プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

元徴用工問題 気持ちは分かるが、時代の変化を見ないと恥をかくことに

2019-01-12 15:59:52 | 政治経済

菅義偉官房長官が韓国大法院判決は「日韓請求権協定違反」だとして、一方的に韓国側を非難したが、大法院判決は「植民地支配責任」追及に一石を投じる画期的なものだった。「植民地支配責任」は今後も問われ続けるだろう。

周知のとおり、日本と韓国が国交を樹立(1965年の日韓基本関係条約)するに当たって、日本の植民地支配に起因する韓国及び韓国国民に対する賠償問題が最大の争点となった。そして、この問題は当時の国際情勢及び日韓の力関係を反映てして、日韓財産及び請求権問題解決・経済協力協定によって法的に最終的に「解決」された。安倍政権が、今更なんだと息巻く気持ちは分からないわけではない。

2018年10月30日、韓国大法院は、請求権協定について、その交渉で日本が一貫して植民地支配の不法性を否認したことなどを挙げ、植民地支配と侵略戦争に直結した不法行為に対する慰謝料の請求権は同協定の適用範囲外だとみなし、請求権協定によって日韓両国の外交保護権も、個人の請求権も消えていないとした(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2019-01-12/2019011202_01_1.html)。
21世紀に入り、欧米帝国主義国のアジア・アフリカへの「植民地支配責任」を問い直す動きが世界で起こってきた。すべての人びとの個人としての尊厳・基本的人権が普遍的価値として国際的に確立した今日、侵略戦争行為または植民地支配によって尊厳・基本的人権を損なわれ、奪われた個人が、自らの尊厳及び人権の回復を求める権利(具体的現れが賠償請求権)は、その個人が属する国家も尊重しなければならず、したがって、国家が個人の権利(請求権)を「代位」して取り決めを行うことはもはや許されず、個人はそれぞれの国及び相手国で賠償請求権を行使することができる、という流れが広まった。韓国大法院判決はこの流れに沿うものであり、「植民地支配責任」を巡る攻防に一石を投じるものであった。


「植民地支配責任」を問う流れが世界に広まったが、問題の解決が一方的に進んだわけでもない。日本以上に古くから植民地支配をした欧米宗主国にとっては、もっとも恐れる問題であるからだ。植民地支配を不法とした現在の国際法は認めるが、過去に遡及するのは御免だという抵抗も強いのが現状である。

日韓両国の政府と最高裁は「請求権協定の下でも個人の請求権は消滅していない」との認識では一致している。個人の請求権が消滅していない以上、その実現、救済の問題は残ることになる。「韓国の責任転嫁だ」などと強弁する前に、日本の植民地支配とその下での人権侵害の責任に「謙虚」に向き合い、新日鉄住金などの日本企業も含めて、話し合い解決することだ。「韓国政府が作り出した問題ではない。不幸な(日本統治の)歴史のために作られている問題だ。日本はより謙虚な姿勢であるべきだと思う」(文在寅大統領)。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。