荒井善則展覧会情報

旭川と長野を中心に、作品活動をしています。その中で、展覧会情報をお送りします。

光州最後の夜2

2014年11月30日 | 日記

連日の韓国料理

連日の韓国料理(軽めのエイ)

連日の韓国料理

作品の片付けも終わり、残留組のジジイ二人、光州での交流展の残務整理を全て終えて帰国する。

夕食の後、ソウルから来てくれた友人、朴さんと尹さんを囲み料理を囲む。

深夜便のバスでソウルに帰るまで、とジンロで杯を重ねるうちに、貸し切り状態になった店は熱気がこもる。

この数年、ソウル、札幌、旭川、名寄、長野で再会をし、その度に美味しい酒を酌み交わす。

名残惜しい中、朴さんと尹さんの二人のコンビ名を「やっぱ・おっぱ」と命名し、杯を置いた。

ハグの別れは力強く、これも友情が成せるわざ。感謝。

光州の地で出会った新たな友人と、交流会を通して得た大きな財産は次のステップに向かって歩み始める。

光州最後の夜1

2014年11月29日 | 日記






後片付けが終わり、最初から最後までお世話になったカンさんと友人は、残留組の柿崎さん、

帯広からビエンナーレを見に来た梅田・伽井さんを、サンゲタンの夕食に誘ってくれた。

カンさんのもう一人の友人からは、交流会を祝ってケーキのプレゼント。

2・0・0のロウソクは、今回の第2回目が20回に、そして200回まで続くようにと、

改めてこの地の人々の心暖まる気配りに、交流展の成果として物語っていたことを実感する。

ケーキは二次会でいただき、お腹が破裂するのではと思うくらい、身も心も満腹となった。

小旅行6

2014年11月27日 | 日記






光州郊外の古刹巡り

光州地方は紅葉真っ盛り、どこも行楽のシーズンで観光客が一杯。

行楽地は大型バスや乗用車が行き交う中、駐車場を確保することが先決。

韓国仏教界の道場として多くの僧が修業をしている、松広寺(ソングァンサ)と仙岩寺に行って来た。

歴史を重んじ、古刹の建築や環境を整えて多くの参拝客で賑わっている。

松広寺(ソングァンサ)は、海印寺(ヘイインサ)、通度寺(トドンサ)、韓国の三宝寺刹。

海印寺には40年近く前に教典の八幡大蔵経の版木を見に行ったことがあり、次は通度寺。

どの施設も65歳以上は無料、そんな年になったかと思っていたら外国人は有料。

銀座を行き交うような人ごみの中、柿の収穫シーズンと重なり道端のおばあちゃんの物売りが風情を誘う。

画家の系統を魅せる尹氏のギャラリーは、画室や庭園全体を通して韓国の伝統的な長閑さを垣間見せている。

観光地、何処に行っても人ばかり、かくいう私もその一人。

寝るに限る

2014年11月27日 | 日記

全州韓屋ーゴムシンをはいた二人のジジイ


光州郊外ー竹筒のゆで卵

数日前から体がだるく、微熱があるようだ。

昨日は一日、ほとんどベッドに横たわり眠っていた。

こんな時は思考回路も負に転じ、何をやっても空回り。

対人だって愛想は悪いし、顔色も悪い。

思い過ごしだったり、思い込みだったり、頭の回転が鈍くなる。

こんな時は、本を読みながら黙って横になるに限る。

風邪の兆候がある時は、何となく解るような気がする。

突き詰めると、トシだってことか。

小旅行5

2014年11月25日 | 日記


















珍島

ソウルの友人、朴さんと尹さんが光州まで交流展を見に来てくれたことから、

珍島までドライブに連れて行ってもらった。

セウォル号の沈没に一番近い島、珍島には是非行きたいと願っていただけに、車に乗った途端目頭が熱くなる。

防波堤には鎮魂の黄色いリボンや写真が入ったメッセージが、岸壁の手すりを埋める。

テレビから流れた風景に、ただ手を合わせるだけ。

将来ある若い多くの高校生が、こんなことで亡くなるなんて、彼らの無念さは言葉で言い尽くせない。

家族に身になってみたら、突然どん底に落とされたようなもの。

手向ける花も無く、黄色のリボンも無く、彼らの冥福を祈るだけ、涙が海を霞ませる。

誰が投じたか、黄色の風船が波間を漂い、少しずつ沖に流れ行く。

この時点で、まだ9名が船に閉じ込められているという。

判決が光州裁判所から発信されたが、あれでは家族はたまらない。