大河ドラマでしばしば描かれる家康と秀吉の会見前夜。
今作はどう描いたか?
「そのような芝居はなしにしましょう」
家康(松本潤)は秀吉(ムロツヨシ)のウソを全部見抜いていた。
ふたりの腹の探り合い。
時折、発せられるお互いの本音。
ジャブの打ち合いから、繰り出されるストレートパンチ。
面白いやりとりだ。
一方、家康の腹の奥底には前回到達した境地──
「世の中が平和になるのなら誰が天下を取ってもいい」
「いくさなき世のためなら秀吉に膝を屈してもいい」
という思いがある。
だから、家康は穏やかだ。
しかし秀吉は──
「いくさなき世か……。
いくさがなくなったら武士達はどうなる?
民を豊かにすることもできぬ。
切取る国はまだまだある」
つまり朝鮮出兵である。
これで家康は自分が天下を取らなければならないと考えるのだろう。
……………………………………………………
秀吉の母・仲(高畑淳子)は『欲望の怪物』になってしまった秀吉に違和感を抱いている。
「あれはわしの息子なんかのう?
首根っこを押さえておかないととんでもないことをする。
とんでもねえ、化け物じゃ」
人の欲望は果てしない。
現状に満足せずに、もっともっとと求めてしまう。
普通の人間なら、ある段階で欲望の追求に疲れてしまうのだが、
秀吉のような、一部の人間はそうはならない。
母・仲は外に出て畑仕事ができれば満足できる人間だ。
足るを知る。
これが人の素朴で崇高な生き方だと思うのだが、
世の中には『欲望の怪物』がいて、民を苦しめる。
……………………………………………………
石田三成(中村七之助)は夜空に星座を見るロマンチストとして描かれた。
こういう人は政治家に向かないと思うのだが、能吏であるがゆえに抜擢されたのだろう。
家康は、夜空に星座を見る三成に共感した様子。
このふたりの物語はどのように描かれていくのだろう?
三成はどのように掘り下げられていくのだろう?
掘り下げと言えば「真田」を掘り下げるようだ。
まあ、大坂冬の陣で「真田丸」を築くので、描いておかないとドラマにならない。
さて今作では、どのような「真田丸」が描かれるのか?
三成の描写といい、真田昌幸(佐藤浩市)の描写といい、本多忠勝の娘・稲(鳴海唯)の登場といい、ちょっと予測不可能だ。
……………………………………………………
浜松の民とは和解した。
浜松の民は家康を「立派な殿様」と認め、家康はかつての自分への悪口を笑って認めた。
「よいよい、情けない姿を曝したのは事実じゃ。存分に笑うがよい」
家康、すっかり肩の力が抜けた様子。
夜空に星座を見て、民と笑い合う。
解放された家康。
これが人の幸せなんでしょうね。
今作はどう描いたか?
「そのような芝居はなしにしましょう」
家康(松本潤)は秀吉(ムロツヨシ)のウソを全部見抜いていた。
ふたりの腹の探り合い。
時折、発せられるお互いの本音。
ジャブの打ち合いから、繰り出されるストレートパンチ。
面白いやりとりだ。
一方、家康の腹の奥底には前回到達した境地──
「世の中が平和になるのなら誰が天下を取ってもいい」
「いくさなき世のためなら秀吉に膝を屈してもいい」
という思いがある。
だから、家康は穏やかだ。
しかし秀吉は──
「いくさなき世か……。
いくさがなくなったら武士達はどうなる?
民を豊かにすることもできぬ。
切取る国はまだまだある」
つまり朝鮮出兵である。
これで家康は自分が天下を取らなければならないと考えるのだろう。
……………………………………………………
秀吉の母・仲(高畑淳子)は『欲望の怪物』になってしまった秀吉に違和感を抱いている。
「あれはわしの息子なんかのう?
首根っこを押さえておかないととんでもないことをする。
とんでもねえ、化け物じゃ」
人の欲望は果てしない。
現状に満足せずに、もっともっとと求めてしまう。
普通の人間なら、ある段階で欲望の追求に疲れてしまうのだが、
秀吉のような、一部の人間はそうはならない。
母・仲は外に出て畑仕事ができれば満足できる人間だ。
足るを知る。
これが人の素朴で崇高な生き方だと思うのだが、
世の中には『欲望の怪物』がいて、民を苦しめる。
……………………………………………………
石田三成(中村七之助)は夜空に星座を見るロマンチストとして描かれた。
こういう人は政治家に向かないと思うのだが、能吏であるがゆえに抜擢されたのだろう。
家康は、夜空に星座を見る三成に共感した様子。
このふたりの物語はどのように描かれていくのだろう?
三成はどのように掘り下げられていくのだろう?
掘り下げと言えば「真田」を掘り下げるようだ。
まあ、大坂冬の陣で「真田丸」を築くので、描いておかないとドラマにならない。
さて今作では、どのような「真田丸」が描かれるのか?
三成の描写といい、真田昌幸(佐藤浩市)の描写といい、本多忠勝の娘・稲(鳴海唯)の登場といい、ちょっと予測不可能だ。
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浜松の民とは和解した。
浜松の民は家康を「立派な殿様」と認め、家康はかつての自分への悪口を笑って認めた。
「よいよい、情けない姿を曝したのは事実じゃ。存分に笑うがよい」
家康、すっかり肩の力が抜けた様子。
夜空に星座を見て、民と笑い合う。
解放された家康。
これが人の幸せなんでしょうね。
いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、秀吉の闇は深そうですね。
家康も苦労して来ましたし、瀬名と信康の死という試練がありましたが、根っこにあるのは大名のお坊ちゃん。
信長への怒りや憎しみはありましたが、世間に対する怒りや憎しみはありません。
一方、秀吉の世間に対する思いには複雑なものがありそうですね。
放浪時代に何があったのでしょうね?
いつもありがとうございます。
1週休んで、まさに「新しい舞台」の回でしたね。
家康は「いくさなき世をつくる」という点でブレず、成熟した人物になっています。
もはや「どうする家康」ではなくなってしまいましたね。笑
さて、今後どのようなドラマが展開されるのでしょう?
秀吉との図式は、おっしゃるとおり「戦なき世を求める家康」対「欲望の怪物秀吉」になるのでしょうが、三成、秀長、寧々とはどうなるのか?
物語はこの図式で展開していくと思っていたので、ここで「真田」を掘り下げたのは意外でした。
稲の闘いも注目ですね。
今作で描かれる女性たちの闘いはすべて同じではありません。
稲はどのような女性として描かれるのでしょう?
第2章が始まりました。
息子が欲望の怪物になり果てた事に大政所は怯えながら直政や於愛や旭に色々と語り。
秀吉の恐ろしさと闇深さを直政は知りましたが、同時に貧しく多忙ゆえに息子の面倒を見れなかった大政所の負い目と助けを求めてる風に見えました。
家康は戦のない世の中を作る事を秀吉に語りが浜松に帰りましたけど。
とうの秀吉にしたら、そんなのは絵空事と小馬鹿にしてるように見えましたね。
ここら辺は世の中の醜さと闇を見た秀吉にしてみれば、この世を支配するのは富と力って事でしょう。
ここら辺は浜松の民と打ち解け笑い合った家康との大きな違いですね。
物心つく頃から、虐げられ孤独と絶望という深い闇を生きていた欲望と憎悪の怪物秀吉にしてみれば、民の幸せ何て無意味に見えるのでしょうね。
今回で明確に秀吉は「果てしない欲望の怪物」として特徴づけられることになります。
>「あれはわしの息子なんかのう?首根っこを押さえておかないととんでもないことをする。とんでもねえ、化け物じゃ」
「戦なき世を求める家康」対「欲望の怪物秀吉」
という図式は、今後の大枠となってゆくような気がします。
おそらく、家康は秀吉の「首根っこを押さえ」る役回りになるのかもしれません。
なか(大政所)、ねね(北政所)、そして秀長あたりが立場的には近くなるとか。
家康は「すっかり肩の力が抜けた」がゆえにこそ、重厚感のある人物像になってほしいと思います。
現時点で「ロマンチスト」である石田三成は今後どのようになるのでしょうね。
個人的にはロマンチストであっても、秀吉には忠実であろうとした結果、かなり葛藤に満ちたキャラになるのかもしれません。
今回急に登場してきたお転婆娘・稲は本多忠勝の娘だったのですね。
忠勝はつい最近までは「青年」という感じでしたが、あれだけ大きな娘の、しかも「怖い」父親ということなので、急に髭を生やして貫禄をつけてきたように思いました。
稲は、真田家との関係で重要な役回りとなるわけですが、「真田丸」の時とどこまで重なり、どこが違ってくるのでしょう。
たしかに「予測不可能」なところが多いわけですが、まずは「新しい舞台」の幕開けということで今後を楽しみにしたいと思います。