
汐留から見た今日の富士山
快晴で、夕焼けに浮かんでいました。
左は東京タワーです。
痛いときは、がまんせず伝えること。
何度も伝えてきました。
でも、時に、本当にその訴え通りにレスキューを使ってよいのだろうか・・・
疼痛の客観性と副作用を観察し続けます。
患者さんの訴えを疑うといったことではなく
そのことが、患者さんにとって、害にならないように
つまり、予想外な過量投与とならないために、
重要なことなのです。
心が弱いから、痛いと言う・・
そういうことではありません。
むしろ、コミュニケーション障害や
不快感を体がキャッチできない場合などがあるように感じます。
複雑な不快感を伝えきれなくて、
痛いという言葉を用いていしまったり、
得体のしれない不快感を
例えば、体が鉛のように重い苦痛を痛みとしてキャッチしてしまうような場合です。
アルコール脳症、認知症、せん妄などは
ごく軽く表面には表れていないような場合でも
疼痛の表現からそうした病態の発見につながることもあります。
どのようなアプローチをしても、
よくなったとおっしゃらない方がいらっしゃいました。
看護師さんがケアをしようとすると、
何かを他の事に時間をとり、困り、
クールな関わりをせざる負えないような場面もあったようでした。
何かの拍子には、頻回にレスキューを内服されていました。
若い医師がレスキュー量に合わせて、
ベースの定時薬を増量すると計画しましたが、
私は、それを止めました。
ある治療過程において、
その反応が、どうしても腑に落ちなかったからでした。
チームの精神科医に診察を依頼しました。
Passive-Aggressive personality disorder が否定できないとのことでした。
受け身的ながら、
それで困らせてしまったりするような性格的な、
障害ともとれるようなもの。
時間を引き延ばしたり、約束を守らなかったり、
他者からの忠告を受け入れないといったことで
間接的に攻撃をするようなものなのだそうです。
(詳細は、ここでは割愛いたします。)
そう激しいものではありませんでしたが、
ケアにあたる人々には困りを生じ、それが
ご本人にも影響を及ぼしていました。
何よりも、初めて聞いた病名でした。
でも、世の中、障害までとは至らなくても性格的な要素として、
少なくないのではないかと改めて、知った次第です。
こうしたことも、頻回なレスキューに至る可能性があり
レスキュー以外の方法で対処をすることが
大切であることを経験しました。
患者さんの痛いという訴えには、きちんと耳を傾けつつも
その訴える苦痛には、
オピオイドのレスキューが効果的なものなのかどうか考えながら、
真に必要な治療薬を見定めることで
患者さんは、本当の苦痛から解放されるのだと心に刻みました。
大事なことは表面にはなくて、ずっと奥の方にある。
それに気づけるように、アンテナをたくさん立てておくことが私達には必要なのかも知れません。
こんなにはっきり見ることができて羨ましいです。
そして、いつも勉強になる記事ありがとうございます。
ありがとうございます。
癌疼痛で「痛い」と訴えることが大切である、ということの次の段階、というものでしょうか。
子供が、ボキャブラリーが少ない為、まだ、正確な表現が出来ません。
「痛い」という言葉に集約されてしまいます。(実際、今、娘がそういう時があります。)
大人でも、精神的に何かを抱えていらっしゃる場合は、この記事のようなことがあるのだなぁ…と、わかりました。
「痛い」という言葉。
あらゆる病気の「原点の表現」なのかもしれないな…と、感じました。
コメントありがとうございます。
まさに、我が意を得たりです。
アンテナも、立て方があるのが難しい・・
ゆきんこさん
そうなんです。綺麗でしょう・・。都内から見る富士山は、とっても、ちっちゃいんですよ。カメラは大したものです。暖かな応援ありがとう。
KAYAU=元さん
お褒めの言葉、照れます。
実に的をついてくださったコメントだと思いました。子供たちは沢山気づかせてくれますね。
医者11年目、緩和ケアチームに関わって3年弱の者です
2ヵ月ほど前から介入させてもらっている患者さんがまさしくPassive-Aggressive personality disorderの方なのでは?と思われます
主治医やスタッフ、家族ともなかなかうまくいかず。。。よって疼痛コントロールもうまくいかず(T T)
現在はなんとかコミュニケーションをとる努力をして疼痛も徐々に改善してまいりましたが、これから予想される終末期のケアに不安を抱いております
またこのような話題を記事にしていただけるとありがたいです
緩和ケアチーム医をなさっているのですね。
現在進行形の経験をシェアしてくださり、ありがとうございます。痛みが改善してきたとのこと。popoさん達の忍耐強さが伝わってくるようです。
患者さんをよりよく理解し、相互にストレスが少なく関わり続けられるためにも、知ることは、大切なことだなあと感じました。
その物理的限界の中で、人は何かを選び、何かを為していく。
直接診療を提供できる患者様・ご家族が限られていたとしても、自分の身を置く場所に制約があったとしても、工夫次第でこんなに多くの方たちと共有することができるという事実に、ブログをみながら心うたれました。
”できないこと”に目を向けるのではなく、できることから始め、一つでも多くの種を蒔くこと・・・謙虚で、地道な、でも賢い先生の働きにあらためて敬服の思いです。
先生の蒔いておられる緩和ケアの種は、今日もあちらこちらで芽を出し、あるものは花を咲かせ、実をつけていることでしょう。
現に今日、私の心にも新たな種がひとつ蒔かれました。
ただ・・・熱くなるあまり、ご自身の身体が有限であることをお忘れにならないでくださいね。
深呼吸する時、立ち止まる時、思い切り休む時も必要ですから。
ささやかでも、大切にしている場所に、こうして、意味を見出してくださったこと、それをメッセージにこめてくださったこと、感謝です。