意識にムラがあり、
つじつまがあわない言葉や振る舞いを認められるような病態を
せん妄と言います。
体に負荷がかかる身体状況(つまり、重い病気や手術後など)や
ご高齢の方には、まれではないものです。
波をもって、そうしたせん妄を認めることがある方でした。
ある日の深夜、絶食指示が出ているその方が、
「ケーキを食べたい」と言われたそうです。
その前後の状況からも、確かにやや混乱されていたようではありました。
それを聞いた病棟スタッフが、
リスペリドンというせん妄悪化時に準備されていた薬剤を持っていったら
患者さんは、「そうじゃない、ケーキだ」と立腹されたと言います。
これを、緩和ケアチームのミーティングで、報告を受け、
せん妄の悪化を認めたとするアセスメントと
拒薬か・・と聞いた時、
私は、言葉荒く、遮っていました。
本当に、せん妄と片づけてよいのか、
患者さんは本当に空腹で食べたかったのではないか、
低栄養の患者さんの身体状況が上向けば、
何か食べたいと思うのは自然なことではないのか・・
せん妄はかぶっていたかもしれないけれど、
そうした気持ちをせん妄で片づけてはいけないのではないか・・
薬を飲んでもらえないことを問題とするのではなく、
絶食の患者さんから食べたい気持ちを訴えられた時に
どう言葉を返し、どう振る舞うかということを議論すべきだと思ったのです。
そんなことがあった後、チーム回診で患者さんの所に私を含め伺った時、
患者さんは、言われました。
「おしんこ、食べたい」
「おしんこ・・ どんなおしんこですか」
「ウナギのかば焼きについているような」
他のスタッフが、横から「奈良漬かしら」
「そうそう、奈良漬。食べたいなあ」
「いいですね~。ご家族にお願いしてみましょうか。
一つご協力くださいね。お口で十分味わうことをまずは楽しみましょう。
飲み込むと苦しくなってしまうので、出してくださいね」
現実的な指示をここで伝えると、マイナスになるかなあ・・と思いながらも、
表情を見ながら伝えてみましたら、
満面の笑みで、「いいですよ~。出しますよ」と
うれしそうに言ってくださいました。
その後、中々奈良漬は手元には届かなかったようですが、
ご本人からのそうした訴えは、強くなくなり落ち着いていると聞きました。
このおしんこも、私には、とても自然な訴えとして聞こえてきました。
低ナトリウムで塩分を口にしたいと思うことは
まれなことではなく、
了解可能でしたから。
こういう対応の仕方は、
せん妄の患者さんへの否定しない姿勢として教科書には出てきます。
でも、私は、これを子育てをする中で教わりました。
言葉が出始める前の子供は、言葉にならない訴えをします。
まるで、ただ、駄々をこねているように見えても、
そこには、原因があって、何かを訴えています。
何かをさして、ダーといったとき、「ダーじゃなくて、とってでしょ?」
などと言うと、時に怒りますし、時には悲しそうにします。
取ってほしいという気持ちに対し、
言葉を教えようとしているわけですから、
そのすれ違いは、満たされないものに違いありません。
まずは、背後にある理由を探索することを
子供達にトレーニングされたなあと感じます。
もともと短気な私にとって、
それは、中々厳しいものでしたが・・・
一見つじつまが合わないことでも、
単に否定しないということだけではなく、
一度、丁寧に、それにフォーカスを当ててみることは
とても大切なことだと思います。
せん妄にかぎりません。
痛みもそうです。
よく、患者さんに向き合うという言葉が使われますが、
短い言葉には、沢山の示唆があることを
ついつい使い流してしまうことに気がついた出来事でした。
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育児から学ぶこと、多いですね。すごく共感しました。
私は患者さんをほめるようにしています。糖尿病患者さんでHbA1cが少しでも下がったらほめる、肥満の患者さんの体重が少しでも減ったらほめる、ほめてやる気を出させるというのは子育てから学んだことです。
これからも先生を見習い、患者さんの言葉を否定せず、ひとつひとつ耳を傾けていきたいです。
お子様も大きくなられたのではないかと思います。
育児経験は医師という仕事を継続するには、本当に大変なことでしたが、医師を続けていただけでは得られない大いなる学びを与えてもらったと思います。
共にこうした場で心の行き来をすることができるのも、子供達のお陰ですね。
見習うなんて・・同志・仲間ですよ・・
でも…全てをわかることはできなくても『わかろう』とすることはできます。
そこが大切なのたと思います。
『言ってもわからない』と言われる方には『わかってあげられなくてごめんなさい。でもわかりたいと思っている』ということを伝え続けることが大切なのではないのでしょうか。
お互いに『人』なのだから
時々、こうしてブログを読ませていただいておりました。
先生のブログはいつも本当に大切にすべきことを思い出させてくださいます。ありがとうございます。
実は来月より、大学病院に勤務することになりました。先生の教えを忘れず、急性期のスピードの中でしっかりとクライエントの声を聴いていきたいと思います。
ところで先生のいらっしゃるところに私の同級生がいるとのこと、なんだか不思議でとっても嬉しく思いました。
わかろうとし続けること・・心が暖かになります。ケアの根源的なことだと拝読しながら、感じ入りました。
sekineさん
こちらこそ、ご無沙汰しています。
学生時代に、炊き出しのボランティアをされたと話してくださったことを思い出します。
sekineさんでしたら、どのような職場にいらっしゃっても、力が発揮できることと思います。
私の所にも・・?ということは、私、教えていますか?!?!
日々 仕事、家事、子供の事で(田舎では高校も公共交通機関が不便で毎日の送迎も加わるので)精いっぱいの時期で・・・まして実母だったもので、母親が容赦なく娘を困らせるという現実を整理し切れないまますぎてしまった感じでした・・
そんな私を見ていたはずの、今リハスタッフの一人として働く娘が、せん妄と拒否が強く問いかけにも全く答えてくれず車いすから一切降りようとしなかったおばあちゃんを、「歩けそう?」「歩けそうだよ~」と会話して手つなぎ歩行まで導けたと嬉しそうに話してくれました。
私が反面教師だったのかもしれませんね。
でも私にも嬉しい報告でした。
hinawariさんの姿は、確かに娘さんに伝わっていたのでしょう。
時に心を荒立てても、そこから逃げ出したりしなかったhimawariさん。見切りの早い私は、見習わなくては~って、今までのコメントを頂くたびに感じていました。
どう、受け答えするか。。毎回迷います。