随分、昔の作品を引っ張り出してきましたね。
ベラ役の杏さんが一番うまく化けている。しっくり来ている。
ベムの亀梨さんは灰色のロン毛が気になる。あれ、ウイッグですよね。地毛でもよかったのに。
ベロはいかにも鈴木福くんという感じ。ベロよりも福くんという感じ。
コスプレしている感が払拭されるまで少し時間がかかりそう。
テーマは<人間は信用できるか?><人間を愛すべきなのか、憎むべきなのか?>
このテーマで、数年前の『秋葉原連続殺傷事件』を思い出した。
秋葉原の日曜日の歩行者天国に車でツッ込んで、人々を殺傷していった事件。
あの事件の加藤智大被告は、社会から疎外された人間だった。
会社からは不当な扱いを受けたと思い込み、彼女や友達は出来ず、自分は人から愛されることのない人間、やさしくされることのない人間だと思っていた。
まさにベムたちと同じ。
そして、人間を憎んだ結果、あの凶行に及んだ。
この作品の問題意識の根底には、この事件があるのではないか?
一方、ベムたち。
加藤被告と同じように人間から疎外されても、彼らは人間を信じる。助けようとする。
「俺は人間を信じたい」
「助けを求めている人を助けなければ、俺はただの妖怪になってしまう」
加藤被告は<妖怪>になってしまったのかもしれないですね。
第一話の犯人の先輩刑事・畑山悟(光石研)が、憎悪にとらわれ自分を見失ってしまったように。
なので、ラストに登場した名前のない男(柄本明)の言葉が突き刺さる。
「人は心に思うものになるのです」
※追記。
最後にもうひとつ。夏目刑事(北村一輝)の言葉。
「つらい時こそ、チョコが美味い」
こう思えれば、人は憎悪に囚われず、<妖怪>にならずに済むのかもしれません。
※追記
ベラが言う「何が正義かわからない」という主張も的を得ている。
復讐をしている畑山刑事。
しかし、息子を死に追いやり、何も感じていない若者三人こそ悪ではないのか?
畑山刑事のしていることは、見方を変えれば正しいのではないか?
こんなふうに考えていくと、何が正義で何が悪なのかわからなくなってくる。
単なる勧善懲悪に終わらないドラマづくりにも作家の意識の高さを感じる。
ベラ役の杏さんが一番うまく化けている。しっくり来ている。
ベムの亀梨さんは灰色のロン毛が気になる。あれ、ウイッグですよね。地毛でもよかったのに。
ベロはいかにも鈴木福くんという感じ。ベロよりも福くんという感じ。
コスプレしている感が払拭されるまで少し時間がかかりそう。
テーマは<人間は信用できるか?><人間を愛すべきなのか、憎むべきなのか?>
このテーマで、数年前の『秋葉原連続殺傷事件』を思い出した。
秋葉原の日曜日の歩行者天国に車でツッ込んで、人々を殺傷していった事件。
あの事件の加藤智大被告は、社会から疎外された人間だった。
会社からは不当な扱いを受けたと思い込み、彼女や友達は出来ず、自分は人から愛されることのない人間、やさしくされることのない人間だと思っていた。
まさにベムたちと同じ。
そして、人間を憎んだ結果、あの凶行に及んだ。
この作品の問題意識の根底には、この事件があるのではないか?
一方、ベムたち。
加藤被告と同じように人間から疎外されても、彼らは人間を信じる。助けようとする。
「俺は人間を信じたい」
「助けを求めている人を助けなければ、俺はただの妖怪になってしまう」
加藤被告は<妖怪>になってしまったのかもしれないですね。
第一話の犯人の先輩刑事・畑山悟(光石研)が、憎悪にとらわれ自分を見失ってしまったように。
なので、ラストに登場した名前のない男(柄本明)の言葉が突き刺さる。
「人は心に思うものになるのです」
※追記。
最後にもうひとつ。夏目刑事(北村一輝)の言葉。
「つらい時こそ、チョコが美味い」
こう思えれば、人は憎悪に囚われず、<妖怪>にならずに済むのかもしれません。
※追記
ベラが言う「何が正義かわからない」という主張も的を得ている。
復讐をしている畑山刑事。
しかし、息子を死に追いやり、何も感じていない若者三人こそ悪ではないのか?
畑山刑事のしていることは、見方を変えれば正しいのではないか?
こんなふうに考えていくと、何が正義で何が悪なのかわからなくなってくる。
単なる勧善懲悪に終わらないドラマづくりにも作家の意識の高さを感じる。