何と言っても菅野美穂さんの演技に尽きる。
あのテンション、大きく目を見開き、顔中からほとばしる汗。声が裏返る。
今回は長ぜりふ。
以前、ドラマ「チェンジ」で木村拓哉さん演じる総理が15分のせりふをしゃべったが、あれなどより数倍いい。
本音があり、魂がある。内容がある。
自分を貫き通すことって大変だ。
世間の目があり、周囲の無理解があり、孤独で不安だ。
だから世間の常識に合わせたり、他人の甘い言葉に惑わされたりする。
「10年も司法試験受けてるの? 向いてないのよ」「もういい歳なんだから」「エリート弁護士と結婚すればバラ色の生活を送れるのに」「このままひとりで暮らすの?老後はどうするの」「妥協するのも人生よ」「才能ないのよ」「お母さんに孫の顔見せてあげたら」
これらの言葉に惑わされて、人はいつのまにかウソの人生を歩むことになる。
そして、どこか違うと思いながら、心の隙間をつまらないことで埋めようとする。
それはかつての璃子(永作博美)や光輝(谷原章介)がそうだった。
幸せな家庭、エリート官僚。
この他人からはよく見える生活の中で、空虚を感じている。
空虚を他人に覚られないためにウソを演じて、ウソを積み重ねていく。
そして早紀(菅野美穂)のような存在を自分と同じレベルに落とそうとする。
「ほらね、みんな、そうだから、あたしもこれでいいのよ」と自分に言い聞かせるために。
だが、早紀は違った。
世間の常識や甘い言葉に曲がらない。
だから逆に璃子や光輝は影響を受けて、自分のウソの生活を見つめ、自分を取り戻した。
正登(塚本高史)も最後にはそうなった。
<自分であること>ってとても難しい。
先程のような周囲の目もあるし、何より<自分とは何か?><自分は何をやりたいのか?>ということを見出せないこともある。
<自分探し>の途中にある人は大いに迷って自分を見つけていけばいいが、少なくとも<自分のやりたいこと>を見つけた人は、早紀のように自分を曲げずに生きればいい。
その生き方は、早紀がそうであったように、困難が伴うが、少なくともウソの空虚な生活を送るよりはいい。
そして本当の自分の生活を送っていれば、璃子や光輝のような本当の友達が出来るのだ。
ウソの生活を送っている者には、璃子の家族がそうであったように、ウソの関係しか出来ない。
本当の自分を生きている者を応援してくれる人、それが真の友達なのだ。
早紀の生き方を見て、われわれは何を考えるか?
「こんなことウソ。早紀がラスト幸せになったのはドラマだからで、現実には真の友達なんか現れないし、惨めなひとりの生活が待っているだけだ」と考えるかもしれない。
「いや、早紀のような自分を貫き通す生き方が現在大切だ」と考えるかもしれない。
そのことをこの作品は問うている。
久々に骨太のしっかりした主張を持ったドラマを見た。
※追記
第一話のレビューで僕は、早紀は<自分本位で他人を思いやる気持ちがない>みたいなことを書いたが、訂正します。
今回の早紀のせりふにもあったが、早紀は何よりも他人の幸せを考えていた。ウソの生活を送る者には「それは違う」と言ってきた。
これが根本にあるのとないのとでは大きく違う。
これがないと、ただの<自分本位><自分勝手>になってしまう。
※追記
最終回の視聴率は18.8%だったそうだ。
しっかりしたドラマを作っていれば数字は獲れるんですね。
あのテンション、大きく目を見開き、顔中からほとばしる汗。声が裏返る。
今回は長ぜりふ。
以前、ドラマ「チェンジ」で木村拓哉さん演じる総理が15分のせりふをしゃべったが、あれなどより数倍いい。
本音があり、魂がある。内容がある。
自分を貫き通すことって大変だ。
世間の目があり、周囲の無理解があり、孤独で不安だ。
だから世間の常識に合わせたり、他人の甘い言葉に惑わされたりする。
「10年も司法試験受けてるの? 向いてないのよ」「もういい歳なんだから」「エリート弁護士と結婚すればバラ色の生活を送れるのに」「このままひとりで暮らすの?老後はどうするの」「妥協するのも人生よ」「才能ないのよ」「お母さんに孫の顔見せてあげたら」
これらの言葉に惑わされて、人はいつのまにかウソの人生を歩むことになる。
そして、どこか違うと思いながら、心の隙間をつまらないことで埋めようとする。
それはかつての璃子(永作博美)や光輝(谷原章介)がそうだった。
幸せな家庭、エリート官僚。
この他人からはよく見える生活の中で、空虚を感じている。
空虚を他人に覚られないためにウソを演じて、ウソを積み重ねていく。
そして早紀(菅野美穂)のような存在を自分と同じレベルに落とそうとする。
「ほらね、みんな、そうだから、あたしもこれでいいのよ」と自分に言い聞かせるために。
だが、早紀は違った。
世間の常識や甘い言葉に曲がらない。
だから逆に璃子や光輝は影響を受けて、自分のウソの生活を見つめ、自分を取り戻した。
正登(塚本高史)も最後にはそうなった。
<自分であること>ってとても難しい。
先程のような周囲の目もあるし、何より<自分とは何か?><自分は何をやりたいのか?>ということを見出せないこともある。
<自分探し>の途中にある人は大いに迷って自分を見つけていけばいいが、少なくとも<自分のやりたいこと>を見つけた人は、早紀のように自分を曲げずに生きればいい。
その生き方は、早紀がそうであったように、困難が伴うが、少なくともウソの空虚な生活を送るよりはいい。
そして本当の自分の生活を送っていれば、璃子や光輝のような本当の友達が出来るのだ。
ウソの生活を送っている者には、璃子の家族がそうであったように、ウソの関係しか出来ない。
本当の自分を生きている者を応援してくれる人、それが真の友達なのだ。
早紀の生き方を見て、われわれは何を考えるか?
「こんなことウソ。早紀がラスト幸せになったのはドラマだからで、現実には真の友達なんか現れないし、惨めなひとりの生活が待っているだけだ」と考えるかもしれない。
「いや、早紀のような自分を貫き通す生き方が現在大切だ」と考えるかもしれない。
そのことをこの作品は問うている。
久々に骨太のしっかりした主張を持ったドラマを見た。
※追記
第一話のレビューで僕は、早紀は<自分本位で他人を思いやる気持ちがない>みたいなことを書いたが、訂正します。
今回の早紀のせりふにもあったが、早紀は何よりも他人の幸せを考えていた。ウソの生活を送る者には「それは違う」と言ってきた。
これが根本にあるのとないのとでは大きく違う。
これがないと、ただの<自分本位><自分勝手>になってしまう。
※追記
最終回の視聴率は18.8%だったそうだ。
しっかりしたドラマを作っていれば数字は獲れるんですね。
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