エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

信玄の棒道・・・その2

2011年08月20日 | 遺跡
信玄の棒道をさらに歩いた。
今度は、山を貫く棒道である。



改めて言う。
北信濃攻略を進めるため、軍団を速やかに送る軍用道路として信玄が造った道である。

山中の棒道は、石がごろごろしているのである。



八ヶ岳の西麓をほぼ真っ直ぐに通っている。

「甲斐国史」「甲斐叢史」によると、棒道は上中下と三本が造営されていた。
現在残っているのは、上の棒道である。
穴山から若神子新町、渋沢、小荒間を経て、富士見町を通り、大門峠に出て長野盆地へと至るのである。

この道が実際に侵攻のため使われたかは定かではないのである。
だがしかし、武田の最強軍団がここを行軍したことに異議を差し挟まない。



いまこうして棒道を歩くことは楽しい。
歴史を横に置いても愉快である。

甲冑の触れ合う音。
激しい息遣い。
兵たちの熱情。
旗差し物が立てる風の音。
叱咤激励する馬上の武将。
夜ともなれば煌々と燃える松明。



山道では、雨が降れば水が流れ落ち、行軍する兵達の足を掬ったであろう。
そんな時代を思い起こされる棒道である。

江戸時代末期、1丁(109m)おきに30数基の観音像(石仏)が置かれたため、この棒道が現在に残されているのである。






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