プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

ホワイトカラーエグゼンプション―8時間労働制はすべての働く者のマグナカルタ

2006-12-28 19:17:36 | 政治経済
マルクスが指導した労働者階級の国際組織・第一インターナショナル(国際労働者協会)は、1866年、8時間標準労働日の法制定を世界の労働者によびかける決議を採択した。1870年代、ニュージーランド、オーストラリアの一部の州で、女性と年少者に限って八時間労働制を法定化した。1886年(明治19年)5月1日、シカゴ、ニューヨーク、ボストンなどのアメリカの労働者38万人以上が8時間労働制を要求してストライキに立ち上がった(メーデーの起源)。10数時間を越える長時間労働に苦しめられていた労働者が「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」(「8時間労働の歌」)を歌い、8時間労働靴や8時間労働帽子などのグッズを身に着けてアピールした。その結果、20万人あまりの労働者が8時間労働制をかちとった。しかし、資本家は8時間労働制が広がることを恐れ、権力をつかって反撃にでた。2日後の5月3日にシカゴの機械労働者4人が警察官に射殺され、翌4日にはヘイマーケット広場で労働者の集会に何者かが爆弾を投げ込む事件まで起きた。これを契機にデッチ上げ事件が次々にねつ造され、労働組合指導部を犯人にしたて絞死刑にした他、多数を投獄するなど大弾圧を加え、巧みに世論を操作し労働組合を孤立させながら、八時間労働制の約束を次々廃棄していった。
1917年のロシア革命でレーニンの指導によって8時間労働制が初めて国の法律として確立した。そして、1919年のILO第1回総会で、「1日8時間・週48時間」労働制を第1号条約に定め、国際的労働基準として確立するに至った(87年たった現在も日本政府はこの第1号条約を批准していない)。

1866年の第一インターナショナル(国際労働者協会)大会決議は「労働日の制限が、それなしには他のすべての改善と解放の試みが失敗に終わらざるをえない先決条件である」と言明する。何故か。多数のホワイトカラー労働者は、「仕事量が多い」と認識しながらも、自己の裁量で効率的に仕事をして労働時間を減少させているのではなく、過大に与えられた仕事をこなすため、自己の休養や教養、娯楽、家事育児などの時間を削って長時間労働に従事し、疲弊しているのが現実である。エグゼンプションによって、自己の裁量で“労働時間の自由度が高い働き方”ができるという。本当にそうか。本当にそう思うなら、自己の裁量で労働時間を自由にしてみることだ。与えられた仕事がこなせないか上司が期待する成果が出せなくて考課点数が下がったうえで、配転もしくは首である。

日本の労働時間規制はホワイトカラー労働者に適合しないとの論調は欺瞞である。確かに労働基準法が制定された1947年よりも、現在は産業構造の変化によりホワイトカラー労働者が大幅に増加している。しかし、メーデーの契機となったアメリカのゼネストで謳われた「仕事に8時間、休息に8時間、自分自身のために8時間」というスローガンは、人間として当たり前の生活をすることを要求したまでで、この要求は、ブルーカラーであろうがホワイトカラーであろうが人間である以上同じことである(過労死弁護団全国連絡会議第18回全国総会)。

労働力商品の購買者である資本家は、「彼の商品の使用価値からできるだけ大きな効用を引き出そうとする」(『資本論Ⅰ』同上)。資本家同士の競争によって、より大きな剰余価値の獲得を強制される資本にとって労働時間の延長は、やみがたい内在的衝動である。一方労働者同士の競争でダンピング(長時間労働)を余儀なくされる労働者がこの資本の内在的衝動をおさえためには、「法律によって制限された労働日というつつましい大憲章(Magna Carta)」(『資本論Ⅰ』同上)をなんとしても堅持することだ。

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