平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「ゲゲゲの女房」名セリフ(再録)

2011年01月02日 | ホームドラマ
 年始でバタバタしていますので、昨年9/30 10/1の記事「ゲゲゲの女房」名セリフの再録です。

★まずは茂(向井理)

 「自分は幸運です。腕一本なくしただけで生きて帰れたんですから」
 「自分は生きている人間には同情せんのです」

 生きているだけで丸儲け。
 戦争で戦友を亡くした茂にはこの考え方がある。
 また幸福とは相対的なもの。
 たとえば茂は戦争で腕をなくした。それは普通なら嘆き悲しむことであるが、戦争で命を落とすことに比べたら幸福。
 考え方次第で物事は幸福にも不幸にもなるんですね。
 貧乏に対する考え方も次のようなもの。

 「好きなことをやっているから貧乏でも仕方がないのです」

 こう思えれば幸せだ。
 貧乏も受け入れられる。
 だから都会に馴染めない太一にもこう言える。 

 「お互いうまくいっとりませんな。まあ、のんびりやればいいのです」

 教師の仕事で悩んでいる藍子にもゲーテの言葉を引用してこうアドバイスする。

 「うまくいかないときは焦らず好機の到来を待て」
 「努力している時は悩むもの」
 「本当に好きなこととは、悩んで苦しくてもやってしまうこと」(これは茂の言葉)

 実にたくましい人生哲学だ。
 つらい時、うまくいかない時には思い出したい。生きているだけで丸儲けという考え方も。
 そんな茂だから他人に対しても優しい。
 常に相手の長所を見る。 
 絵が下手くそでアシスタントして使いものにならない菅井(柄本佑)について茂はこう言う。

 「根気の良さなら誰にも負けない。それに見とって面白い」

★布美枝(松下奈緒)と茂の夫婦関係も名セリフがいっぱいだった。
 見合い相手の茂が戦場で怪我をして片腕がないと、父親に告げられた時のこと。
 布美枝はこうつぶやく。

 「服の袖はどうしてるんだろう?」

 裁縫が得意な布美枝らしいリアクションだ。
 そして見合い。
 ふたりが交わした会話も次のひと言だけだ。

 「自転車には乗れますか?」

 昔はこれで結婚が成立していたんですね。
 そして<自転車>は後の伏線に。
 結婚しても茂は仕事ばかりで、布美枝は孤独を感じる。自分は何なんだろうと思う。
 するとある時、茂は<自転車>を買ってきた。
 その時に布美枝はこうつぶやく。

 「……これを買いに?」

 たったひと言だが、布美枝のうれしい気持ちが伝わってくる名セリフだ。
 このエピソードの時の週タイトルは「花と自転車」だったが(←実にいいタイトル)、登場人物の気持ちを表す小道具として、自転車、そして花=ナズナの使い方も上手かった。

 また、この作品でふたりが本当の夫婦になった瞬間としてよく引用されるのがこのせりふ。

 「この人は本物の漫画家ですけん!」

 茂を責める父親・源兵衛(大杉漣)に布美枝はこう反論したのだ。
 今まで父親に反論したことのないおとなしい娘だったのに。
 そして源兵衛を駅に送る時にはこう言う。

 「お金はないけど、私、毎日笑って暮らしてるよ」

 これに対して源兵衛が安来の家に帰って言ったせりふも秀逸だ。

 「金には恵まれていないが、人の縁には恵まれているようだ」

 こうして強くなっていく茂と布美枝の絆。
 布美枝が原稿料の取り立てに言って半分しか取れなかった時には茂はこう言う。
 
 「仕方がない。俺がやっても同じだっただろう」

 ぶっきらぼうでありながら茂はいざという時に優しい。
 また貧乏が極まり、漫画家廃業を茂が考えた時には布美枝は……

 「お父ちゃんは強い人。腕が三本だから何とかなりますよ」

 <腕が三本>とは茂の手一本と布美枝の手二本を合わせて三本ということ。
 「何とかなりますよ」と言えるのも布美枝の強さ。
 そしてふたりは最後には夫婦ゲンカをするようになった。
 娘の藍子の進路をめぐって……

 「おや? おやおやおや?」
 「あら? あらあらあら?」

 これは向井さん、松下さんのアドリブだそうだが、こんなアドリブが出るほど、ふたりは息が合う夫婦になっていたんですね。

★エンタテインメント論。

 「真実を見せられて誰が喜ぶんだ?」
 「抵抗が大きければ大きいほど当たれば大きい」
 「同じことをやっていても現状は打破できない」
 「数が少なくても熱烈なファンがいればブレイクする」

 大手出版社・豊川(眞島秀和)の言葉。
 豊川はサラリーマン編集者ではなく、心に引っかかるものを大事にする編集者だった。

 貸本出版社の社長・冨田(うじきつよし)のエピソードも見事なエンタテインメント論。
 冨田にとって金儲けの道具でしかないと思っていた漫画。
 だが、彼は後に戦後の闇市で買った漫画に救われたことを語る。
 冨田は飢えていて漫画本など買っている余裕はないのに思わず買ってしまい、貪り読んだ。そして物語が心にしみ通って明るい気持ちになったと言う。
 まさに人はパンのみに生きるものにあらずだ。

★脇キャラの名セリフもいっぱいだった。
 茂の父・修平(風間杜夫)の最期の言葉。

 「何だ、もう終わりか。面白かったなぁ」

 修平の人生はロマンを求め、まさに<人生は活動写真のように>の人だった。
 そんな修平がたどりついた人生の結論は「人生は屁のごとし」。
 実にユニークだ。

 茂の母・絹代(竹下景子)は強かった。

 「千万人と言えども我、行かん」

 千万人の人間が同じ方向を向いていても間違っていると思えば、その方向に行かない。あくまで自分を貫く。
 国民のほとんどが同じ方向を向いていた戦争中でも、自分を貫く強さ。
 皆が全員「正しい」と言ってることでも間違っていることは間違っていると言える強さ。
 見習いたい。
 それでもまわりが自分と同じようになることを強要してきたらこう返す。

 「名字帯刀御免の家柄ですけん!」

 また、この作品には先程の豊川を始めたくさんの漫画バカが登場した。
 その筆頭は深沢(村上弘明)。

 「大きくしてどうするんだ? 私はゼタを自由に漫画が描ける場所にしておきたい」

 深沢は自分の雑誌「ゼタ」が商業主義に取り込まれることを嫌った。自分の理想の雑誌にこだわった。
 その結果、郁子(桜田聖子)を失う結果になったが、それを仕方ないと考える。
 アシスタント倉田(窪田正孝)も布美枝の妹との恋愛を捨てて漫画にこだわった。

 戌井(梶原善)も漫画バカだった。
 いい漫画のためだけに情熱を傾ける。その結果いつも貧乏。
 だから茂が成功して水木プロを立ち上げたパーティでもこんなせりふ。

 「バナナなんか持ってきて気が利かないですね」

 でも茂はバナナを有り難く受け取る。
 バナナは戌井と歩んだ貧乏時代を象徴するアイテムだったからだ。
 バナナがふたりを繋ぐもの。
 また、そんな漫画バカの戌井を「しょうがないわね」と言いながら支える戌井の奥さんの存在も味があった。

 一方漫画を諦めて捨てていった者もいた。はるこ(南明奈)だ。
 しかし小学校の教師になった彼女は言う。

 「漫画家魂は残る」

 漫画で表現することと教壇で表現すること。これらははるこにとって同じことなのだ。

★その他のせりふでは美智子(松坂慶子)と太一。
 自分の子供を亡くした美智子は、太一を自分の子供のように思っている。
 だから太一のために夕飯を作っている時のこのせりふ。

 「肉団子とハンバーグとどっちがいい?」
 だが「鬼太郎」を読みふける太一は「どっちでもいい」と無関心。
 すると美智子。
 「もう、張り合いがないわね」

 人には<愛情を注がせてくれる他者><迷惑をかけ心配させてくれる他者><張り合いを持たせてくれる他者>が必要なのだ。

 たくましいキャラクターという点ではやはり浦木(杉浦太陽)。
 口八丁手八丁で世の中を渡り歩いていくたくましさ。
 絹代や源兵衛のような強い者にはへりくだり逃げるしたたかさ。
 都合の悪い人ことはしっかり忘れる調子良さ。(冨田書房の冨田をダマしたのに冨田に会っても「誰だったっけ」と思い出せない)
 「浦木さんってC調なんですね」とはるこは言ったが、まさにそのとおり。
 「龍馬伝」で言えば、岩崎弥太郎を思わせる。
 そんな浦木も最後のパーティのシーンでは茂にこう言われてた。

 「漫画と同じでお前のようなやつがいないと世の中つまらん」

 確かに直接関わると面倒そうですが、浦木のような人を見ている分には楽しそう。
 それにしてもアシスタント菅井の場合もそうだったが、茂の人物評価というのは大きく面白い。

★最後の名セリフはこれ。

 「妖怪が住みにくい世界は人間も住みにくい世界」

 次女・喜子が言ったせりふ。
 <貧乏>なのは<貧乏神>のせい。
 <忙しい>のは<妖怪いそがし>のせい。
 そう思えると、現実の見方が広がって豊かになる。
 <貧乏>なのは、政治が悪いから、努力が足りないから、デフレだからでは味気ない。
 これは物事の見方でも同じ。
 <南国のお面に精霊の魂が宿っていると思えれば宝物になるし、思えなければ単なるガラクタになる>
 同じお面なら精霊が宿っていると思って宝物にした方が楽しい。




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