プロメテウスの政治経済コラム

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石原知事肝いり新銀行東京 風前の灯 税金1000億円が泡と消える? 知事選の争点に

2007-03-31 19:04:11 | 政治経済
新銀行東京は、2003年、石原都知事主導で東京都が策定した東京発金融改革を旗印に『資金調達に悩む中小企業を救済すること』をうたい文句に、05年4月1日に開業した。まさに、石原トップダウンの「石原銀行」であった。銀行の貸し渋りや貸しはがしに対抗して本当に中小企業の経営を支援するのかと思ったがやっぱりそうではなかった。ただでさえ「オーバーバンキング」が問題になっているときに役人の殿様商売で、このような銀行を採算ベースで運営して経営がまともに成り立つはずがない。
結局ゼロからのスタートだったので、当初は信用金庫などからの紹介客が多かったという。新銀行東京にヒト(職員の出向)、モノ(店舗網)、カネ(出資)を提供し、協力している東京都内の信用金庫のあいだでも、「いまだに『石原銀行』と呼ばれているように、石原都政のアダ花になっちゃうよ」(大手信金の役員)と、銀行の生死と石原都知事の再選は一蓮托生だとの話でもちきりらしい(J-CASTニュース同上)。

新銀行東京は、中小企業対策がうたい文句だったが、中小企業経営者の間では「役に立たない銀行」との声がもっぱらである。「サラ金と似たようなもの。これじゃあ、やってけないわ」というのは、東京都渋谷区で飲食店を営む女性(58)である。2005年7月、新銀行東京から5百万円の融資を受けた。当初、11%だった金利は月ごとに上がり、返済開始から3カ月で金利は14%台に。利息制限法の上限(元本百万円以上は15%)ぎりぎりの金利である。都内で製造業の工場を経営する男性は、「もうあんなところは相手にしない」という。新銀行東京から、融資を持ちかける電話を受け、二期分の決算書を持っていった。決算書を一目見るなり「赤字だから」とにべもなく断られたという。「ほかのところは、ちゃんと新しい設備への投資中という事情を考慮して融資してくれた。あの銀行はもうどうしようもないね」(「しんぶん赤旗」2007年3月22日)。

新銀行東京の広報担当者によると「経営状態は、計画からみると少し“ブレ”があります」。「06年度の中間決算(九月まで)は経常損失が154億円でした。目標と比べると54億円のマイナスです。設立にかかった費用や一期目の赤字を加えると、累積赤字は456億円になります」
そもそも、石原知事の言動は、はじめから中小企業のための銀行をつくるとはとても思えない。「お魚屋さんだか八百屋さんだか―。そんなところ貸さないよ。商店街つぶれつつあるんだから」(フジテレビ「報道2001」03年6月放送)。知事の言葉を裏付けるように、開業後すぐに銀行が出した条件は「5百万円を短期返済(2年)、金利9%」など、中小企業には厳しいものであった。「低利で余裕ある返済計画を」という東京商工団体連合会などの要請に、新銀行東京側は冷淡であった。「いやだったら、既存の金融機関に行けばいい。例えばフランス料理店で、ラーメンを注文されてもメニューがないのだから、ラーメンのあるお店に行っていただくしかない」という具合である。これでは、経営の立て直しは、まったく期待できない(「しんぶん赤旗」同上)。

経営の立て直しには、融資を拡大して利ざや収入を伸ばすか、人員や店舗を削減して経費を抑えるしかない。だが、貸出先がなかなか見つからないなかで無理に融資を増やせば、不良債権をさらに膨らませかねない。そもそも存在意義があるのか(「朝日」社説2007年03月29日)。「東京発の金融革命はまた新たな一歩を踏み出す」(自民党三宅茂樹都議)、「非常に力強い、そしてまた夢とロマンの持てるような銀行」(民主党中村明彦都議)、「中小企業の味方」(公明新聞、05年6月12日付)などと賛美した、自公民「オール与党」の無責任とともに、石原知事の経営責任が厳しく問われなければならない。

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