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池田町から松本へ

列島を横断した台風18号の影響で 東京をはじめ関東地方でも3日間ほど大雨が続き、栃木では河川の決壊や土砂崩れで大きな被害が出ています。台風が日本海へ抜けた今日も、湿った空気が東北南部周辺へ流れ込み続けているため、仙台管区気象台は午前3時20分、宮城県に大雨特別警報を発表し最大級の警戒を呼びかけています。

さて 下の写真は先月31日、白馬のワイン会から一夜明けての帰り道、池田町の道の駅にある「ハーブガーデン」では アーティチョークなどが咲いていました

食べることしか知りませんでしたが、アザミみたいな花が咲くんですね

信州の山裾に広がる池田町は 気候を活かした有機低農薬な野菜づくりやハーブ栽培で頑張っているようで、ラ・ネージュで使う野菜もその多くが池田町の産と聞きます。

白馬から1時間ほどのドライブで車を返して市内を散歩。「パンやめぐり」のところでも書きましたが、「水と人形のまち」高砂通りや蔵の街並みが素敵な中町など、魅力的なスポットがいくつもありますが、こちらは中町の通りから、チョッと奥に入ったところにある「中町神明宮」。



遊具に赤錆の浮く「児童遊園」の前に建つ鳥居の脇には 次のとおりの由来が記されていました。
神明宮の由緒
中町の守護神たる神明宮は今より六百五十七年前の正中二年(西暦千三百二十五年)の正月当時湖辺の野原にあった杉の大樹の根元に越後の国の人伊保野弥太郎同じく伊勢松親子の神夢により前田氏の許しを得て小さな祠を設け伊勢大神を奉祀したのに始まる、其の後幾年かを経て深志城(松本城)が築かれ人家も次第に出来てきて、現在の奥殿の宮は元禄十年に着工し同十三年に竣工したものである。
その頃から附近に多くの人々が住むようになり各町々が出来て市などもたち当藩の家中や近郷の人々の信仰あつく産神と仰がれ此の地を神明宮屋敷と呼びあう程繁盛の地となった。彼の所謂南の大火の時は南深志の殆どを焼失したがさすがの猛火もこの神明宮でくい止められて鎮火したなど古老の語り草で今更ながら御神威の広大さを崇める次第である。此の為町内に何か不詳の事などあるごとに御日侍祭と称して大祭(七月一日)の外に神事を斉行するならわしが今日に迄続いている。
例年七月一日 大祭
中町 神明宮
昭和五十六年七月吉日建之
あの「深志神社」が社伝によれば、「諏訪明神の夢をたびたび見ていた信濃守護・小笠原貞宗が戦勝に感謝し、暦応2年(1339年)に諏訪明神(建御名方命)を祀って創建した」とありますので、おそらく松本で一番歴史のある社と思われます

松本では、綺麗な水の湧く高砂通りで自家焙煎の珈琲豆を買ってから、定番の「三城」でお蕎麦をいただきました




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