プロメテウスの政治経済コラム

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中国防空識別圏設定   あなどりと脅威論の狭間で揺れ動く日中関係

2013-12-04 22:17:31 | 政治経済

中国が東シナ海に防空識別圏を設定したことで日本国中、大騒ぎしている。防空識別圏とはそもそも何か。各国が自主的に、敵の戦闘機が超高速で侵入してきても、敵機かどうか識別して迎撃体制をとる時間を作れるよう、陸地から12海里しかない領空の外側に幅広く設けるものだ。識別圏は、第二次大戦の勃発時に米国が初めて設定し、冷戦時代に西側の対ソ連の防空体制として米国の同盟諸国が相次いで設定した。防空識別圏については、国際的な規定はなく、他国の了解を必要とせず、各国が自由に設定できる。中国が今まで防空識別圏を設定していなかったのが不思議なくらいで何も驚くことではない。ところが、中国が今回設定した識別圏は、日本、韓国、台湾の識別圏と重複する領域があり、そのうえ、圏内を飛行するすべての航空機に対して中国航空当局への飛行計画書の事前提出や中国国防省の指示に従うことを求め、従わない場合には武力による緊急措置を取る方針を明らかにしたため、大騒ぎに輪をかけた。

 

識別圏は各国が自国を守るため自由に設定するものであり、本来、複数の国の防空識別圏が重複することがあっても、そのこと自体は問題でない。日本、韓国、台湾の防空識別圏が互いに重複していないのは、いずれも軍事面で米国の傘下にあるので、領域的に重複しないかたちで防空識別圏を設定しているだけである。

中国は今回、あえて米国や日本と同じ土俵に立って識別圏を設け、しかもそれを日本などと重複するかたちにすることで、尖閣を国有化しておいて領土問題の話合に応じない日本に対して、国際的な合法性をとりつつ、尖閣諸島に対する領有権の主張を対抗的に強化したのだろう。また、韓国が海洋研究施設を置いている離於島暗礁もかぶるかたちに設定したのは、在韓米軍と韓国軍が中国の領海近くで軍事演習を繰り返していることに対して、“お前たちの好きにはさせない”と言うことだろう。中国の今回の防空識別圏設定に込められていた意味は、米国が太平洋地域随一の大国であり続けるという現状を中国は受け入れないということだろう。したがって、日米が「撤回」を迫っても、応じることはまずありえない

 

安倍政権の中国防空識別圏設定に対する対応は、はじめから「ケンカ腰」である。当初、国内航空各社は、中国の航空当局の要請に従って飛行計画を出した。しかし、日本政府は、中国の設定した防空識別圏は認めない、という立場から、航空各社に飛行計画の提出を中止するよう行政指導した(米政府は大人なので、中国側の要請を尊重し、国際線が東シナ海防空識別圏を飛行する際には中国側に飛行計画書を提出するよう“助言”した。シンガポールやオーストラリアの航空会社も中国への事前通告をしている)。さらに安倍政権は、中国をあなどるかのように、自衛隊機と海上保安庁の航空機を事前通告なしに中国の設定した防空識別圏を飛行させ、「中国の設定は認めない」という立場を鮮明にしている。

 

しかし、それだけでいいのだろうか。安倍首相には深刻さを増している日中関係を歯牙にもかけないという「勇ましさ」とともに、短絡的発想に危険性を感じざるをえない。安倍首相は、日本が強く出ても日中軍事衝突が起こることはあり得ない(アメリカの後ろ盾があるので、中国が強く出てくるはずはない)と高をくくっている、もっと言えば、むしろアメリカを引き込んで中国に一泡吹かせてやりたい、とすら考えているのではないだろうか。それは現代戦争の取り返しのつかない破壊性、破滅性に対する致命的な認識の欠落に起因するものであり、軍事大国化へ暴走を加速する安倍政権の危うさそのものである。

 

安倍政権の暴走を支えているのが、日本国民の間に広範に存在する「中国はどうしようもない問題児」であるという“あなどり”と一方における“脅威論”である

根底にあるのは、日中関係が未だかつて対等平等な二国間関係の歴史を経験したことがないということである。このことは、対等平等な国家関係こそが現代国際関係の基本であることを考えれば、ある意味異常である。対等平等な日中関係を知らないために、双方の国民が相手側に対して違和感、警戒感、更には敵対感情を持ちやすい。日中15年戦争では、中国をあなどり「敗北」し、挙句の果て、アメリカに「降伏」するという憂き目にあった。私たち日本人の過去の侵略の歴史に対する受けとめ方(認識以前の問題)として、「過去を水に流す」という受けとめ方が非常に強いが、中国人は「歴史の民」であり、「歴史を鑑と為す」受け止めをする。大国化した中国に脅威を感じる根底には、過去の歴史に真摯に向き合わない日本人と歴史を鑑とする中国人との歴史認識における、すれ違いの問題が存在するのだ

 

1972年以後の日中関係は形式的法的には対等平等なはずなのだが、現実には日米安保体制(日米軍事同盟)・アメリカが日中の間に立ちはだかっているので、日中関係はどうしてもアメリカ抜きには語れない関係でしかなかった。周知のとおり、尖閣問題もまたこの枠組みの下にある。

私たち日本人の国際観は、浅井基文さん流にいうと「天動説」である(2013年2月10日「日中関係の危機の本質-「レーダー照射事件」から考える-」)。つまり、世界は私たち(日本)を中心に回っているという見方しかできないのだ。戦前における中心軸は天皇、戦後はアメリカに中心軸が移ったが、日本はいつも世界の中心にあるのだ。あるいは、国際関係を上下関係としてしか位置付けられない見方と言ってもいいだろう。世界の中心(頂点)にある限り、日本(今ではアメリカ)が物事を誤るとか罪を犯すとかいうことはあり得ないわけで、何か日本(アメリカ)にとって意に沿わないことが起これば、それは必ず相手側が悪いということになるのだ。

 

現在の中国の進めている政策体系及びその基礎に座る情勢認識、自己規定に異論や反発があってもいい。問題は、どれだけ相手の立場に立ち、かつ、できる限り相手になりきって物事を眺め、認識するかである。アメリカべったりの日本の政治のありようを克服して、自らの視点、座標軸を確立して大国化する中国に対し、対等平等な立場で渡り合うことだ。


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