秋の色は「白」である。
そう云えば、当然のように北原白秋が脳裏に浮かぶ。
昨日紹介したけれど、市川市国府台にある里見公園には北原白秋ゆかりの庵がある。
「紫煙草舎」である。
元々この離れは「小岩」に有った。
それを何の縁か知らないけれど、ここ里見公園の一画に移築したのである。
北原白秋が、寸時この地に庵を構えた事はあったと云う。
その縁であろう。
小岩にあった、この庵からは数々の名作が生み出された。
木造の、床しき庵である。

「白い秋紫煙草舎の木の雨戸」

ぼくは、この句で能村主宰の準特選を頂いた。
賞品として、一冊の句帳を頂いた。
市川市の俳句協会の作成による句帳であった。
シンプルな作りであるけれど、中の筆記用紙は和紙の風合である。
能村主宰のお気持ちとして、頂いた。
何となく気持ちの整理がついた気分で、帰路についた。
この日、ぼくはこれから俳句修行する結社を決断した。
和田順子主宰の「繪硝子」と、決断したのである。
これから、繪硝子の和田主宰の薫陶をいただきながら「有季定型、の句を学んでいこうと思っている。
繪硝子の句会に出席させていただいているけれど、句会の世話役の人柄にも引き込まれたのである。
俳誌編集長が世話役で、もう一人はやはり副編集長である。
丁寧で、親身になって頂ける。
何よりも、句会が素晴らしい。
主宰の投句を含め参加者全員が、投句する。
全員で清記する。
それが、当たり前の句会である。
座の文学が体現されている。
俳句迷子になっているぼくには、じんわりと沁みて来たのであった。
かてて加えて、和田順子主宰の俳句の素晴らしさである。
選もまた素晴らしいし、その選評は優しいけれど的確である。
和田主宰は、普段の事を普段に詠まれておられる。
嗚呼、こうした俳句が詠みたい!
そう素直に思ったのである。
何回か句会に出させて頂いたけれど、なかなか主宰からの選を頂けない。
和田主宰の選を頂けるような句が詠みたいものである。
恰好を付けたがる「野人」の句であるけれど・・・。
これからの精進であろうと、気持ちも新たである。
荒 野人
そう云えば、当然のように北原白秋が脳裏に浮かぶ。
昨日紹介したけれど、市川市国府台にある里見公園には北原白秋ゆかりの庵がある。
「紫煙草舎」である。
元々この離れは「小岩」に有った。
それを何の縁か知らないけれど、ここ里見公園の一画に移築したのである。
北原白秋が、寸時この地に庵を構えた事はあったと云う。
その縁であろう。
小岩にあった、この庵からは数々の名作が生み出された。
木造の、床しき庵である。

「白い秋紫煙草舎の木の雨戸」

ぼくは、この句で能村主宰の準特選を頂いた。
賞品として、一冊の句帳を頂いた。
市川市の俳句協会の作成による句帳であった。
シンプルな作りであるけれど、中の筆記用紙は和紙の風合である。
能村主宰のお気持ちとして、頂いた。
何となく気持ちの整理がついた気分で、帰路についた。
この日、ぼくはこれから俳句修行する結社を決断した。
和田順子主宰の「繪硝子」と、決断したのである。
これから、繪硝子の和田主宰の薫陶をいただきながら「有季定型、の句を学んでいこうと思っている。
繪硝子の句会に出席させていただいているけれど、句会の世話役の人柄にも引き込まれたのである。
俳誌編集長が世話役で、もう一人はやはり副編集長である。
丁寧で、親身になって頂ける。
何よりも、句会が素晴らしい。
主宰の投句を含め参加者全員が、投句する。
全員で清記する。
それが、当たり前の句会である。
座の文学が体現されている。
俳句迷子になっているぼくには、じんわりと沁みて来たのであった。
かてて加えて、和田順子主宰の俳句の素晴らしさである。
選もまた素晴らしいし、その選評は優しいけれど的確である。
和田主宰は、普段の事を普段に詠まれておられる。
嗚呼、こうした俳句が詠みたい!
そう素直に思ったのである。
何回か句会に出させて頂いたけれど、なかなか主宰からの選を頂けない。
和田主宰の選を頂けるような句が詠みたいものである。
恰好を付けたがる「野人」の句であるけれど・・・。
これからの精進であろうと、気持ちも新たである。
荒 野人