銀姫(田中麗奈)の人物造型が面白い。
美和(井上真央)の<ようかん作戦>に荷担した銀姫は楽しそうに言う。
「さすがに私の名を使えば、誰もあらためることをせぬ」
銀姫はこういう悪戯っぽいことが大好きなんですね。
なぜ彼女がそういうことをするかというと、心が満たされていないから。
子がなくて大奥では肩身が狭く、夫である毛利元徳(三浦貴大)との関係も不安定だから。
一方、<ようかん作戦>をいっしょにおこなった共犯関係は、美和との絆を生んだようだ。
銀姫は美和にこんなことも言った。
「私はお前が嫌いじゃ」
嫌い、嫌いは好きのうち。実は気になって仕方がない。
銀姫がなぜ美和にこだわるかと、美和が「懸命に思えば、思いは通じる」ということを信じているから。
これは銀姫にはない価値観。むしろ積極的に否定したい。
だから美和のことがムカつく。
だが、一方でそれを信じたいとも思っている。
それで結果、どうなったか?
銀姫の思いは通じた。
元徳は自分の所にやって来てくれたし、子供もできた。
銀姫は「懸命に思えば、思いは通じる」ということを実感した。
<ようかん><銀姫><高杉の逃亡>といった3つのテーマを掛け合わせた今回のエピソード。
多少、強引な気がするが、現状でできることはこれくらいだろう。
なぜなら前半の松下村塾編、現在の大奥編は完全に独立していて、伏線やエピソードの積み重ねがまったくないのだから。
唯一、繋がっているのは、至誠=「懸命に思えば、思いは通じる」。
おそらく今後も<至誠>が重要なキイワードになってくるのであろう。
まあ、個人的な見解を言わせてもらえば、物事は<至誠>だけで解決するとは思いませんけどね。
<お金>とか<権力>とか<パワーバランス>とか<偶然>が絡み合って、世の中は動いている。
今回、美和が大奥を追い出されなかったのだって、銀姫の<権力>があったから。
銀姫に子供が授かるという<偶然>があったから。
至誠万歳!
至誠万能!
というテーマでは、すこし薄い気がする。
美和(井上真央)の<ようかん作戦>に荷担した銀姫は楽しそうに言う。
「さすがに私の名を使えば、誰もあらためることをせぬ」
銀姫はこういう悪戯っぽいことが大好きなんですね。
なぜ彼女がそういうことをするかというと、心が満たされていないから。
子がなくて大奥では肩身が狭く、夫である毛利元徳(三浦貴大)との関係も不安定だから。
一方、<ようかん作戦>をいっしょにおこなった共犯関係は、美和との絆を生んだようだ。
銀姫は美和にこんなことも言った。
「私はお前が嫌いじゃ」
嫌い、嫌いは好きのうち。実は気になって仕方がない。
銀姫がなぜ美和にこだわるかと、美和が「懸命に思えば、思いは通じる」ということを信じているから。
これは銀姫にはない価値観。むしろ積極的に否定したい。
だから美和のことがムカつく。
だが、一方でそれを信じたいとも思っている。
それで結果、どうなったか?
銀姫の思いは通じた。
元徳は自分の所にやって来てくれたし、子供もできた。
銀姫は「懸命に思えば、思いは通じる」ということを実感した。
<ようかん><銀姫><高杉の逃亡>といった3つのテーマを掛け合わせた今回のエピソード。
多少、強引な気がするが、現状でできることはこれくらいだろう。
なぜなら前半の松下村塾編、現在の大奥編は完全に独立していて、伏線やエピソードの積み重ねがまったくないのだから。
唯一、繋がっているのは、至誠=「懸命に思えば、思いは通じる」。
おそらく今後も<至誠>が重要なキイワードになってくるのであろう。
まあ、個人的な見解を言わせてもらえば、物事は<至誠>だけで解決するとは思いませんけどね。
<お金>とか<権力>とか<パワーバランス>とか<偶然>が絡み合って、世の中は動いている。
今回、美和が大奥を追い出されなかったのだって、銀姫の<権力>があったから。
銀姫に子供が授かるという<偶然>があったから。
至誠万歳!
至誠万能!
というテーマでは、すこし薄い気がする。
篤姫が幾島に向かって言った台詞ですね。
その幾島が今回は「御前様」。
元徳のもとに駆けてゆく銀姫の姿は家定のもとに駆けてゆく篤姫そのもの。
完全に「篤姫」の「オマージュ」の様相を呈していますが、私は結構楽しめるようになりました。
対立気味の出会いから心を通わせてゆくというパターン、「ベタ」かもしれませんが私は好きです。
今回で銀姫と美和との絆はほぼ確立したと言ってよさそうです。
今後はおそらく銀姫と共同での椋梨派との闘いでしょうね。
>現状でできることはこれくらいだろう。
>なぜなら前半の松下村塾編、現在の大奥編は完全に独立していて、伏線やエピソードの積み重ねがまったくないのだから。
まさにおっしゃるとおりですね。
相変わらず調子よすぎる「ご都合主義」の展開もそのためと割り切って大目に見るしかないでしょう。
私の感覚では前半の松下村塾編は無かった方がよい-それでは首相・会長の意に添わず、「松陰の妹・玄瑞の妻」の意味も無くなりますが-くらいに思います。
未だに「攘夷」などと世迷い言を述べ立てて高杉を付け狙う松下村塾の残党-失礼!中には明治後まで勝ち抜いて「元勲」になる人もいるのですが-が前半の亡霊のように登場するのを見ると、「いい加減にしてくれ」と言いたくなります。
私に言わせれば「至誠」もまた前半の亡霊ですね。
>至誠万歳! 至誠万能!
>というテーマでは、すこし薄い気がする。
「すこし薄い」どころか、以前ご紹介した相良亨氏によれば、しばしば日本人の欠陥につながりかねない思想-二二六事件の青年将校も左派過激派も正当化される-と言うこともできます。
>私は結構楽しめるようになりました。
TEPOさんなら、この展開、お好きだと思っていました。
おっしゃるとおり、今回は美和と銀姫が心を通わせましたからね。
「私はお前が嫌いじゃ」と、篤姫が幾島に言ったことは覚えていませんでした。
今作の作家さんは、それを意識したのでしょうか。
松坂慶子さんといい、本当にオマージュですよね。
>「至誠」もまた前半の亡霊
的確な言葉ですね。
でも、この亡霊、野山獄にも刻まれていましたし、これからもいろいろな場面で登場してきそうですね。
僕には、作品全体のテーマのようにも思えてきました。
相良亨氏は226事件を、こう捉えておられるのですか。
至誠は<日本人の欠陥につながりかねない思想>であるとも。
僕の中にも、至誠的な部分があるので、これを客観視し、ぶっ壊していきたいと考えています。