今回は八重(綾瀬はるか)が母親になった話でした。
まずは襄(オダギリジョー)が言ったこと。
「私には千人を越す子供たちがいます。あなたが共に歩んでくれたから私は子沢山な父親になれました」
襄にとっては学生たちが子供だったんですね。
このことは八重にも言える。
そして久栄(門脇麦)との関係。
八重は久栄の母親になろうとするが、逆に「母親にでもなったつもりなのか?」と言われて悩む。
さまざまな人からアドバイスを受ける。
襄の父からは、子供は親の言うことを聞かないものであることは難しいということを。
佐久(風吹ジュン)からは、八重もかつては久栄と同じようなものであり、「近頃の若い者は……」というのは皆が言われてきたことであることを。
日向ユキ(剛力彩芽)からは「母親になろうとするのではなく八重らしくなれ」とアドバイスされる。
これらのアドバイスを受けて八重が導き出した結論は
「お前が決めた道なら応援する」
駆け落ちに関しては
「駆け落ちは駄目だ。里帰りが出来なくなる」
だから、しっかり結婚のことを相談しろ、という結論。
そして、徳富健次郎(太賀)が久栄を捨てて別れた時は、「自分のことより久栄のことがつらい」と八重ははじめて母親の感情を抱く。
母親というのは自分より子供のことが何より優先するんですね。
今回は<母親>をモチーフに八重の気持ちがていねいに綴られていました。
脚本は吉澤智子さん。
亡くなったみね(三根梓)が久栄に万年筆を託したのも、「お前は学問をしろ」というみねの意思表示だったのでしょうが、久栄はそれとは違って「作家の妻になる」ことを考えた様子。
上手い小道具の使い方ですね。
あとは常々、この作品には<ダメな人間>が出て来ないと思っていましたが、やっと登場しました!
自称・情けない人間、徳富健次郎さん!
「兄貴に比べたら俺は取るに足らん蘆(あし)の花たい。ばってん、俺はそぎゃん花の方がよか」
「俺は情けなか人間たい。うそもつくし、兄貴に比べて勉強もできん。兄貴が憎うて、羨ましか」
兄へのコンプレックスがいっぱいで、小説にうつつを抜かす劣等生。
自らを「取るに足らん蘆の花」と称する自虐と屈折。
いいですねー、人間味があって。
しかし、弱者の立場に立った人間観と作家魂も持っている。
「ばってん、それが人間じゃなかですか? そぎゃん自分ばこらえてまっとうな人間になろうと、みんな必死にもがいとっとじゃなかですか!? 俺はそぎゃん人間の本当ば書きたか。書かんと自分じゃおられん。食べるために小説ば書いとるんじゃなか。小説ば書くために食べると!」
ダメな人間。
思い返せば、宣教師と生徒の間に入ってオロオロし、杖で自分の手を打ち据えた襄も、生活の空虚から若い男によろめいた時栄(谷村美月)もこの部類の人間に属しますね。
ぼくはこういう人たちが大好きです。
まずは襄(オダギリジョー)が言ったこと。
「私には千人を越す子供たちがいます。あなたが共に歩んでくれたから私は子沢山な父親になれました」
襄にとっては学生たちが子供だったんですね。
このことは八重にも言える。
そして久栄(門脇麦)との関係。
八重は久栄の母親になろうとするが、逆に「母親にでもなったつもりなのか?」と言われて悩む。
さまざまな人からアドバイスを受ける。
襄の父からは、子供は親の言うことを聞かないものであることは難しいということを。
佐久(風吹ジュン)からは、八重もかつては久栄と同じようなものであり、「近頃の若い者は……」というのは皆が言われてきたことであることを。
日向ユキ(剛力彩芽)からは「母親になろうとするのではなく八重らしくなれ」とアドバイスされる。
これらのアドバイスを受けて八重が導き出した結論は
「お前が決めた道なら応援する」
駆け落ちに関しては
「駆け落ちは駄目だ。里帰りが出来なくなる」
だから、しっかり結婚のことを相談しろ、という結論。
そして、徳富健次郎(太賀)が久栄を捨てて別れた時は、「自分のことより久栄のことがつらい」と八重ははじめて母親の感情を抱く。
母親というのは自分より子供のことが何より優先するんですね。
今回は<母親>をモチーフに八重の気持ちがていねいに綴られていました。
脚本は吉澤智子さん。
亡くなったみね(三根梓)が久栄に万年筆を託したのも、「お前は学問をしろ」というみねの意思表示だったのでしょうが、久栄はそれとは違って「作家の妻になる」ことを考えた様子。
上手い小道具の使い方ですね。
あとは常々、この作品には<ダメな人間>が出て来ないと思っていましたが、やっと登場しました!
自称・情けない人間、徳富健次郎さん!
「兄貴に比べたら俺は取るに足らん蘆(あし)の花たい。ばってん、俺はそぎゃん花の方がよか」
「俺は情けなか人間たい。うそもつくし、兄貴に比べて勉強もできん。兄貴が憎うて、羨ましか」
兄へのコンプレックスがいっぱいで、小説にうつつを抜かす劣等生。
自らを「取るに足らん蘆の花」と称する自虐と屈折。
いいですねー、人間味があって。
しかし、弱者の立場に立った人間観と作家魂も持っている。
「ばってん、それが人間じゃなかですか? そぎゃん自分ばこらえてまっとうな人間になろうと、みんな必死にもがいとっとじゃなかですか!? 俺はそぎゃん人間の本当ば書きたか。書かんと自分じゃおられん。食べるために小説ば書いとるんじゃなか。小説ば書くために食べると!」
ダメな人間。
思い返せば、宣教師と生徒の間に入ってオロオロし、杖で自分の手を打ち据えた襄も、生活の空虚から若い男によろめいた時栄(谷村美月)もこの部類の人間に属しますね。
ぼくはこういう人たちが大好きです。