プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

資本主義の限界についてどう考えるか―資本主義の懐は深い

2008-12-11 20:27:11 | 政治経済
若者に希望ある生活を保障できないどころか、貧困と格差のうちに次世代の労働者階級の再生産もをままならなくさせている現代資本主義を前にしてマスメディアも資本主義の限界を問題にせざるをえなくなっている。長く「構造改革」の推進を応援してきた日本のマスコミが、「資本主義の限界」をテーマに日本共産党の党首を対論の相手に招くといった変化は、現代の資本主義が、人々の安心できる生活を破壊している現実を無視できなくなったからであろう。
第二次世界大戦後の世界資本主義は、左翼陣営の「資本主義の全般的危機論」を尻目に四半世紀以上にわたる相対的に安定した発展を成し遂げた。死滅しつつあったのは、資本主義システムではなく、ソ連型社会主義システムのほうであった。資本主義システムには、社会の変化に対応する柔軟性があるのに対し、ソ連型社会主義システムは社会の変化に対応できなかった。神戸女学院大の石川康宏教授がマルクスの原典にもさかのぼって資本主義の限界について論じておられる(石川康宏「『資本主義の限界』を考える」『経済』2009年1月号/NO.160)。政治革新に関心のある人たちに是非一読をお薦めしたい。

私は、若いときに資本論の講習会である若い講師が「生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的な外被とは調和しえなくなる一点に到達する。この外被は粉砕される、資本主義的私的所有の最期の鐘が鳴る。収奪者が収奪される」という資本論第一巻の終わりに近い有名な一節を問題にし、マルクスが第一巻でこれを言うのはまだ早いと指摘されたことをずっと心のうちにもち続けてきた。資本主義システムの最期の鐘はそう簡単に鳴らないということを言いたかったのだと思う。
ところで、ソ連における人類史上最初の社会主義革命は、左翼陣営に「資本主義の全般的危機論」を広く行き亘らせるところとなった。ロシア革命の勝利以降の資本主義世界体制は、その内包する政治的・経済的諸矛盾の激化によって根底からゆりうごかされ、その一角からつぎつぎと崩壊が進行する。このような世界資本主義の状態が、死滅しつつある資本主義の具体的あらわれとしての全般的危機だというわけである。しかし、たしかに政治的・経済的諸矛盾が次々と襲ってくるのだが、資本主義体制は、一向にその一角からつぎつぎと崩壊が進行するようなことはなかった。企業は新技術の発明や新しい製品の開発や新しい組織形態の導入や、新しい市場の開拓といった形で次々と矛盾を克服していった。

石川教授はマルクスの「1857~58年草稿」から「だが、資本がそのような限界のすべてを制限として措定し、したがってまた観念的にはそれらを超えているからといって、資本がそれらを現実に克服したということにはけっしてならない。そして、そのような制限はいずれも資本の規定に矛盾するので、資本の生産は、たえず克服されながら、また同様にたえず措定される諸矛盾のなかで運動する。そればかりではない。資本がやすむことなく指向する普遍性は、もろもろの制限を資本自身の本性に見いだすのである。これらの制限は、資本の発展のある一定の段階で、資本そのものがこの傾向の最大の制限であることを見抜かせるであろうし、したがってまた資本そのものによる資本の止揚へと突き進ませるであろう」(『マルクス資本論草稿集②』大月書店、18~19ページ)を引用した上、
「私なりに補足しながら、かみ砕いて読んでみると、だいたいこういうことになるかと思います。 ①すでに見てきたように、資本はどんな制限も乗り越えて無制限に生産を拡大しようとする、②しかし、実際にはすべての制限が乗り越えられるわけではない、③資本は一つの制限を越えても、ただちに次の制限に直面するという矛盾の中で運動する、④それだけでなく、どこまでも無際限に生産を発展させようとする資本の性質は、その制限を剰余価値生産という資本自身の性質に見つけ出す、⑤資本のある発展段階で資本そのものが自身の最大の制限であることが明らかとなり、そこから資本による資本の『止揚』が進められることになる」と解説されている。

無制限に生産を拡大しようという資本の本性は、目前の消費の限界をはじめ、あらゆる限界をいつでも、どこでも乗り越えようと活動する――新たな生産部門をつくり、あらゆる地球資源を活用し、自然科学を動員し、人間の欲求を開発し、生産に必要な労働者同士の新たな関係をつくり、そして世界の隅々にまで資本主義的生産を押し広げていく―資本主義が永遠につづく社会でないのは明らかなので、その意味で、資本主義には「限界」がある。しかし、全般的危機論がいうように様々な困難や破局が、ただちに資本主義の死滅とはならない。資本主義の懐は深いのだ。
金融バブルと新自由主義で資本主義的蓄積の制限を乗り越えてきたアメリカ主導の世界資本主義は、いま破局に直面している。しかし、資本主義による生産と消費の限界が世界の隅々にまで及んでいるわけではない。新興国の発展はむしろこれからである。格差と貧困に反対する諸国民の反撃をうけながらそれでも世界資本主義は前に進むだろう。そしてまたあらたな限界にぶつかるのだろう

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