現在と30年前の日本の経済の違い。
本来ならディズニーの料金と同じ比率で給料や退職金が上がらなきゃいけないんだよね。
完全なスタグフレーション。
日本政府は、この30年間、経済政策で失敗して来たことを認めろ。
一方でドイツ。
増税メガネ・岸田文雄、減税しろ!
それが一番の景気対策だ!
少子化対策だ!
政府は防衛費を倍増したが、その前に日本社会が壊れるわ!
そう言えば、給食サービスを提供してきた会社が人件費と物価の高騰で倒産したというニュース。
子供たちの給食も満足に提供できない国になっている……。
本来ならディズニーの料金と同じ比率で給料や退職金が上がらなきゃいけないんだよね。
完全なスタグフレーション。
日本政府は、この30年間、経済政策で失敗して来たことを認めろ。
一方でドイツ。
増税メガネ・岸田文雄、減税しろ!
それが一番の景気対策だ!
少子化対策だ!
政府は防衛費を倍増したが、その前に日本社会が壊れるわ!
そう言えば、給食サービスを提供してきた会社が人件費と物価の高騰で倒産したというニュース。
子供たちの給食も満足に提供できない国になっている……。
もっとも、全然詳しくないのですが、経済学入門を読むよりも、経済学史入門を読む方が、経済の感じはつかみやすいと感じます。
というのは、経済学史というのは「世の中がこう変わってきたので、時代時代の経済学もこう変わってきた」といった視点で見ているからですね。
ここで考えたいのは、日本の財務省の皆さんって、日本の経済システムの理想像をどう考えているのかな、という素朴な疑問なんですね。
そして、その財務省の経済システムビジョンは、将来の経済学史の上で、どう位置づけられるだろうか、という興味でもあります(少々皮肉が入ってます)。
記事の作成お疲れ様です
そう言えば30年前の定期預金が10年後位に凄い利子が付いていた事を思い出し
ました。今では考えられませんね。
もう実質賃金を下がり続けて物価に賃金が追い付いていない状態ですから
消費税は5%迄減税しないと駄目です。防衛費増なんてばかりで庶民生活など
蔑ろ…
ま、自公政権支持者が多いのが悪いのですが
そして 屁理屈だらけのネトウヨ
いじわる爺さんは正論・ほりほりは屁理屈アホウヨ
(政治討論会掲示板)
いつもありがとうございます。
2020さんがおっしゃる経済学史が経済理論のことだとすれば、MMT理論は財務省では異端なんでしょうね。
金子勝など、リベラル系の経済学者の中でもMMTに批判的な人はいます。
現在はMMTと既存経済学・貨幣理論の対立がひとつあると思います。
あるいはアベノミクスの異次元の金融緩和や新資本主義。
これらは将来どう評価されるんでしょうね?
僕は「自由競争・奪い合いは正しいのか?」「成長することは正しいのか?」という疑問を持っています。
いつもありがとうございます。
分厚い中間層の創出はもはや難しいんですかね。
岸田首相は首相になった時の所信表明演説で「分配から成長へ」と語りました。
ところが今は180度変わって「成長から分配へ」
つまり後者が意図する所は「日本経済を成長させるぜ。分配はそれからな」です。
でもトリクルダウンは起きなかったんですよね。
富裕層と一部の既得権者が儲かっただけ。
だから今こそ「分配から成長」、つまり減税して庶民の懐を豊かにして、お金を使わせ、経済を成長させるという形に方向転換すべきなんだと思います。
ところが岸田首相はすべてが中途半端。
少子化対策ではめずらしく「分配」しましたが、金額はまだまだ不十分です。
それどころか、インボイス導入や防衛費増額。
>自公政権支持者が多いのが悪いのですが
ほんと勘弁してほしいですよね。
彼らの支持がこちらにしわ寄せが来ています。
おまけにその支持理由の大半が「他に適当な政党がないから」。
少なくとも衆参のねじれをつくれば、だいぶ変わって来ますのに……。
経済学史というのは、経済学がどう変わってきたのかを考える歴史です。
たとえば、新自由主義を考えるのではなくて、新自由主義が生まれたのはなぜか、歴史的に考えるわけです。
個人的な考えですが、新自由主義が生まれた背景には、戦後アメリカ社会に急激に広まった「共産主義への恐怖心」があったと思います。レッドパージともつながる流れです。
この「恐怖」の視点で見ると、福祉・行政サービス・公共的活動といった「非営利的な社会活動」が、どれもこれも共産主義的動機からくるものに見えて、社会から排除すべきと考えたくなるんでしょうね。
この「共産主義へのおびえ」が、経済学に進出して、新自由主義に形を変えたのではないかと思っています。
…といった感じであれこれ考えるのが、経済学史(経済思想史ともいうようです)らしいですね。
MMT理論ですが、ニクソンショック以来、どこの国の通貨も「実物の裏付けがないもの」になっているわけで、程度の問題とも言えるでしょうね。
そういえば、何だか金(goldです)が上がっているようですが、これはどう考えたらいいのか…
>「共産主義へのおびえ」が、経済学に進出して、新自由主義に形を変えたのではないかと思っています。
ひとつの説として承っておきます。
共産主義に関しては、AI・ロボットの発達で「人間が労働から解放」され、再生エネルギーでエネルギーが無尽蔵にあって「奪い合い」をしなくても、よくなった時に成し遂げられると考えています。
だからソ連も中国も早過ぎた。
マルクスは「資本主義の成熟の後に共産主義が訪れる」と理論化しましたが、中国もソ連も資本主義を経ずにいきなり共産主義に行ってしまい、失敗してしまいました。
MMTに関しては「リフレ」VS「非リフレ」の議論の際によく使われますよね。
僕はどちらかと言うと「リフレ派」ですが、疑っている部分もあり、もっと深めていきたいと考えています。
法律学だと、自説にとって都合の悪いことも堂々と明らかにした上で「どう解釈するのか」という議論に持っていくことが多い印象ですが、経済学の場合、ダンマリしたまま議論を進めることが多いように思います(個人の感想です)。
たとえば、信用創造理論だと、銀行が誰かにお金を貸すことによって「信用を生む」という発想のようですが、どうも納得ができないんですね。
たとえば、住宅ローンが借りられる人は、もともと「銀行からみて信用がある人」なんで、貸し付けで信用が生まれるのとは違うと思うんですよね…
いわゆる「いい会社」や「お役所」に正社員で勤めていて、将来も多額の給料が期待できるので、返済も滞らずOKだろうと想定して貸すので、貸し付けという行為で信用が創造されたのとは、ちょっと違うのではないかと…
信用創造という理屈の一方で、金融機関には自己資本比率の理屈もあるわけですが、信用創造論をヨイショする人は、自己資本比率についてはダンマリの傾向があるような気がします。
もっとも、専門的に勉強したわけでもないので、あまり偉そうなことも言えませんが。
すみません。
僕も金融や銀行の専門家ではないのでコメントは難しいです。
僕にとって必要なのは現実社会を考える上での知識です。
考える上で「各論」も時には必要だと思いますが、細かい部分にこだわって全体が見えなくなるのは避けたいと考えています。