エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

平泉・毛越寺(もうつうじ)を訪ねる

2011年11月01日 | 旅行
平泉は世界遺産の街である。
さらに敷衍すれば、伝承の街であるのだ。

悲喜交々の「みちのくの都」である。



毛越寺(もうつうじ)は、近年になって復興された岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院。開山は慈覚大師円仁。現在の本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩である。



本殿である。
ここに本尊の薬師如来がおわす。

850年(嘉祥3年)、中尊寺と同年に円仁が創建したのである。



鐘楼である。



ここで曲水の宴が催されたとされているのである。
「曲水・・・ごくすい」と読むのである。

平安時代の公家など上流階級の教養としての和歌を嗜(たしな)んだのである。



これが、遣水である。
平安時代の遺構としては日本唯一のものとされている。



境内の大部分を占める「大泉が池」である。
この池に遣水が流れ込んでいる。



大泉が池の築山である。
極楽浄土を現しているのだとされる。

「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界文化遺産に登録されており、国の特別史跡、特別名勝に指定されているのである。



境内には松尾芭蕉の句碑が建立されている。
「夏草や兵どもが夢の跡」の句である。



この石碑の横にもう一つ碑が建っている。
これこそ芭蕉の直筆による句碑であるとされているのである。



もみじも多く、紅葉時に再来したいと思わせる佇まいである。



これは「いろはもみじ」である。
葉の切れ込みが「いろはにほへと」と7つあるからの由来である。



これは普通のもみじである。
ぼくの従弟は「あいうえおもみじ」と名づけた。
切れ込みが、5つあるからだそうだ・・・。

ふーん、納得である。



ここ毛越寺は創建後、火災で焼失したのである。



奥州藤原氏第2代藤原基衡夫妻、および、子の第3代藤原秀衡が壮大な伽藍を建立したのであった。
中世の歴史書『吾妻鏡』によれば、「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」があり、円隆寺と号せられる金堂・講堂・常行堂・二階惣門・鐘楼・経蔵があり、嘉祥寺その他の堂宇もあって、当時は中尊寺をしのぐ規模だったという。



たしかに、残された堂宇は尊厳を持っている寺院である。



建物を形成している木材も程よく枯れている。
良い雰囲気である。

平泉の名刹「毛越寺」である。




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 荒野人



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