プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

天皇の政治利用  今回の政治利用の元凶は中国政府

2009-12-14 21:03:34 | 政治経済
天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見が、1カ月以上前に申請する慣例を守らずに設定されたのは、民主党政府による天皇の政治利用だとマスコミや宮内庁、安倍晋三元首相らが騒いでいる。宮内庁の羽毛田信吾長官は11日の記者会見で「現憲法下における天皇陛下の役割といった基本的な事柄にもかかわることだ」との懸念を表明したと言う。しかし、現行憲法第4条には『天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行い,国政に関する権能を有しない』とある。つまり天皇の行為は、形式的・儀礼的なものに限られるということである。そして、憲法第6,7条に12の国事行為が列挙されている(ちなみに外国の賓客との会見は12の項目には含まれていない。天皇を国際親善の名で元首扱いする憲法違反である)。さらに現行憲法第3条には『天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし,内閣が,その責任を負う』とある。
問題は、日本国民のなかにいまなお郷愁として残る天皇の権威を利用したがる日本の政治家や一般国民のほかに外国人にも居るということだ。戦後、最初に人間天皇の権威を政治利用したのは、マッカーサー元帥であった。

 天皇の国事行為は、国事(英文では matters of state とある) =「国家に関する事柄。一国の政治に関する事項」に係わる行為であるから、「国事に奔走する」という言い方からもわかる通り、政治と無関係ではありえない。第二次世界大戦の終戦後まで日本の天皇は、「国民の間に半宗教・・・半分宗教的な役割を演じてきた」(制憲国会での共産党の野坂参三議長の演説)。人間の意識と言うものは、国体が変わってもすぐに変わるものではない。とりわけ日本の占領行政を円滑に進めるため、マッカーサー元帥によって、昭和天皇の戦争責任は不問に付され、天皇制が存続したので、日本国民のなかの天皇の権威は、途切れることなくいまなお健在であるだから、反動派は、国民の政治的統合に天皇の権威を利用しようとして、天皇の形式的・儀礼的行為にできるだけ権威を持たせようとする。政府や公共団体がなにか行事をやるときに天皇の臨席をのぞみ、毎年,春,秋に開かれる「園遊会」の招待者は、光栄に浴するわけである。天皇の臨席や謁見を賜ること自体が、政治的「権威づけ」として利用されるわけだ。今回、驚いたことに中国政府までが、天皇の権威を利用しようと望んだことである

 私は知らなかったが、宮内庁は、外国の賓客から天皇との会見希望があっても、希望の日時の1ヶ月以上前の申し出でなければこれを受け付けない、という内規を持っていたようだ。天皇陛下が前立腺がんの手術をされた翌年の平成16年からはこのルールを厳格に運用。国の大小や政治的重要性で取り扱いに差をつけることなく実施してきた、という(「産經」2009.12.12 20:01 )。
ところが今回、中国政府からの会見申し込みが1ヶ月を切っていたため(11月26日打診、12月15日会見)外務省はいったん断ったが、鳩山首相や平野博文官房長官がゴリ押したのだという。小沢幹事長が10日、同党議員約140人を含む総勢約600人を率いて中国を訪問したこともあって、天皇のスケジュールまで変える小沢幹事長の剛腕ぶりという論評まで現れた。

 私は、会見要請が1カ月を切ってから会見を設定することが天皇の政治利用で、1ヶ月ルールを守った会見設定は政治利用でないというのは、滑稽な議論だと思う大体、天皇との謁見を求める側は、誰であろうとそれぞれの政治的思惑があり、天皇の権威を利用する、まさに「天皇の政治利用」を目指さない会見要請などありえない。会見要請の期限の1ヶ月は、本質を隠す建前にすらならないと思う。

 それにしても、今回の習近平国家副主席の会見要請は、外交上手の中国にしてはとんでもない下手をやったものである。マスコミが大騒ぎしたため日本国民は誰しもが中国政府がゴリ押しをしたため、あるいは、小沢氏がゴリ押しをしたために、政治主導で天皇謁見の日程が決まったのだと思だろう。習副主席に対する日本国民のイメージは最悪である。「ゴリ押ししてでも天皇陛下に会いたいという中国の副主席とは一体何なの?」「中国は日本の戦争責任、天皇の戦争責任を厳しく追及していたのではないの?」「社会主義と天皇制はどんな関係があるの?」。

 現在、中国では、胡錦濤国家主席の後継者を誰にするかで、いろいろな勢力が争っているらしい。一年ほど前は、胡錦濤主席と同じ共青団出身の李克強副首相が有力だと言われていたが、いまは習副主席が最右翼だという。だが、政界は一寸先は闇、というのは、何も永田町のことだけではない。12月1日の「エイズ撲滅デー」のイベントには、胡錦濤主席は李克強副首相を引き連れて、二人して仲睦まじく現れた。このイベント映像を見る限り、現在来日中の習近平副主席が胡主席の「後継者」などとは、とても断定できないのである(サーチナ2009・12・14)。
それなのに、胡錦濤主席が副主席のときに来日した際は天皇に会えたのに、習副主席が会えないとなると、後継レースに影響が出る。そこで中国国内の後継者争いの行きがかり上、日本の天皇を利用するということになったようだ。中国社会主義も地に落ちたものである。

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