昨日、ベトナム・カンボジア訪問から帰国した【今日から更新を再開します】。留守中に自民、公明両党は10日の衆院外務委員会で、在沖縄米海兵隊のグアム「移転」協定の採決を強行・可決した。周知の通り、ベトナム人民は、「独立と自由ほど尊いものはない」という故ホーチミン主席のことばを胸に深く刻み、艱難辛苦の末にアメリカ帝国主義に打ち勝った。アメリカ、米軍の横暴を財政的にも支える日本政府の屈辱外交とは、天と地の違いである。私たちは、民族の誇りだけではなく、国民の血税までも貢ぐ売国政府をこれ以上許すことができない。
私は4月6日、ハノイのホーチミン廟を訪れた。月曜日は休館日ということで、故ホーチミン主席の姿を直接見ることはできなかった。自分が個人崇拝の対象となることを嫌い、汚職・権力等とは無縁だったホーチミン主席。カーキ色のすすけた服に使い古したタイヤから作られたゴムサンダルを履き、長い顎鬚をはやし、高床式の簡素な造りの家に住み、質素な生活を送ったホーチミン主席はベトナムではホーおじさん(バック・ホー)<BAC HO>と呼ばれ北ベトナムだけではなく、南ベトナムの人民からも親しまれた。彼の残した数々の名言は今もベトナムの人たちの心の中に生き続けている。
「チューンソン山脈が焼き尽くされようとベトナム人民は必ずや独立を勝ち取る」 「ベトナムはひとつです、ベトナムの民族はひとつです。河の水が浅くなっても、山が崩れても、その真理は変わらない」 「山もある、河もある、人もいる、アメリカに勝ったら築きあげよう、十倍も美しく」 「戦争は5年、10年、20年あるいはそれ以上長引くかもしれない。ハノイやハイフォン、そしていくつかの都市や企業は破壊されるかもしれない。だが、ベトナム人民は決して恐れはしない、独立と自由ほど尊いものはない、勝利の日には、人民は我が国をもっと立派に、もっと美しく再建するであろう」。
「独立と自由ほど尊いものはない」、「山もあり、河もある、人もいる。アメリカ侵略者を追い出したあとに、今より十倍も美しく、祖国を築きあげよう。前途にどれほどの困難と辛苦が横たわろうとも、我が人民は必ず完全な勝利を勝ち取るだろう。アメリカ帝国主義者は立ち去らねばならない」―なんと気高く、民族の精華と気迫、時代の良心を鼓舞することばではないか!
私たち日本人は、戦後米軍占領が続く中で、民族の誇りも、時代の良心も失ってしまった。支配者層は、愛国心の注入に躍起である。しかし、アメリカいいなりの屈辱外交を続ける限り、国民の愛国心は永久に育たない。
グアム「移転」協定は、①外国領土にある基地の強化のために財政支出を行うという、世界でもまったく類例のない、異常な隷従以外のなにものでもない。さらに②この協定の条件として、沖縄の辺野古沖に海兵隊の最新鋭基地を建設する米軍再編の「ロードマップ」がパッケージにされている。③もっとひどいのは、財政支出に際限がない―海兵隊の移設費用だけではなく、海軍、空軍施設の費用、移設後の海兵隊の訓練や移動の費用などの負担にも使われる。すなわち、今後沖縄の実戦部隊がグアムで訓練するたびに、際限なく税金が流出する仕掛けになっているのだ。
10日の衆院外務委員会での採決に先立って、日本共産党の赤嶺政賢議員は「沖縄の米軍基地は、県民の土地を強奪してつくったものだ。その土地の返還に新基地建設などの条件をつけるなど到底許されない」と批判。赤嶺氏は、第二次世界大戦末期に沖縄に上陸した米軍が住民を収容所に囲い込んで基地を建設したうえ、戦後は「銃剣とブルドーザー」で県民の土地を強奪した歴史を切々と訴え、「米軍は64年間、県民に何の補償をすることもなく、沖縄に居座り続けてきた」と告発し、グアム協定は「沖縄をめぐる屈辱外交だ。日本の財政負担には一片の道理もない」と麻生首相に迫った。
今年1月クリントン米国務長官の訪日とともに突如表面化したグアム「移転」協定。その狙いの第一は、米軍再編や新基地建設に強く反対する沖縄県民に対して支配者層の強い意志を誇示すること、第二は、政権交代後の日本政府に縛りをかけることである。新崎盛暉・沖縄大学名誉教授は、沖縄県民の意思を蹂躙する支配者層の高圧的姿勢は、「実は、権力者の末期的症状を示すものであることを見逃さないでおきたい」という(「しんぶん赤旗」2009年4月14日)。
委員会で可決された協定は14日にも衆院本会議で可決、参院に送られる見通しである。国際条約にあたるというので、衆院で可決されれば参院で可決しなくても30日後には成立する。私たちは、仕方ないで済ますわけにはいかない。次の総選挙で必ず政権交代を実現し、協定の実施を許さないたたかいを続けることだ。ベトナム人民の艱難辛苦に比べたら、簡単なことだ。
私は4月6日、ハノイのホーチミン廟を訪れた。月曜日は休館日ということで、故ホーチミン主席の姿を直接見ることはできなかった。自分が個人崇拝の対象となることを嫌い、汚職・権力等とは無縁だったホーチミン主席。カーキ色のすすけた服に使い古したタイヤから作られたゴムサンダルを履き、長い顎鬚をはやし、高床式の簡素な造りの家に住み、質素な生活を送ったホーチミン主席はベトナムではホーおじさん(バック・ホー)<BAC HO>と呼ばれ北ベトナムだけではなく、南ベトナムの人民からも親しまれた。彼の残した数々の名言は今もベトナムの人たちの心の中に生き続けている。
「チューンソン山脈が焼き尽くされようとベトナム人民は必ずや独立を勝ち取る」 「ベトナムはひとつです、ベトナムの民族はひとつです。河の水が浅くなっても、山が崩れても、その真理は変わらない」 「山もある、河もある、人もいる、アメリカに勝ったら築きあげよう、十倍も美しく」 「戦争は5年、10年、20年あるいはそれ以上長引くかもしれない。ハノイやハイフォン、そしていくつかの都市や企業は破壊されるかもしれない。だが、ベトナム人民は決して恐れはしない、独立と自由ほど尊いものはない、勝利の日には、人民は我が国をもっと立派に、もっと美しく再建するであろう」。
「独立と自由ほど尊いものはない」、「山もあり、河もある、人もいる。アメリカ侵略者を追い出したあとに、今より十倍も美しく、祖国を築きあげよう。前途にどれほどの困難と辛苦が横たわろうとも、我が人民は必ず完全な勝利を勝ち取るだろう。アメリカ帝国主義者は立ち去らねばならない」―なんと気高く、民族の精華と気迫、時代の良心を鼓舞することばではないか!
私たち日本人は、戦後米軍占領が続く中で、民族の誇りも、時代の良心も失ってしまった。支配者層は、愛国心の注入に躍起である。しかし、アメリカいいなりの屈辱外交を続ける限り、国民の愛国心は永久に育たない。
グアム「移転」協定は、①外国領土にある基地の強化のために財政支出を行うという、世界でもまったく類例のない、異常な隷従以外のなにものでもない。さらに②この協定の条件として、沖縄の辺野古沖に海兵隊の最新鋭基地を建設する米軍再編の「ロードマップ」がパッケージにされている。③もっとひどいのは、財政支出に際限がない―海兵隊の移設費用だけではなく、海軍、空軍施設の費用、移設後の海兵隊の訓練や移動の費用などの負担にも使われる。すなわち、今後沖縄の実戦部隊がグアムで訓練するたびに、際限なく税金が流出する仕掛けになっているのだ。
10日の衆院外務委員会での採決に先立って、日本共産党の赤嶺政賢議員は「沖縄の米軍基地は、県民の土地を強奪してつくったものだ。その土地の返還に新基地建設などの条件をつけるなど到底許されない」と批判。赤嶺氏は、第二次世界大戦末期に沖縄に上陸した米軍が住民を収容所に囲い込んで基地を建設したうえ、戦後は「銃剣とブルドーザー」で県民の土地を強奪した歴史を切々と訴え、「米軍は64年間、県民に何の補償をすることもなく、沖縄に居座り続けてきた」と告発し、グアム協定は「沖縄をめぐる屈辱外交だ。日本の財政負担には一片の道理もない」と麻生首相に迫った。
今年1月クリントン米国務長官の訪日とともに突如表面化したグアム「移転」協定。その狙いの第一は、米軍再編や新基地建設に強く反対する沖縄県民に対して支配者層の強い意志を誇示すること、第二は、政権交代後の日本政府に縛りをかけることである。新崎盛暉・沖縄大学名誉教授は、沖縄県民の意思を蹂躙する支配者層の高圧的姿勢は、「実は、権力者の末期的症状を示すものであることを見逃さないでおきたい」という(「しんぶん赤旗」2009年4月14日)。
委員会で可決された協定は14日にも衆院本会議で可決、参院に送られる見通しである。国際条約にあたるというので、衆院で可決されれば参院で可決しなくても30日後には成立する。私たちは、仕方ないで済ますわけにはいかない。次の総選挙で必ず政権交代を実現し、協定の実施を許さないたたかいを続けることだ。ベトナム人民の艱難辛苦に比べたら、簡単なことだ。