エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

鹿島古墳群

2011年12月09日 | 遺跡
久しぶりに、遺跡に関する記事である。
鹿島古墳群は、古墳時代晩期の遺跡である。
同時に、昨日報告した荒川河畔に位置する古墳群だ。



この古墳群は7世紀から8世紀にかけて・・というのが定説だったけれど、最近では6世紀にさかのぼるとされた。
2000(平成12)年新しく古墳が発見され、30年ぶりに発掘調査が行われ、年代が6世紀中頃まで遡ることが分かったのである。



この地域の豪族の墳墓である。





    語らうは古代の遺跡寒の声       野 人





荒川沿いの河岸段丘に 1 kmにわたり古墳が分布している。
今から約1400年前頃に造られた県内有数の大規模な古墳群であって、雑木林の中に56基の円墳が分布している。



地域の人たちが破壊せず、保存していた円墳が居並ぶさまは壮観であって、空想は古代へと雄飛する。
地域の人々の遺伝子が保存を働きかけたとしか思えないのである。
実に不思議である。



墳墓群の横は、深谷ネギの畑が広がっている。



陽だまりで、ホトケノザのピンクのはなが咲いていた。
不思議な季節感である。

この墳墓群は殆ど意思で葺かれていたと言う。
その石は、河原から一つひとつ運ばれたものである事は想像に難くない。



いまでも畑の周囲には玉石がゴロゴロとしているのである。
耕せば出てくるのであろう。



とまれロマンを掻きたてる遺跡である。




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 荒野人


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4 コメント

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群集墳 (Bunji Hisamori)
2011-12-09 17:26:11
古墳の方は、インフルエンザ騒ぎがなくてよかったです。
鹿島古墳群は、かつては深谷ネギ畠の所までもあったようですが、それでも今、これだけの古墳がしっかり残って喜ばしい限りです。
ひどいのは秩父の飯塚・招木古墳群で、上のURLの記事にも書きましたが、こちらは、今129基が残ってはいますが、横穴式石室の巨石が、井戸の枠、墓石に使われており、惨憺たるものです。
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Bunbunbunさんへ! (荒野人)
2011-12-09 17:59:16
この秩父古墳群のブログは読んでいましたよ。
確かに、石の生活への活用などの事例は枚挙に暇がありませんね。
それほど、遺跡が多いと言う証左でもあるのですが、残念な事であります。
住民の意識の問題もありますが、人々が保持する固有のDNAの問題もあるのでしょうか?
とまれ、遺跡の保持は難しい課題のようでもあります。
埋め戻してその上に、生活が営まれているなどはそこら中にあります。
生きている人の生活と遺跡の共生共有は難しいのでしょう!!
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Unknown (MIKO)
2011-12-09 19:28:44
遺跡巡りを再開されましたね。
古墳と聞くとどうしても奈良周辺を思い浮かべてしまいますが、こんなに近くの荒川沿いの関東にも多くの古墳が残っているのですね。
いや~、興味深いです。

時代ははるかに遡りますが、最近相沢忠洋の著書を読んで、群馬県の遺跡掘りを通じて太古の昔に営まれた家族団らんの跡を発見することにより、自らの少年時代の家庭環境から来る孤独を慰めていたということを知りました。

彼はそこで太古の人々に心を寄せ、それをもって生きる力を得て、偉業を成し遂げたのです。

どれだけ科学が発達しようと世の中が変化しようと、DNAには、太古の祖先と直接的に繋がるる、理屈では説明できない神秘的な力が潜んでいるのでしょうね。

これからも遺跡のレポートを楽しみにしています。
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MIKOさんへ! (荒野人)
2011-12-09 21:39:02
はい、再開しました。
ここのところ手を広げすぎですよね。
「縄 文人」と名乗ればよいのに!と言われていたのですから。
鹿島古墳群は古墳時代後期ですけれど、それでも、こうして保存する人の思いとは、DNAに問わなければと信じているのです。
同時に、倭の人々の血脈は極めて道徳的であり、かつ儒教的であるらしいと思ったりするのです。
時代を遡ることの楽しみは、そうした自らの心象風景を訪ねる旅でもあります。

そう。
そしてMIKOさんが仰るように神秘でもあります。
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