35年程前、私が医師になったばかりの頃の出来事です・・
腎臓外科という診療科に所属して、9名位だったでしょうか、同僚がいました。
最初の3か月は私は移植外科班に居て、大半をICUで過ごしていました。
最初の3か月は私は移植外科班に居て、大半をICUで過ごしていました。
当時、新しい免疫抑制剤が開発されたばかりで、用量が確立されるまで、感染症との闘いでした。
多くの方は元気になられますが、中にはカリニ肺炎に至り人工呼吸器が必要となり、ICUで亡くなっていく方もいらっしゃいました。
一方、泌尿器科班に配属された同僚は、癌の診療が多く、そのうちの一人は腎がんの患者さんの診療にあたっていました。
再発を認め、出血が続く患者さんは、輸血を繰り返しながら個室で過ごされていました。
いつも、部屋の前を通るとクラシックの音楽が遠慮がちに小さな音で流れていました。
いつも、部屋の前を通るとクラシックの音楽が遠慮がちに小さな音で流れていました。
いよいよ最期という時。
いつも聴いていたシューベルトの交響曲第8番を同僚は流してあげていたそうです。
急性期病院の中でしたから、心電図も装着されていました。
急性期病院の中でしたから、心電図も装着されていました。
そして、ご家族も到着され、声をかける中・・・
その交響曲が最後の音を鳴らし、
終わった時
心電図がフラットになった
と同僚は話してくれました。
ICUの人工呼吸器下の看取りしか知らなかった医師なりたての私は、その最期の様子に言葉にならない愛おしさというか、敬意のようなものを感じていました。
緩和医療の道に進んだ今も、最期の時は神のみぞ知るという感覚であり、人の意思や努力でコントロールはできないものだと思います。
ただ、唯一、この同僚が看取った患者さんは、音楽が魂にしみこんでいて、最期の時にその流れの中に乗っていて、音楽と共にエネルギーを昇華させたのかもしれない・・・と今も同じ思いです。
偶然だったのかもしれません。
音と共に心電図が一本の線になったと聴き、ご家族も医療者も感動を覚え、それがその方の生きざまのように感じられたことは一つの事実として記憶に残りました。
ふとしたところで、シューベルトの交響曲8番を聴いて、急にこの時の記憶が呼び戻ってきた初秋の日でした・・
PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像
そして、看取りに関わる仕事をしている今も、その時がその人らしい逝き方をすることも見てきました。そして、そういう時間に寄り添える仕事がとても大切に思えることに感謝しています。
其処に緩和ケアがあれば、患者はありがたく感謝の念に堪えない、
惜しくも過去に何人かの友人が癌でんで亡くなりましたが、今の現代医療であれば、何人救われたか、悔やみきれません。
ご経験をここにシェアしてくださり、誠にありがとうございました。
それぞれの記憶に大切なことが仕舞われているものだなあとつくづく感じました。
ありがとうございました。
aruga
医療には進歩するものと変わらないものがあります。
技術や知識、薬剤は進みますが、人の心や最期があることは変わりません。
変わることを変わらないものが合わさることで、命へのアプローチは完成するのだろうと感じます。
過去のご友人が今、生きていらっしゃったときであっても、sa-1223さんの友情が変わらず支えになるのだろうと思います。
aruga