エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

高麗家住宅

2011年09月26日 | 日記
高麗神社の裏手に、高麗家(こまけ)の住宅が残されている。
誰でもが見学できるのである。



高麗神社の敷地に隣接している。
高麗氏は、高麗神社の御祭神・高麗王若光(こまのこきしじやっこう)の子孫である。

現在の当主は若光から数えて60代にあたるのであり、現在は高麗神社の宮司を務めている・・・と社務所発行の二枚折りのパンフレットに記載されている。
この家は、国指定重要文化財である。



建築年代は、慶長年間(1596~1615)。
建築様式は古く、17世紀のものであるとされているのである。



満月は過ぎている時期であったけれど、月見の団子とススキが供えてあった。



なんとも言いようのない佇(たたず)まいである。
こうした雰囲気は、見る者を時代の過去へと誘う。



天井を見上げて寝転がった王家の一族が、確かにここに足跡を残しているのである
不思議な魔力である。
まるでタイムマシンに乗ったようである。

この場所には光よりも早い人の情念が充満している。
一瞬にして人を過去に引き戻す。



この家の裏山には、さらに庵が結んであったに違いなく、山門が一つあった。



幽に栖む門とある。
王が日常に倦んだ時に逃れた場所なのだろうか。

戦に敗れ、倭の国へと逃れた望郷の念があったのであろうか。
情念の積み重ねの上に成り立った門の名前である。



十月桜が数輪咲いていた。
そろそろ緋寒桜が花開く候である。



桜の幹はいまだ引き締まってはいないけれど、花が良く似合うのである。
高句麗の王家の人々もこの桜を見たのだろうか・・・。






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 荒野人

渡来系の人々の精神的拠り所・・・高麗神社

2011年09月25日 | 日記
渡来系の人々によって、古代日本の文化が育まれた。
この事実は揺るがない現実である。

そのシンボルが日高市にある高麗神社である。
この神社の宮司は初代から、渡来した王族の直系が勤めているのである。



これは神社の駐車場に建っている将軍標(ジャングンピョ)である。
すでに韓国の文化をイメージさせるアプローチである。

この将軍標は西武池袋線の高麗駅の広場にも建てられている。
高麗駅の将軍標は何度か再建されており、初めて立てられたのは高麗駅の方が早いのである。
因みに、高麗駅前のものは木製である。



鳥居である。
正しく、ここからが高麗神社の境内であって結界であることを知らしめている。

ここは、埼玉県内の「パワースポット」の一つであるともされている。

この鳥居をくぐって、身を清めるのである。
「みすぎ」を行い、敬虔な気持ちになっていく。



厳かに本殿に向かう参道である。



途中、山に分け入る枝道があって境内の懐の深さが感じられる。



参道には杉が並木をなしている。
それほど古い並木であるとは思えないけれど、その杉を植えた人々の名前が歴史を思わせるのである。

曰く、濱口雄幸、若槻禮次郎、斎藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが木札に名を残している。
これらの名前は全員が総理大臣となっていることもあり、高麗神社は「出世明神」と崇められているのである。



668年唐・新羅に滅ぼされた高句麗からの帰化人を移し置いたもので、703年には高句麗王族とされる高麗若光に朝廷から王(こきし)姓が下賜されている。
高麗神社はこの高麗郡の郡司・高麗若光を祭るのである。
近くに、この高麗家の菩提寺もある。
因みに、神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤めていたのであった。

高麗神社、正に渡来系の歴史が脈打っている場所である。
参考までに記載しておくけれど、西日本及び関東地域には高麗神社は数多く点在している。
その際「巨摩神社」と表記されている場合もあるのである。

わが八ヶ岳の麓は、「北巨摩郡」であるけれど「高麗神社」が鎮座している。



境内で猫が一匹、エクササイズをしていた。
変な猫である。

だがしかし、面白い猫である。




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 荒野人

巾着田の彼岸花は三分咲き

2011年09月24日 | 
埼玉県日高市にある巾着田は彼岸花の名所である。
というより、名所に育て上げたというべきか・・・。

22日現在3分咲きである。



15号台風の爪跡である。
木が倒れて遊歩道を塞いでいる。
この場所は、比較的早く花が咲く川沿いであるけれど、花が少ない。

巾着田は早咲き地点、遅咲き地点、早咲きよりも早い川沿い地域があって、結構長い間花を楽しめるのである。



川沿いの開花した花が多い地点である。
三分咲きだと、このように長い茎が見えて色彩のコントラストが綺麗である。

この佇まいも捨て難い。





   彼岸花よしなしごとあり咲かば咲け    荒野人


   鬱然と視線下げ行く彼岸花        荒野人





このように、花のエリアが広がっていく。
ここは川の岸辺であって、昨年までは単なる雑草が生い茂っていた場所である。



とまれ、三分咲きとはこうした状態である。
あと数日あれば満開なった早咲き地点が見ごろを迎えるだろう。

そう・・・25日か26日が良いかもしれない。



隣のコスモス畑はこうした状態であった。



    たおやかにゆれるはじらうコスモスに    荒野人




お分かり頂けるだろうか?
空一面に赤とんぼが舞っているのである。

のどかで、豊かな巾着田である。




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 荒野人

デジブック 『秋・・・歳時記の花』

2011年09月23日 | 
俳句を詠み始めたのである。
まだ50句に満たない。

習作レベルであるけれど、独りよがりになりかねないのでブログで発表することにしたのである。

苦笑されつつ一読いただけるだろうか?
身勝手な希望である。



ススキが綺麗になってきた。

デジブック 『秋・・・歳時記の花』



残暑厳しい。



百日紅が喘いでいるのである。
最近俳句を詠み始めた。

まだ50作までいかない。
知り合いの俳人によると一つの階梯を上るのに、1,000作創らなければとの事。
先はまだまだ長く遠い。



秋の季語で詠んでみた。
ご教示を乞い願う!




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 荒野人

コスモス咲けり

2011年09月22日 | 
そうですね、そんな季節です・・・。
と、その方はしきりに合点しているのである。



この時期見逃してはいけない花たちが多い。
コスモスがその一つである。



秋桜と漢字表記する。



八ヶ岳の麓ではもう終わりに近づいている。



なんとも「いたいけな花」である。
触れると壊れるように風にそよぐ。

コスモスは青空を背景に見たいものである。





   たおやかにふれるはじらうコスモスや     荒野人


アップで見ると「いやいや」をするように揺れる。
とても魅力的なのに・・・である。



淡いピンクも良いけれど、赤かったり、白かったりそれぞれが美しい。
一緒に乱れ咲けば、もっと美しい。




   コスモスが揺れるあなたに似たる日よ     荒野人




コスモスが揺れるように、人の一生は「かそけき流れ」であり、だがしかし「しなやか」である。
それを「たおやか」と表現して良いのだろうか。

ぼくは、そうだと思う。



深い緑の葉に隠れるように、だがしかし凜として秋に咲くのである。




    コスモスやつぼみにふれるきみがいて     荒野人


蕾も愛らしい。
その人は、コスモスを一輪折りとって去ったのである。
その人は花泥棒だけれど、罪には問えない・・・。




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 荒野人