プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

参院選スタート  争点は「ねじれ・景気」ではない  「ねじれ」大いに結構

2013-07-05 17:57:05 | 政治経済

第23回参議院議員選挙が公示され、7月21日の投開票日に向けて選挙戦がスタートした。早速、日本記者クラブが醜悪な公開討論会を行った。各党が同じ土俵で選挙戦を戦うのであるなら、少なくとも、各党代表者の発言時間を均等にする措置を取るのが当然でないか。参院選公示前日に9党の党首が初めて一堂に会した日本記者クラブの党首討論会。本来ならば、党首同士が活発に討論し、各記者が国民の声を代弁して質問し、参院選の争点を洗い出す貴重な時間となるはずだった。ところが、党首討論会の第2部では、「読売」「朝日」「毎日」「日経」の記者たちが安倍首相に質問を集中させ、「大宰相」ともてはやす異常さ。安倍首相と巨大メディアトップとの会食が連日繰り返され、都議選告示の前々日(6月12日)には、各紙の論説委員らが首相と会食する異常。権力と癒着した巨大メディアは、ここまで腐ってきたのだ


参院選に突入し、巨大メディアが選挙の意味を報じるが、この報道そのものが偏向の極致を示している。「ねじれ」と「景気」が参院選争点というのは、悪質な世論誘導だ。アベノミクスの破綻が明らかになるには、もう少し時間がかかる。バブルは必ず弾けるが、相場は常に水物である。大胆な財政出動は、一時凌ぎの効果はあるが、将来、より悲惨な財政破綻となって跳ね返る。安倍成長戦略は、小泉構造改革の焼き直しにすぎない。近い将来、大企業・富裕層と一般庶民との二極化・格差拡大をいっそうひどくするだけだ。アベノミクスの幻想がはがれないうちに威勢のよい掛け声で国民の支持を取り付けたいというのが、安倍政権の発足当初からの目論見である。参院選報道は、正に、安倍の提灯持ち、巨大メディアの出番である

「ねじれ」を解消すべきだと騒いでいるは、自・公の与党と巨大メディアだけである(心情的には、独裁と効率が大好きな維新、みんなも同じ)。そもそも「ねじれ」が無かったら、大政翼賛ではないか。「ねじれ」があるからこそ、慎重な議論が行われ、一方的な暴走を食い止めることができる。「ねじれ」大いに結構。二院制の下で、「ねじれ」はむしろ健全な現象なのだ。

 

もし衆参両院の「ねじれ」がなくなればどうなるか。安倍政権の思うままの国会になってしまって本当にいいのか。憲法改正、TPP参加、原発推進、消費税増税、新基地押し付けやオスプレイの自由飛行など安倍首相のやりたい放題の政治が始まるのだ。これまで「参院が抵抗するから」、あるいは「参院選があるから」ということで、自制されていた暴政が次々と思いのままに実行に移されるだろう(次の参院選まで、3年間、国政選挙の洗礼がないのだ)。

巨大メディアが喧伝する「ねじれ解消」ではなく、自民党と公明党の合計議席が過半数を超えないようにすること=「ねじれの維持」こそ、今度の選挙の最大の課題なのだ。

 

<インフレ、消費税増税、社会保障の切り下げはごめんだ。96条などもちだす憲法改悪なんかにだまされない。安保条約のうえにTPPにまで加入して、これ以上アメリカにがんじがらめにされたくない。

そんな思いの生活者は自民党と公明党が衆議院で我が世の春を謳歌しているのを見ながら、なんかおかしいと思っている。「ねじれ」というなら、そうした人々の思いと衆議院の議席数の齟齬こそ正真正銘の「ねじれ」ではないか。

小選挙区制がつくり出す、国民の意思と議席とのねじれ。世論と政権とのねじれ。憲法の理念と政権与党の政策とのねじれ。解消すべき本物の「ねじれ」と、解消する必要のない「ねじれ」とを見極めねばならない。

今回の参院選で、与党のいっている「ねじれ」の解消とは、多数派政党のほしいままの横暴を許せと言っているのだ。こんな「ねじれ」の解消は絶対にさせてはならない。

みんなで「ねじれよねじれもっと大きくなあれ」と力を合わせることこそ必要だ。>(「澤藤統一郎の憲法日記」2013年7月4日)


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