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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

八重の桜 第34回「帰って来た男」~兄も私も人が反対することばかりやって来ましたから

2013年08月26日 | 大河ドラマ・時代劇
 新島襄(オダギリジョー)が妻にしたい女性とは<自分の考えを持っていてひとりで生きていける人>。
 つまり八重(綾瀬はるか)なのだ。
 ちなみに槇村(高嶋政宏)が一番苦手なおなごでもある。(笑)

 しかし、ふたりには越えなくてはならない大きな壁がある。
 それは、会津での理不尽ないくさを戦ってきた八重にとって、新島が説く<キリスト教の教え>はどうしても理解出来ないものだということ。
 『汝の敵を愛せ』『敵のために祈れ』『右の頬を打たれたら左の頬も出せ』
 つまり憎しみを捨てろということだと思うが、別のとらえ方をすれば、<世の中の常識を捨てろ>ということ。
 一般的に言えば、<敵を憎み、やられたらやり返す>のはふつうの発想。
 世の中はそういう論理で動いている。
 右の頬を打たれたら左の頬も出すなんて、人の良い愚か者のすること。(カトリック作家の遠藤周作先生はこれを『おバカさん』という小説で表現した)
 そして、宗教はそういう世の中の論理から外れた考え方を説くことに意味があるんですね。
 政治や経済は現実を説き、宗教や哲学は理想を説く。
 キリストは当時としてはとんでもないことを主張したから、十字架にかけられた。

 さて宗教論はさておき、この<世の中の常識を捨てろ>という所に八重と新島の接点がある。
 八重は新島にこう語った。
「兄も私も人が反対することばかりやって来ましたから」
 <人が反対することをする>とは、<世の中の常識とは違うことをする>ということ。
 女だてらに鉄砲を撃つという非常識は、汝の敵を愛せというキリスト教や新島が寺社ばかりの京都にキリスト教の学校を作ろうとする非常識にも通じる。
 というわけで、ふたりには常識と違うことをするという共通点があるのだ。
 あとは八重がキリスト教で「恨みや憎しみを越えていく新しい道」を見つけられるかどうか。

 鉄砲からキリスト教へ。
 八重の変貌が始まろうとしている。

コメント (2)
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