竹秋である。
春荀がニョキニョキと天を指してゆく。
新竹が、皮を剥いで伸びてゆく。
それと軌を一にして、竹の葉が茶色に変わっていく。
竹の秋と云われる所以である。
竹林は、まばらに見えるほど手入れが良い。
密集すると、竹の成長を阻害する。
山で、植林した樹の枝打ちをしなければ山が荒れるし、樹は売り物にならない。
木の節が多くなって、柱にはならないし精々「板塀」程度にしかならないのである。
竹林で、耳を澄ましてみるが良い。
さわさわと葉擦れの音が、耳に心地良い。
夢見心地の境地である。
「竹の秋葉擦れの音の流れ来る」
竹林の小径をそぞろ歩くのは、気分が宜しい。
この竹林の横には湧水の流れが、ささやかな音が聞こえてくる。
そう、母の心音のようにである。
水の流れと、葉擦れと・・・それらの音のバランスが安寧を与えてくれるのだ。
竹林の向こうの光が柔らかい。
春荀は、柔らかく美味い。
エグミの細やかさが。良い。
ぼくはひたすら歩いた。
一人で散策していると、刹那だけれど「静謐」に包まれるときがある。
それは、やはり葉擦れと湧水の流れの音が醸し出す「静謐」であるのだ。
無音だったら、静謐は訪れない。
雑味が無ければ、味覚は研ぎ澄まされないのと同じである。
今日、タケノコを頂いた。
採れとれのタケノコである。
明日は、三度目のタケノコご飯である。
荒 野人
春荀がニョキニョキと天を指してゆく。
新竹が、皮を剥いで伸びてゆく。
それと軌を一にして、竹の葉が茶色に変わっていく。
竹の秋と云われる所以である。
竹林は、まばらに見えるほど手入れが良い。
密集すると、竹の成長を阻害する。
山で、植林した樹の枝打ちをしなければ山が荒れるし、樹は売り物にならない。
木の節が多くなって、柱にはならないし精々「板塀」程度にしかならないのである。
竹林で、耳を澄ましてみるが良い。
さわさわと葉擦れの音が、耳に心地良い。
夢見心地の境地である。
「竹の秋葉擦れの音の流れ来る」
竹林の小径をそぞろ歩くのは、気分が宜しい。
この竹林の横には湧水の流れが、ささやかな音が聞こえてくる。
そう、母の心音のようにである。
水の流れと、葉擦れと・・・それらの音のバランスが安寧を与えてくれるのだ。
竹林の向こうの光が柔らかい。
春荀は、柔らかく美味い。
エグミの細やかさが。良い。
ぼくはひたすら歩いた。
一人で散策していると、刹那だけれど「静謐」に包まれるときがある。
それは、やはり葉擦れと湧水の流れの音が醸し出す「静謐」であるのだ。
無音だったら、静謐は訪れない。
雑味が無ければ、味覚は研ぎ澄まされないのと同じである。
今日、タケノコを頂いた。
採れとれのタケノコである。
明日は、三度目のタケノコご飯である。
荒 野人