goo

「塩の道」をたどって、、、谷村美術館から日本海へ

8月30日、国会や日比谷公園では12万人もの人が安保法案反対のために集まりましたが、半年以上前からの予定で白馬に滞在していました。  
30日の白馬の朝は小雨。 山歩きはあきらめて、「チョッと変わった美術館がある」と聞いて糸魚川まで行ってみました。

塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた「塩の道」。
糸魚川から松本までの千国街道(ちくにかいどう)もそういった「塩の道」の一つで、宿の白馬村には、飯森や塩島新田などの地名に昔の宿場の名が残っています。
白馬から糸魚川までは国道148号で47.1km 約1時間で日本海です。

中学校の理科か社会で学んだ「フォッサマグナ」(大地溝帯)の西縁の「糸井川静岡構造線」を流れる姫川は、良質な翡翠の産地としても知られており、その翡翠で財を成した(らしい)谷村氏が親交の深かった木彫芸術家 澤田政廣の仏像を展示するため、建築家の村野藤吾に依頼してつくったという、ここだけ聞くと『トンデモ系』の美術館ですが、「90歳を超えても創作意欲は落ちず、死の前日まで仕事をしていた(Wikipedia)」という村野東吾の最晩年の作品が この谷村美術館です。


シルクロードの砂漠の遺跡をイメージさせる建物の中は石窟のようになっていて、一つの部屋に一体の仏像が安置され、回廊を歩くと自然に次の仏像に対面するような平面計画。


和風建築にも造詣が深かったという村野らしく、敦煌の石窟を思わせるような建物から出た先に「枯山水」を配したり、建物の裏手には採光用の出っ張りを使って南太平洋のモアイ像を思わせる意匠を作ったりして、氏の代表作と言われる「世界平和祈念堂」のかっちりとした意匠とは対照的に、最晩年の奔放さを表した作品となっています。

美術館に隣接する「玉翠園」は、島根県の足立美術館や京都城南宮などの作庭家で「昭和の小堀遠州」とも呼ばれる中根金作が手掛けた日本庭園




喫茶室の窓枠を額縁に見立てて眺めるのも一興です




美術館の高台を下るとそこは日本海。

日射しがあれば綺麗な澄んだ青海原が広がっていたのでしょうが、この日は生憎の小雨模様。 家人が久しぶりに見る日本海です
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )