緩和医療を専門にしていると、質問されることがあります。
安楽死ってどう思いますか?
と。
賛成も反対もなく、
ただ、患者さんご家族が抱えている苦痛をできるかぎり少なくする・・
それがまず、果たすべき役割です・・と。
一方で、
安楽死の是非ではなく、
海外で安楽死を考えた
患者さんとご家族から
感じることがあります。
国内で事件となった、
患者さんの中だけで
そっと考えて
問題になったケースではなく、
患者さんの中だけで
そっと考えて
問題になったケースではなく、
海外で・・とは、
家族で、年単位で
死に向き合ってきた人々のことです。
家族で、年単位で
死に向き合ってきた人々のことです。
生きること、死ぬこと、
生活してきたこと、
家族の歴史をたどり、
それぞれの気持ちを出し合い
話し合い、泣き、笑い・・
生活してきたこと、
家族の歴史をたどり、
それぞれの気持ちを出し合い
話し合い、泣き、笑い・・
病状も正しく伝え
とことん話し合い
互いに敬意を払い
認め合う・・
とことん話し合い
互いに敬意を払い
認め合う・・
この対話はACPそのものだなあと
ACP:アドバンス・ケア・プランニング
ACP:アドバンス・ケア・プランニング
これからの医療ケアについて
大切な周囲の人たちと医療者も含め
話し合っていくプロセスのこと。
結論が何かを意味するものではありません。
こうした対話を通して
患者さんは
亡くなった後に残るもの
それは記憶も含めて・・
例えば、
記念日のカードや
記念日のカードや
料理のメニューを書き残したり
大切な人にメッセージを残したり
正直な言葉をかけたり・・
生きてきたバトンを
きちんと渡していることに気づきます。
残された人々は死別後も
その言葉や体験や
分かち合ったことに
分かち合ったことに
支えられ続ける・・・
最近、病院の中で
患者さんはご家族に
病名は伝えていても
病名は伝えていても
予後が厳しいことは知らない両親
再発したことは知らないお子さん
など
重要なことが伝わっておらず
重要なことが伝わっておらず
いざ、その時がきても
とても向き合いきらない場面に出会うことがあります。
とても向き合いきらない場面に出会うことがあります。
コロナの影響は
まだ、まだ、
残っています。
残っています。
ご家族へ情報は
患者さんを介して届くため
患者さんにエネルギーがないと
辛いことを伝えることを避けてしまう傾向にあるのです。
それは
辛いことを伝えることを避けてしまう傾向にあるのです。
それは
当たり前のことです・・
安楽死を取り上げた
ノンフィクションの番組を見て
死で別れを余儀なくされた時
こうした、それまでにとことん
話し合うプロセスの積み重ねが
話し合うプロセスの積み重ねが
本当に大切で
それは
安楽死かどうかではなく
どのような最期であっても
もっともっと話し合われ
バトンを渡すことが
できるような最期に繋がるよう
できるような最期に繋がるよう
意識して支援していこう・・
いつもフォローさせてもらっています。
私の同僚も先日テレビで安楽死のドキュメントを見て様々思うところがあったと話をしてくれまして。それで私もずっと心の中で考えていた事でした。
妻は医療従事者で私も昔介護職でしたので、生死の話しはよくするのですが、人は亡くなっても家族や周囲の人の中で生き続けるということを忘れてはいけないなと思います。
日々のご支援、かげながら応援しております。
自分自身に当てはめて考えてみると、やりたいことをやり切ったという思いに満たされているわけではないが、明日死ぬかもしれないと言われたら受け入れようかな、という感覚で生きている。
これを周りの人間、とりわけ妻子にも共有してもらおうというのは無理な話だという思いもある。
極端な話、人類の最高齢まで生き永らえたとしても、家族はその死を悲しむだろうし、それが人間だと思う。
だとすると、自分の考えは受け入れてもらえなくても、伝えておくことだけは、しておいた方が良いのかもしれない。
悲しみの時が来ても、その後に納得が訪れるはずだから。
ごめんなさい。
深い話題だったので、考え込んでしまいました。
いのちは続く・・
心に沁みます
コメント頂き、ありがとうございました。
同じとき、同じことを感じていた方がいらっしゃる・・嬉しかったです。
急に大切な人が目の前から消えてしまったら・・
違うことも見えてくるかもしれません。
考えを巡らしている様子をコメントに書いて下さり、ありがとうございました。
コメント失礼します🙇
私もピンピンコロリで旅立った
夫の亡き後に何度も
海外での安楽死について
考えた事があります。
友人と話したこともあります。
体はあちこちガタは来ています。
セミの抜け殻のようになった私は
仕事も出来ないので申し訳ないと
思いながらも毎日祈る事で
赦していただいていると思いながら
生きています。
ありがとうございます。
コメントには表現しきれない程、簡単なことではなかったのだろうと思いを馳せています。
きちんとした医学学術誌に、祈ってもらった患者さんと祈ってもらわなかった患者さんで治療後の経過に差がでたというものが発表され、ちょっとした話題になりました。方法は、まったく面識がない患者さんのことを、一定の数の人に決められた時間に、祈ってもらうというものでした。
患者さんの知らないところで、知らない人が患者さんのために祈ることで、治癒が早まるということの結果・・すごくないですか?!
あいさんの祈りで、世界のどこかでほっとできたり、生きる階段を上ることが出来た人がいるかもしれません。
誰でも、人生の残った時間には、限りがあります。
ともに、今を生きていることに感謝しつつ。
コメント、ありがとうございました!
(返信に時間がかかってしまって申し訳ありませんでした)
aruga