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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

石の文明・・・環状列石の意思

2010年11月27日 | 遺跡
テレビで、環状列石に関する報道がされていた。
環状列石に限らず、石の文明はこの地球上に溢れている。



ぼくの身近にもある。
これは井戸尻遺跡の展示館横に移築された環状列石である。



もっとも有名なのはイギリスの「ストーンヘンジ」であろう。
天文観測の場所であるとか、祭祀に使った場所であるとか・・・まだその使用目的は定まっていないのである。



日本で最も著名なのは、秋田県鹿角市の大湯環状列石が有名である。
大湯環状列石は大きな2つのストーンサークルでできているが、近くには構造が似ている一本木後ロ遺跡があり、これは墓であることが調査によって明らかになっている。

かといって、こうした環状列石が墓である根拠とはならないのである。



イギリス湖水地方の「スウェインサイド・スリーンサークル」である。
見事な石の配置である。



こうした石の文明は、緑に映えるのである。
最近、イギリスで再びミステリー・サークルが現れたと報道された。

そのデザインも見事である。
最近、ぼくの心をウキウキさせてくれる出来事が頻発している。

因みに、大湯環状列石には日時計状組石があり、環状列石中心部からこの日時計中心部を見た方向が夏至の日に太陽が沈む方向になっている。
同時に野中堂環状列石から万座環状列石を見た方向もその方向になっているのである。

このように、天文とのかかわりも強く意識しつつ石を配置したと思われる配石遺構もあり、祭祀とのかかわりも思惟される遺構もある。

いずれにしても、こうした先人の意思を忖度(そんたく)するのは嬉しい限りである。





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                     荒野人

「房総風土記の丘」は古墳の宝庫である

2010年11月24日 | 遺跡
成田空港のほど近く「房総風土記の丘」にある龍角寺古墳群の中でも群を抜いて大きいのは「岩屋方墳」である。
この方墳は、日本第二位の大きさである。

「風土記(ふどき)」とは、一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことをさすが、狭義には、日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた書をさすのである。

こうした理由で日本中に「風土記の丘」があるのである。
ネーミングに最適な表現である。



古くから開口していた岩屋古墳西側横穴式石室。
貝化石を含んだ砂岩を積み上げて造られている。

古くに盗掘されたのであろう、口が二つ開いている。



この方墳は貝塚を切り出して積み上げている。
格子の中を覗いてみたけれど、暗くて何も見えなかった。



隣にある「みそ岩屋方墳(106号墳)」も貝塚を切り出した材料で積み上げられているのである。

どちらも出土品は無いに等しい。



どちらの方墳も、貝化石を含んだ砂岩の切石を煉瓦のように互い違いに積み上げた横穴式の石室がある。



そこに葬られた人の巨大さが偲ばれる古墳である。





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竪穴式住居は快適な環境にある

2010年11月20日 | 遺跡
縄文の時代、ヒトは最も快適な住環境を選択したのである。

ブナ林があり、ドングリは有り余るほど実った。
綺麗な水がコンコンと湧いていた。
海はすぐそこにあって、海産物は苦も無く手に入った。
海水と清水の入り混じる河川もあって、貝類も豊かであった。



この住まいは呼吸しているのだ。
冬は暖かく、夏は涼しいのだ。



住まいの中で煮焚きするので家も強くなっている。
毎日が薫蒸なのである。

集落の長は、この燻すような煙からみなの健康を推し図ってくれるのである。



同じ量の食料が配分され、家族の事情も忖度され保障されていた。
みなが同じように食べ暮らすのだ。

硬く言えば竪穴式住居の定義は以下のようになる。

竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ、英: pit-house, pit-dwelling)は、地面を円形や方形に掘り窪め、その中に複数の柱を建て、梁や垂木をつなぎあわせて家の骨組みを作り、その上から土、葦などの植物で屋根を葺いた建物のことをいうのである。



ぼくは住まいの中で横になって、入り口を覗くのが好きだった。
今で言う、絵画のような世界がそこにあったからである。

大気は清廉に広がり、何の汚れも無くぼくたちを育んでくれたのだ。





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                     荒野人

甲斐風土記の丘・・・曽根丘陵の古墳公園

2010年11月19日 | 遺跡
曽根丘陵は甲府盆地の端っこであるけれど、ぼくの通った中学・高校から近い場所にある。

高校の校歌の一節に
 「曽根丘陵に聳え立つ
   富士の高嶺に雲湧きて」とある。



古墳時代後期の古墳が多いのだけれど、周囲からは縄文時代の土器の破片だとか貝ガラなども出る。
ぼくが中学生の頃、この曽根丘陵に土器を掘りに来たものだった。

土器の破片は、桑畑などで掘り起こせた。
土器の破片に縄模様が鮮明に残っていて、興奮したものであった。

あの時の土器の破片は何処にいってしまっただろうか!



前方後円墳があり、円墳も散見出来る。
関東随一の前方後円墳が聳えているのである。



時は今、晩秋の候である。

ぼくはここで日没まで古墳と対話を続けたのである。



甲府盆地一帯を睥睨(へいげい)するように墳墓は屹立している。
大豪族の墳墓である事は想像に難(かた)くない。



円墳の頂上から前方後円墳を望む。
大木がシルエットとなってペーソスを誘うのである。

ブドウ畑の向こうの甲府盆地を眺める。



秋の薄暮である。




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釈迦堂遺跡の出土品は素晴らしい

2010年11月17日 | 遺跡
釈迦堂では全体で1200個以上の土器が復元されており、縄文遺跡の中では全国でも有数の量と言える。
古くは縄文早期末(約6200年前)から、縄文前期(6100~4800年前)、縄文中期(4800~4050年前)縄文後期初頭(約3800年前)のものまであり、特に縄文中期のものは出土量が多く、また全形式が揃っている。

土器の出土品の多さも群を抜いているのである。
土偶は当然である(既報)。

土偶と出会いましょうか!!










このように表情も豊かな土偶たちである。



ぼくたちは、こうした穴の中で時代のノックを待っていたのである。



縄文土器の多彩さも特筆出来るのである。



この釈迦堂からは火焔土器も水煙土器も見事に出土している。



ぼくは縄文海進による海と陸のバランスの変化に舌を巻いている。
素晴らしい遺産を残してくれたものである。



心ときめくではないか。





紋様の多彩な意匠に感服である。



これを魂消(たまげ)た!
と言うのであろうか。





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