プロメテウスの政治経済コラム

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沖縄戦 集団自殺  なぜ曽野綾子一派は「軍の命令」にこだわるのか

2008-03-30 18:54:50 | 政治経済

沖縄・座間味島の守備隊長だった梅澤裕氏(91)と渡嘉敷島守備隊長だった元大尉(故人)の弟、赤松秀一氏(75)が、『沖縄ノート』と歴史学者の故・家永三郎さんの著書『太平洋戦争』(いずれも岩波書店発行)で名誉を棄損されたとして起こした「岩波・大江訴訟」の判決が3月28日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であった。元戦隊長らがおこしたこの裁判のねらいは、原告らがつけた「沖縄集団自決冤罪訴訟」というタイトルでわかるように、侵略戦争美化勢力(ここでは訴訟が曽野綾子氏による『沖縄ノート』の誤読を根拠としているので、曽野綾子一派と呼ぶことにする)の特定の政治目的によって起こされたものである。事実、裁判の本人尋問で明らかになったように、元守備隊長は『沖縄ノート』を読んだうえで訴訟をしたのではなかった。

曽野綾子一派が、梅澤、赤松氏を使って提訴に踏み切ったのは、著名な大江さんを標的に据えることで、日本軍が集団自決を強いたという従来の見方をひっくり返すということだった訴訟と連携した文科省の調査官は、昨年度の教科書検定で、元守備隊長の陳述書を根拠の一つに、「軍の命令はなかったという説が出ている」として日本史教科書から「軍による強制」との記述を削除させた裏で黒い勢力が動いたことは明らかである。南京事件では「大虐殺はなかった」、「従軍慰安婦」問題では「日本軍が強制した証拠はない」などといった、侵略戦争と日本軍の蛮行を正当化する動きと軌を一にする勢力である(3月29日「読売」社説は、はからずも教科書検定のことを告白するものとなっている)。
 
判決は、「集団自決」にかんする生存者の証言などをていねいにたどりながら、米軍に捕まりそうになった際の自決用として日本軍が手りゅう弾を配っていたと多くの体験者が語っていること、渡嘉敷島では身重の妻を気づかって部隊を離れた防衛隊員がスパイ扱いをされて処刑されたこと、投降を勧告にきた伊江島の住民六人が処刑されたことを事実として認定。さらに日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では「集団自決」が起こっていないことなどを挙げ、「集団自決には日本軍が深くかかわっていたものと認められる」と明確に述べた。さらに判決は、文科省が検定意見の根拠とした元守備隊長の陳述書について「信用性に問題がある」と判断。「集団自決」に二人の元隊長が関与したことは「十分に推認できる」とした(「しんぶん赤旗」3月29日)。

曽野綾子一派が、「軍の命令」にこだわるのには理由がある。沖縄戦での集団自殺は、「軍の命令」=国家の命令によってではなく、「自発」的でないと困るのである。
「私が不思議に思うのは、そうして国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか(自らは、原文のまま-大江)。私にはそのことが理解できません」(曽野綾子『ある神話―沖縄・渡嘉敷島の集団自決』―大江さんの論文より孫引き)。
大江さんは、ここで曽野氏の「自ら」に注目する。「その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか」の主格は、渡嘉敷・座間味両島の集団自殺を、戦後になって、命令で強制されたものだと言い出した者らである。曽野氏が、こういう者らこそ自殺者をおとしめていると考えるのは自由である。問題は、どうしてここで「自ら」となるのか。
自殺者自身がその死を「自ら」おとしめることはありえない。

「自ら」は論理的には、つぎのように解釈するほかない。
「そうして国に殉じるという美しい心で、死をとげた人たち」―この死に方こそ日本人の規範的な死に方だ。ところが、それを命令によって強制されたという者がいる。それは、日本人の死者のうちに、国に殉じるという美しい心で死ぬことを嫌がる者もいる、と言い張るに等しい。それは日本人の総体をおとしめることだ。そのように言い張る者らがやはり日本人であるとするなら、かれは日本人である自分を、「自ら」おとしめているのだ(大江健三郎「『人間をおとしめる』とはどういうことか」『すばる』2008年2月号)。

曽野綾子一派にとって、住民は自らの意思で国に殉ずるという「美しい心」で死んでもらわないと困るのだ。どちらが、人間をおとしめているか明らかではないか!


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1 コメント

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ある神話の背景の嘘 (和田)
2008-04-07 11:57:48
http://tree.atbbs.jp/pipopipo/index.php?mode=root
上記にて、曽野綾子が「ある神話の背景」で自画自賛する赤松隊の隊員一人一人を個別に取材した②古波藏村長が安里巡査がずっと軍との窓口だったと聞いて安里巡査を取材したとの2つの論拠が嘘であることを論破しました。
タイトル「ある神話の背景研究」と2頁後の「曾野綾子は赤松と複数回会ったか」です。
是非ご覧下さい。
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