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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

白い秋に繪硝子へ!

2016年09月17日 | ポエム
秋の色は「白」である。
そう云えば、当然のように北原白秋が脳裏に浮かぶ。

昨日紹介したけれど、市川市国府台にある里見公園には北原白秋ゆかりの庵がある。
「紫煙草舎」である。

元々この離れは「小岩」に有った。
それを何の縁か知らないけれど、ここ里見公園の一画に移築したのである。
北原白秋が、寸時この地に庵を構えた事はあったと云う。
その縁であろう。

小岩にあった、この庵からは数々の名作が生み出された。
木造の、床しき庵である。







「白い秋紫煙草舎の木の雨戸」







ぼくは、この句で能村主宰の準特選を頂いた。
賞品として、一冊の句帳を頂いた。
市川市の俳句協会の作成による句帳であった。
シンプルな作りであるけれど、中の筆記用紙は和紙の風合である。
能村主宰のお気持ちとして、頂いた。
何となく気持ちの整理がついた気分で、帰路についた。

この日、ぼくはこれから俳句修行する結社を決断した。
和田順子主宰の「繪硝子」と、決断したのである。

これから、繪硝子の和田主宰の薫陶をいただきながら「有季定型、の句を学んでいこうと思っている。
繪硝子の句会に出席させていただいているけれど、句会の世話役の人柄にも引き込まれたのである。

俳誌編集長が世話役で、もう一人はやはり副編集長である。
丁寧で、親身になって頂ける。
何よりも、句会が素晴らしい。
主宰の投句を含め参加者全員が、投句する。
全員で清記する。

それが、当たり前の句会である。
座の文学が体現されている。

俳句迷子になっているぼくには、じんわりと沁みて来たのであった。
かてて加えて、和田順子主宰の俳句の素晴らしさである。
選もまた素晴らしいし、その選評は優しいけれど的確である。

和田主宰は、普段の事を普段に詠まれておられる。

嗚呼、こうした俳句が詠みたい!
そう素直に思ったのである。
何回か句会に出させて頂いたけれど、なかなか主宰からの選を頂けない。

和田主宰の選を頂けるような句が詠みたいものである。
恰好を付けたがる「野人」の句であるけれど・・・。
これからの精進であろうと、気持ちも新たである。



     荒 野人