




晩秋~初冬瀬戸際の散歩中 ポッと浮かんだ思い付きだけれど
宮澤賢治さんの「岩手山」の詩に表現される「ひかりの微塵系列
の底」とは‥彼の人は宇宙(青空の彼方)へ御山が楔を打ったか
のような感覚で(世の中も含め?)展望していたのだろうか‥?
詩の後段では「‥きたなくしろく澱むもの」と記しているので‥
きっとそうかもしれない。詩の季節は 晩春の感じはするが‥。
そう思い起こさせた季節が秋の御山でちょっとチャランポラン
かもしれないが折角だから 微塵の感覚をなぞって写真にするな
ら‥こんなかな?いやはや これは困難ナリ 無理は禁物。
ネタを捨てがたく 手の届きそうで勝手な独断スケールの街角
観賞に切り替えてみる。洒落たお家も ビル街も 黄ばむ街路樹
も ひょっとしたら なにか気づきがあるかなと 浅はかな期待
感だけで みな逆様に見てしまおうと試みてみるが‥残念ながら
忍び寄る寒気しか感じられないので 凡人(否!才能なし)決定
を自覚するだけなのであった。
寒さが 内外ともにじわじわと身に染みてくる昨今である。
「冬麗の微塵となりて去らんとす:相馬遷子」