祭。オルガン伴奏はなく、すべて読誦。福音朗読は、イエスが「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」と言われた場面(ヨハネ3・13-17)。主任司祭の五十嵐秀和神父は、「御子によって世が救われること。十字架を通して、その永遠の真理に希望を持ちましょう」と話された。 聖堂の十字架を仰ぐとき、私も次の言葉を思い出そう。「我は我主イエズス・キリストの十字架に於ての外は、決して誇る事なかるべし」(ガラテヤ6・14)。


十字架を戴く聖路加国際病院旧本館
(住所:東京都中央区明石町10-1)

◆主な参考文献など:
「芭蕉雑記・西方の人 他七篇」 芥川竜之介著(岩波文庫・1991年)
「侏儒の言葉」 芥川竜之介著(岩波文庫・1989年)
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年間第24主日のミサ<後編>

2011年09月13日 | ミサ聖祭
年間第24主日を迎えたカトリック町田教会
(住所:東京都町田市中町3-2-1)

9月11日(日)、町田教会で年間第24主日のミサに与った。聖堂入口では、神学生みたいな人が「おはようございます」と挨拶し、ミサに来る人々を出迎えていた。後で分かったことだが、この「神学生みたいな人」が主任司祭の小池亮太神父だった(失礼致しました)。町田教会では日曜の午前中にミサが2回行われるが、私は「第二ミサ」に参列した。既に聖堂は満席に近く、小聖堂まで人が溢れている。私が町田教会のミサに与るのは、この日が初めてだった。

午前10時30分、ミサ開祭。石川和子シスターの「ミサ曲2」を歌う。前記事でも触れたが、私は「ミサ曲2」に惹かれていたので、未信者のくせに「主に向かって喜び歌おう」と張り切った。 ところが、「栄光の賛歌」の最中に異変が起きる。突然、私の周りの人々が間を空けて歌うのを止めてしまうのだ。いったい、これはどうしたことだろう。その日の週報にはこう記されていた。「第二ミサのみ、聖堂の中央通路より小聖堂側をA、オルガン側をBとし、分かれて歌います」。

福音朗読は、イエスのたとえ話「仲間を赦さない家来」(マタイ18・21-35)。主任司祭の小池神父は、「赦さないということは、人にとって大切な絆を破棄してしまうことです」と話された。「神は人を赦し続け、私たちとつながることを求めています。その絆は決して断ち切られることがありません」。1597年、イエスに倣って殉教した聖パウロ三木は、十字架上で太閤秀吉の蛮行を赦した。日常のつまらぬ出来事に憤っている私に、そこまで赦すことができるだろうか。


カトリック町田教会小聖堂にて
<孝行と労働の模範をお示しになる少年イエス>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210)、入祭:典礼聖歌76「神よあなたのことばは」、奉納:典礼聖歌42「神のおきてを喜び」、拝領:典礼聖歌6「あなたのいぶきをうけて」、閉祭:典礼聖歌405「ひとつになろう」。
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年間第24主日のミサ<前編>

2011年09月11日 | ミサ聖祭
年間第24主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

東日本大震災の発生から6ヶ月、半年の節目を迎えた。死者は1万5千人を超え、今なお4千人もの人々が行方不明であり、8万人以上が避難生活を強いられている。そして、放射性物質の飛散は止まらない。きょうはまた、「9・11同時多発テロ」から10年が経過した日でもある。当時、日本のマスコミは「米国の正義」を叫ぶ小泉政権に迎合したが、その轍は今回の大震災でも繰り返された。「国策」に従い、偽りの「大本営発表」を垂れ流していたのだから。

9月10日(土)、八王子教会で年間第24主日のミサに与った。先週に続き、土曜日夕方の主日は「子どもとともにささげるミサ」である。私にとって初めての主日ミサも、この式次第によるものであった。また、その日は石川和子シスター作曲の「ミサ曲2」を初めて聴いた。当時、私は高田三郎氏の節回しに食傷気味となっていたので、「ミサ曲2」の気高い調べに強く惹かれた。まさに「聖母の慈しみに包まれるような」「天使が舞い降りてくるような」思いが湧いた。

午後4時、ミサ開祭。教会学校の子どもたちは、この日も「特等席」に座っている。福音朗読は、イエスのたとえ話「仲間を赦さない家来」(マタイ18・21-35)。主任司祭の稲川圭三神父は、「私たちの1万タラントン(約16万年分の給料)の借金に相当する罪を、神様は帳消しにして赦されています」と話された。「どんな人にも神様が共におられることを認めたとき、私たちは心から兄弟を赦すことができます」。 ああ10年前、ブッシュ前大統領が赦すことを世界に示せば・・・。


カトリック八王子教会の薔薇窓
<2階の楽廊から見あげる>

◆この日のミサ中の主な歌:(先週と同一
ミサ曲2(典礼聖歌207-210。感謝の賛歌のみ上村幸一郎詩・曲)、入祭:子供の歌「イエスさまがいちばん」、奉納:子供の歌「五つのパン」、拝領:子供の歌「神様のぬくもりのしるし」、閉祭:子供の歌「こころをつないで」。
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カトリック築地教会

2011年09月09日 | 東京のカトリック教会
カトリック築地教会(教会堂名:聖ヨゼフ)
創立:1874年 ◇ 住所:東京都中央区明石町5-26

東京メトロ日比谷線の築地駅で降りる。地上に出ると、聖路加国際病院の重厚な旧本館(1933年竣工)が聳えている。「米国聖公会の宣教医師トイスラーが創設した」ことよりも、現在は「テレビでおなじみの日野原重明先生がいる」病院として知られている。旧本館内の聖ルカ礼拝堂は厳かな雰囲気に満たされ、一見の価値がある。毎週日曜日には「聖餐式」が行われているという。 なお、病院の敷地内にはトイスラー記念館(1933年築の旧宣教師館)もある。

聖路加国際病院前の小さな広場に、「蘭学事始の地」の碑が建っている。ここは中津藩下屋敷跡であり、前野良沢、杉田玄白らが「解体新書」を訳出した場所だ。その隣りに我が「母校」発祥の碑もあるが、まあそんなことはどうでもよい。かつて明石町界隈は外国人居留地でもあったから、暁星学園、明治学院、立教学院など、多くのミッション・スクール発祥の地となっている。そして、「殊にカトリック教を愛してゐた」という芥川龍之介もこの地で生まれた。

築地教会に着いた。古い正門前の歩道に、「暁星学園発祥の地」の記念碑がある。1888年に創立された暁星学園は、カトリック系男子校の名門。岩下壮一、戸塚文卿両神父の母校だ。聖書にかたどられた碑には、「あなたがたは地の塩、世の光」と刻まれている。教会内に入ると、ギリシア神殿風の荘厳な聖堂が目を引く。1920年に司教座が関口に移るまで、ここが「東京大司教区の中心」であった。いまは静寂に包まれているが、歴史の重さを感じる場所だ。


現聖堂献堂:1927年
<都選定歴史的建造物・中央区民有形文化財指定>

◆主な参考文献など:
・「芭蕉雑記・西方の人 他七篇」 芥川竜之介著(岩波文庫・1991年)
・「この人を見よ 芥川龍之介と聖書」 関口安義著(小沢書店・1995年)
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