平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

曲げられない女 最終話 自分を生きる

2010年03月18日 | 恋愛ドラマ
 何と言っても菅野美穂さんの演技に尽きる。
 あのテンション、大きく目を見開き、顔中からほとばしる汗。声が裏返る。
 今回は長ぜりふ。
 以前、ドラマ「チェンジ」で木村拓哉さん演じる総理が15分のせりふをしゃべったが、あれなどより数倍いい。
 本音があり、魂がある。内容がある。

 自分を貫き通すことって大変だ。
 世間の目があり、周囲の無理解があり、孤独で不安だ。
 だから世間の常識に合わせたり、他人の甘い言葉に惑わされたりする。
 「10年も司法試験受けてるの? 向いてないのよ」「もういい歳なんだから」「エリート弁護士と結婚すればバラ色の生活を送れるのに」「このままひとりで暮らすの?老後はどうするの」「妥協するのも人生よ」「才能ないのよ」「お母さんに孫の顔見せてあげたら」
 これらの言葉に惑わされて、人はいつのまにかウソの人生を歩むことになる。
 そして、どこか違うと思いながら、心の隙間をつまらないことで埋めようとする。

 それはかつての璃子(永作博美)や光輝(谷原章介)がそうだった。
 幸せな家庭、エリート官僚。
 この他人からはよく見える生活の中で、空虚を感じている。
 空虚を他人に覚られないためにウソを演じて、ウソを積み重ねていく。
 そして早紀(菅野美穂)のような存在を自分と同じレベルに落とそうとする。
 「ほらね、みんな、そうだから、あたしもこれでいいのよ」と自分に言い聞かせるために。

 だが、早紀は違った。
 世間の常識や甘い言葉に曲がらない。
 だから逆に璃子や光輝は影響を受けて、自分のウソの生活を見つめ、自分を取り戻した。
 正登(塚本高史)も最後にはそうなった。

 <自分であること>ってとても難しい。
 先程のような周囲の目もあるし、何より<自分とは何か?><自分は何をやりたいのか?>ということを見出せないこともある。
 <自分探し>の途中にある人は大いに迷って自分を見つけていけばいいが、少なくとも<自分のやりたいこと>を見つけた人は、早紀のように自分を曲げずに生きればいい。
 その生き方は、早紀がそうであったように、困難が伴うが、少なくともウソの空虚な生活を送るよりはいい。
 そして本当の自分の生活を送っていれば、璃子や光輝のような本当の友達が出来るのだ。
 ウソの生活を送っている者には、璃子の家族がそうであったように、ウソの関係しか出来ない。
 本当の自分を生きている者を応援してくれる人、それが真の友達なのだ。

 早紀の生き方を見て、われわれは何を考えるか?
 「こんなことウソ。早紀がラスト幸せになったのはドラマだからで、現実には真の友達なんか現れないし、惨めなひとりの生活が待っているだけだ」と考えるかもしれない。
 「いや、早紀のような自分を貫き通す生き方が現在大切だ」と考えるかもしれない。
 そのことをこの作品は問うている。

 久々に骨太のしっかりした主張を持ったドラマを見た。

※追記
 第一話のレビューで僕は、早紀は<自分本位で他人を思いやる気持ちがない>みたいなことを書いたが、訂正します。
 今回の早紀のせりふにもあったが、早紀は何よりも他人の幸せを考えていた。ウソの生活を送る者には「それは違う」と言ってきた。
 これが根本にあるのとないのとでは大きく違う。
 これがないと、ただの<自分本位><自分勝手>になってしまう。

※追記
 最終回の視聴率は18.8%だったそうだ。
 しっかりしたドラマを作っていれば数字は獲れるんですね。



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