プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

核兵器廃絶についての志位書簡に対する米政府からの返書

2009-05-20 20:57:04 | 政治経済
日本共産党の志位和夫委員長は19日、国会内で記者会見し、核兵器廃絶に向けたイニシアチブを求め、4月末にオバマ米大統領へ送った書簡に対し、米政府から返書が届いたことを発表した。アメリカ政府から公式の形で日本共産党に返書が来たというのは、かつてないことだ。過去に核兵器廃絶を主題に、アメリカ大統領あてに何回か書簡を出しても返書が来ることはなかったという。オバマ政権のもとで、米国は新たな核戦略を模索することになるのだろうか

私は、平和主義と結びつかない「核兵器廃絶」には、大いなる疑問をもっている。ここで「平和主義」というのは、「やるべき戦争、『正義の戦争』はある」という主張に対して、「正義の戦争はない、戦争はしてはならない」という立場だ。なぜ平和主義と結びつかない「核兵器廃絶」には、大いなる疑問があるのか。
正義の戦争をする相手――敵は必ず不正義の戦争を行う敵である。不正義の敵と戦って自分の側が正義の戦争となるのだから、これは当然である。正義の戦争は敗れてしまえば、正義が無となってしまうので不正義の戦争をする敵にむかって必ず勝たねばならない。しかし、不正義の戦争をする敵もその戦争に勝とうとして必死になる。そして、不正義の戦争をする相手は、不正義の敵なので、どんな不正義な手段をも使うだろう。たとえば、化学、生物兵器。正義の戦争をする側はこの不正義の戦争をする敵になんとしてでも勝たなければならないのだから、こちら側もあらゆる手段を使わなければならない。そのあらゆる手段のなかには、当然、「核兵器」の使用も含まれる。何十万人、何百万人の死者が出る。いや、何十万人、何百万人を殺す。そして正義の戦争は勝つ。しかし、これではたして正義の戦争か。正義の戦争をしたことになるのか。少なくとも、殺される何十万人、何百万人にとって「正義」ではないことは確かであろう。

アジア・太平洋戦争末期のアメリカ合衆国側に言わせれば、東京や大阪などの都市に対する無差別攻撃も、広島、長崎に対する原爆投下ですら、彼らが今まで行ってきた「正義の戦争」の一部だったにちがいないしかし、爆撃される側、破壊され、殺される側にとって、それはなんだったのか。それが「正義の戦争」であろうとなんであろうと、ただ殺され、焼かれただけではないか。
これで、なにが「正義の戦争」かと抗議して息巻いてみても、戦争――不正義の侵略戦争を始めたのはお前のほうだとやり返される。実際の破壊と殺戮についてどんづまりに追い込まれるだけでなく、論理と倫理においても、どんづまりに追い込まれる。このどんづまりに穴を開けようとすれば、ただひとつ、戦争には正義はない、「正義の戦争」はないとして、戦争全体を否定する、戦争全体を否定し、そこに至る軍備、軍事を丸ごと否定する「平和主義」以外にない

人間は愚かだから、現時点で世界の常識は、「平和主義」ではなく、やるべき戦争はあるという「戦争主義」である。しかし、戦争とは、とどのつまりは、殺戮と破壊である。それでも、愚かな人間は、戦争にルールを作ってでも戦争を続けようとする。大量殺戮兵器の使用や人体に過度の苦痛を与える残虐兵器の使用を禁止しようとか、捕虜への虐待、非戦闘員の殺傷はやめようなどである
いくらルールを作ってみても、戦争は敵国の兵を殺傷することを目的とするのだから、できるだけ効率よく大量に殺せる兵器が次ぎ次と開発されるのは必然である。そして勝たねばならないのだから、ルール違反が起きるのは、これまた必然である。
究極の残虐兵器である「核兵器」は、これ以上の兵器は存在しないということで、一度手にしたものは、核抑止、核拡大(核の傘)抑止など、さまざまな口実を設けて決して手放そうとしない。そればかりか、ますます強力な核兵器開発に余念がない。

だから、私は、平和主義と結びつかない「核兵器廃絶」には大いなる疑問をもっているのだ。それでも、「米国は核兵器のない、平和で安全な世界を追求していくことを明確に宣言する」とのべ、核兵器の最大の保有国アメリカが、「核兵器のない世界」――核兵器廃絶を国家目標とすることを初めて明示したオバマ大統領の4月5日のプラハ演説は、戦争で殺される側にとっても一つの前進であることは違いない。また、オバマ大統領は演説の中で、「核兵器を使用したことのある唯一の核兵器保有国として、米国は行動する道義的責任がある」とのべ、広島・長崎での核兵器の使用が人類的道義にかかわる問題であったことを、アメリカの大統領として初めて世界に表明した。たとえ「正義の戦争」でも、何十万人、何百万人を殺し、幾世代にも災厄をもたらす「核兵器」の使用は、人類的道義に反すると思い至ったとすれば、それなりに歴史的意義を持つものだろう
核兵器廃絶に対して真剣な姿勢と熱意をもつというのなら、アメリカが世界で、現に行っている「正義の戦争」も是非見直してもらいたいものだ。

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