日本癌治療学会の緩和医療分野の代議員にご選出頂き、
会議に参加してきました。
驚きました。
名簿は配布されていなかったので
代議員の女性医師がはたして何人いるかは
確認はできていないのですが、
今日、180名ほどの出席で、
私以外女性の代議員は探すことができませんでした・・
女性医師数が増えてきているのに、
とても、奇異に感じました。
大学卒業直後に医局入った当時のこと
入局と同時に学会会員になり
選挙の時は、投票用紙を医局が一括管理し
教授を始め、何人かが当選するように医局内調整がされ
自分で選挙用紙に記入することはなかったという
何十年も前のことをふと思い出しました。
日本の医学部には女性の教授が少なく
癌治療学会のような外科系が母体の場では
なおさら、女性教授はいないわけで、
医局のように投票権がある医師の集まりのようなところの
トップがどうしても学会の評議員などになりやすいので
結果、男性の集まりになるということでしょう。
そういう意味では、
緩和医療を先駆的に切り開いていった方々は
大半が医局から飛び出した人達です。
ある意味、アウトロー的にスタンスを別にしてきたところ
社会の追い風や
がん治療の中の緩和ケアの意義を声を上げ続けてくださった
先生方のお陰もあり、
学会の中に緩和医療の場ができていったのだと思います。
この臨床現場とはやや異なった光景をみて・・・
まずは、じっくりと観察してみます。
そして、がん治療と緩和医療について
考えていきたいと思います。
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選出になるかどうかは不明ですが、出身(今は離れているが)医局の先生方に調整いただいたことは確かです。
江原さんの言われる調整とは・・・選挙活動ではないかな?!って思いつつ拝読いたしました。出身医局の先生方に、電話や郵便で、所信表明(?)を伝えるのは、正当な選挙活動にあたると思います。
(今も、投票用紙を集めて、選挙する人以外の人が投票用紙の本人の意思とは別の被選挙人の名前を書いて投票するようなことは、あるのでしょうか・・)
女性が180人中、一人というのは医学系の学会としてはありそうな気がします。学会での要職の男女比について臨床現場との乖離が大きいのは、病理学会も同じです。数年前にようやく初の女性理事が誕生しました。どうぞ、頑張ってください。
珍しいものを見るようにみられたり、真っ黒な背広の集団の中の居心地の悪さといったら・・あまり、おめでたくないのです。
それでも、気後れせずに、何かできることはないか考えてみなければと思っています。
病理学会のこと、勇気が出ます。
そう考えると、相当数の女性理事がいる緩和医療学会はやはり変わっています。医師で女性は私だけなのですが、看護師さん、MSWさんの理事がいます。
slummyさんのブログにおじゃましました。
沖縄県の女性医師の話、とても、興味深く読ませていただきました。
母集団を反映する代表集団が少なかったことも、育児出産といった現状の身近な女性雇用問題に繋がっているのかもしれないと感じました。
先生の患者さんの経過が自分の担当した方とあまりにそっくりで、嬉しくてどうしてもお話したくなってしまったのでした。
また、先生のお話を聞きながら、たったひとりの患者さんからどれほどたくさんのことを教えてもらえるか、ということにも、あらためて感動していました。
お話の始め、珍しくちょっと緊張してらっしゃるように思えたのは、代議員の会議で居心地の悪い思いをなさっていたからなのでしょうか。
でも、先生が代議員に選出された、ということは、癌治療学会も捨てたものじゃないな、と思いました。
気苦労が絶えないと思いますが、がんばってください。
応援しています。
お声掛けくださりありがとうございました。
あの後、電車で帰路につきながら、お話しくださったことを反芻しておりました。
じわり、じわりと嬉しさが増してきました。
患者さん、本当に沢山のことを教えてくださいます。
話の始めは・・ライトがまぶしいなあとか、矢印中々出ずらいなあとか、手元に手こずっておりました・・・
司会の先生、以前、岡山の出来事を書いたことがありましたが、母が死の直前まで心の頼りにしていた先生でもあり、私とっては、深い思いの中でのレクチャーとなりました。