プロメテウスの政治経済コラム

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集団的自衛権の本質   中国脅威論、北朝鮮脅威論とは何の関係もない

2014-06-08 22:27:09 | 政治経済

5月16日に発表された安保法制懇報告書は、「我が国を取り巻く安全保障環境は、前回の報告書提出以降わずか数年の間にいっそう大きく変化した」として、一日も早い「集団的自衛権の行使容認(憲法解釈の180度転換)」を勧めている。そして、「特筆すべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、我が国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化していることである」と中国ファクターを特別に強調する。しかし、前回報告書の2008年と2014年との間に起こった「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」は、中国ファクターだけでない(ウクライナ内戦危機に至る旧ソ連邦諸国の一連の「カラー革命」、「アラブの春」と総称される中近東・北アフリカ情勢の激動も重大な問題だが一切触れない)。

 

安倍政権が追求する目標はいわゆる「普通の国家」の実現であり、「積極的平和主義」の名のもとにおける「戦争できる国」の実現である。ところが、ポツダム宣言の受諾によって全面降伏した日本は、先の戦争を「最後の戦争」とし、もう二度と戦争しないという誓いのもとに「普通の国家」を卒業することを宣言した。その象徴が憲法9条であった。その後の歴史の展開なかで再軍備を強制される羽目になったが、ただし、日本の軍隊=自衛隊は、専守防衛のための軍隊であって海外では戦争しない=普通の軍隊ではないということで、憲法との折り合いをつけてきた。

 

しかし、自衛隊は、専守防衛のための必要最小限度の実力組織=”普通の軍隊ではない”と取り繕いながら、日米安保のもとで憲法の制約を無視した軍事力の増強、共同軍事演習の積み重ねを続け、今や世界有数の軍隊に成長を遂げた。自衛隊は、いつまでも、アメリカを盟主とした西側同盟諸国のなかで、半人前扱いで居続けることと、物理的に矛盾する存在となった。

こうして、世界唯一の軍事大国であるアメリカの世界軍事戦略に同調し、その対日軍事要求に応じる形で軍事大国としての復権(「普通の国家」実現)を遂げるのが日米支配層の目標となった。そのためには第9条を含む憲法の全面的改定(自民党憲法草案)が不可欠である。

 

アメリカが要求する「NATO並みの日米同盟」の実現は、「普通の国家」実現のための手段として位置づけられる。「NATO並みの日米同盟」実現のためには、「集団的自衛権の行使」が不可欠である。そこで、日米支配層とりわけ日本の支配層にとって、これまでの憲法解釈では許されなかった「集団的自衛権の行使」をどう正当化するかが、避けて通れない課題となった。

「アメリカの対日軍事要求に応じる」という日米同盟強化路線をストレートに持ち出しても、国民的支持を得ることは難しい(「戦争に巻き込まれる」という国民的警戒感は大きい)。安倍政権としては、国民のなかに広く浸透している「北朝鮮脅威論」そして「中国脅威論」を前面に押し出して国民の支持を取り付けようとすることになる。

 

しかし、「集団的自衛権の行使」を「中国脅威論」、「北朝鮮脅威論」から根拠づける試みは安倍流誤魔化しの典型である。集団的自衛権と中国脅威論、北朝鮮脅威論とは何の関係もない。「中国脅威論」、「北朝鮮脅威論」に対抗するのは、現行安保条約の領域であるからだ。

日米安保条約は「日本国の施政の下に対して第三国が攻撃したときには、各々は自分の国への攻撃と認め、自国の憲法の規定と手続に従って行動をとる」としている。若しも日本の領域でアメリカが日本のために行動しているとき、あるいは日米が一緒に行動をとっているときに軍事攻撃があったならば、当然日本はアメリカと行動するということだから、中国や北朝鮮の日本への侵害のために「集団的自衛権」は必要ない

 

「集団的自衛権」の本質は、安保条約のふたつの縛り①「地理的に日本の施政下」②「攻撃があったとき」を外し、「世界のどこでも」、「見逃したら深刻な安全保障への影響になるとき」にアメリカの戦略のために自衛隊を使うシステムであって、中国脅威論、北朝鮮脅威論とは何の関係もないのだ。


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