安倍一族滅亡の地として 今日では「前九年合戦」と表記される「奥州十二年合戦」の決戦場が厨川柵(兵の拠点)である。
(安倍氏の血筋は21年後の後三年合戦を経て 藤原清衡(キヨヒラ)が復興)…だが 複数の古文書に記録記載されながら 現在もその場所は特定されていない。
専門的なことは研究者にお預けしながら 多数の自称郷土史研究家?
の関心は強く その推理には それぞれの熱い持論と思惑を展開させながら 議論白熱。
ひとたび講師を招いての歴史講座が開講すると だいたい満員御礼の場合が多く 当然ながら 安倍一族びいきでいっぱい。
(判官びいき的要素がある?)…時計を逆回しするわけにも 歴史地層のX線写真を撮ることも無理。
なので…せめて昭和23年の空中写真で歴史物語を妄想すると この地域にどれだけ霊魂が彷徨ってるんだろうと ふと素朴な疑問が湧いてしまいました。
写真が高低さや古い河道も推測できるほど あまりにもリアル過ぎました。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=37367&isDetail=false
(国土地理院の地図検索は開放的で素晴らしい!ことにも 今回気が付きましたけれど・・;)