プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

格差と貧困 いまが攻め時、頑張り時 厚生労働省の変化 規制改革会議・経財諮問会議に翳り

2008-03-07 20:34:40 | 政治経済
小泉・安倍政権がすすめた「新自由主義」の暴走のもとで、貧困と格差が劇的に拡大し、経済政策の民主的転換が、いま切実に求められている。反貧困の運動が、これまでにない広い国民の気持ちをとらえ、国民の声となりつつある。一部の研究者の間だけの言葉だった「ワーキングプア」もいまやマスコミや一般の人々の言葉となった。このような中で財界主導の規制改革会議や経済財政諮問会議の言いなりだった 厚生労働省の態度にも微妙な変化が生じている。労働者階級の反貧困の運動は、いまが攻め時、頑張り時なのである。

いま日本社会を覆う貧困の広がりの根源には、人間らしい雇用の破壊がある。これに対抗する全国の労働者のたたかい、日本共産党の一連の国会論戦などによって、派遣労働法制の規制緩和から、規制強化の方向に踏み出す潮目の変化が、いま生まれつつある。労働法制の改悪・規制改革を推進してきた「改革のエンジン」が止まった――いま労働の分野でこんなことが囁かれている。
「改革のエンジン」というのは、一つは首相の諮問機関で財界人を中心に構成される規制改革会議。もう一つは首相を議長に経済関係大臣と財界民間議員が主導する「構造改革の司令塔」=経済財政諮問会議である。財界主導のこの二つの組織が、労働基準法や労働者派遣法の改悪・規制緩和を答申。それが、閣議決定され、実行されてきた。小泉時代には、ここでの決定に異議をとなえるものは「抵抗勢力」として攻撃され、熱病にかかったかのように構造「改革」が称賛された。厚生労働省も当然にその流れを推進してきた。

ところが、最近の国民の間に広がる反貧困運動を前にして厚生労働省の態度に微妙な変化が生じている。昨年12月25日、規制改革会議が「第二次答申」を出した3日後の28日、「規制改革会議『第二次答申』に対する厚生労働省の考え方」という文書を出した。規制改革会議の答申に強い表現で異を唱えている。
労働市場における規制は、(労使)当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべきである、労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという考え方は一部に残存する神話であり、安易な考え方であるという答申に対して「一般に労働市場において、使用従属関係にある労働者と使用者との交渉力は不均衡であり、また労働者は使用者から支払われる賃金によって生計を立てていることから、労働関係の問題を契約自由の原則にゆだねれば、劣悪な労働条件や頻繁な失業が発生し、労働者の健康や生活の安定を確保することが困難になることは歴史的事実である。このため、他の先進諸国同様、我が国においても、『労働市場における規制』を規律する労働法が、立法府における審議を経て確立されてきたものと理解している」ときわめて正論を述べる。そして、「『一部に残存する神話』、『安易な考え方』といった表現は不適切である」と真っ向から反論する。
一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付ける派遣法40条を撤廃しろとか、派遣期間の限定や職種の限定をはずせ、派遣と請負を区別した労働省告示を見直せという、御手洗冨士夫キャノン会長(日本経団連会長)の要求をそのまま織り込んだ規制改革会議の言い分に対し、厚労省は、「主張は不適当である」「同意することはできない」などの表現で、きっぱりと受け入れを拒否している。

厚生労働省のこれらの変化を見る限り、「労働ビッグバン」に異変が起こっていることは確かである。
これまで、規制改革会議や経済財政諮問会議のメンバーには労働側の代表者が入っていなかった。財界とその御用学者だけの一方的な意見で小泉「改革」の錦の御旗のもと好き勝手をやってきた規制改革会議や経済財政諮問会議に我慢ならないと思っている官僚が厚生労働省におっても不思議ではない。しかし、彼らを支え、そして財界に対抗して現実に展望を開くのは、労働者、労働組合、市民のたたかい、世論、国会での追及などである。それらが、どこまで盛り上がるかが今後の帰趨(きすう)を左右する。いまが攻め時、頑張り時なのだ。


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