プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

民主代表選  肝心なことは、政権交代による政治変革を前に進めること

2010-09-04 21:09:59 | 政治経済
菅首相と小沢前幹事長の舌戦がマスコミの囃し立てもあって、ヒートアップしてきた。この民主党内の両者の争いは、先の参院選の同党への批判を考えら、ドッチもドッチで国民不在の不毛な争いには違いない。しかし、マスコミの異常な小沢叩きを見ていると、支配層の巻き返しの執念を感じる。「元米高官、小沢氏を酷評」「昨年来の反米的発言は、日米関係に相当の打撃を与えた」(「知日派」のマイケル・グリーン元米国家安全保障会議アジア上級部長)という(「東京新聞」9月2日)。「財界 政治空白を懸念」「小沢政権なら関係冷える」「小沢氏が勝利し、政権につけば、政府との関係が再び冷え込む」と経団連関係者が懸念しているという(「毎日新聞」9月2日)。「ズル菅」「空き菅」は支配層にとって御し易いが、小沢には少し骨があるというわけである

 民主党は、選挙目当てとはいえ、小泉構造改革政治の矛盾が爆発し、反構造改革や反改憲の運動がおこってくるなかで、保守の枠組みから逸脱する二段階の変貌を遂げた。第一段階は、小沢代表時代の07年マニフェストであり、「国民の生活が第一」というスローガンを掲げ、子ども手当て、農家への戸別所得補償、高校授業料の無償化など、明らかに構造改革路線を逸脱する方向転換をおこなった。この07年マニフェストに対しては、財界は強い危機感をもって政党評価“通信簿”などで強い圧力をかけたが、民主党はますます高まる国民の反構造改革や反改憲の運動を受けて、その後もさらに前進し、09年の鳩山マニフェストで、第二段階の変貌を遂げた。すなわち09年マニフェストでは、07年マニフェストでも言っていなかった、後期高齢者医療制度の廃止や障害者自立支援法の廃止、労働者派遣法の抜本改正を掲げたのだ(渡辺治「菅政権の登場と参議院選挙の意義」『前衛』2010・8 No.860)。
この二段階の変貌は、民主党に対する新しい期待を生み、昨年の総選挙で歴史的な政権交代を実現したのだった

 しかし、政権交代を実現しながら、鳩山首相も小沢幹事長も自らの「政治とカネ」問題で足を掬われたうえに、財界、アメリカの巻き返しを受けて鳩山政権は、動揺、ジグザグを繰り返し、国民の期待を裏切り続けるところに追い込まれ、ついに参院選を前に両者とも辞任した。支配層は、小沢、鳩山を辞任に追い込み、菅政権と民主党を保守政権の枠内に引き戻すことに成功したように見えたが、菅政権成立直後の参院選で民主党は、国民に厳しい審判を受けることになった。構造改革の政治を止めてもらいたいという期待をうけて登場した鳩山政権が国民の期待を裏切り動揺したうえに新たに登場した菅政権が構造改革でも日米同盟でも政権交代の意義を蔑ろにし、自公政権と同じだということが分かったからである。民主、自民もドッチもドッチということで、09年まで、合わせて7割あった自民、民主両党の得票は、今回の参院選挙では56%にまで落ちた。しかし、2大政党に対して不信感を示した票はみんなの党をはじめとした新党に行った。新党への得票を合わせた保守全体の得票率は依然、優に7割を超えており、現状における日本国民の民度と革新側の力量の限界であり、支配層はさぞ安心したことだろう。

 ズル菅の思惑通りにはならない、支配層の安心に待ったをかけようと再び登場したのが小沢前幹事長である
菅首相はリベラル、市民運動をうたい文句に政治家の人生を歩んできた人物である。しかし、鳩山政権を継いだズル菅は、鳩山政権が保守の枠組みから逸脱した部分をもう一度、保守の枠内に戻す、財界とアメリカの強い期待の下で、構造改革と日米軍事同盟の政治を再び目指そうとしたのだった。そこで、支配層の危惧を感じ取ったズル菅は、反小沢を掲げ、財界が求める消費税増税(抱き合わせの法人税引き下げ)を掲げたのだ。小沢氏は、選挙目当てとはいえ、消費税引き上げに反対し、普天間基地の沖縄県内盥回しに反対していた

 菅、小沢どちらが、好ましいか。大マスコミは、小沢さんへのネガティブ・キャンペーンを展開することで、菅さんを積極的に応援しているようだ。「ズル菅」「空ら菅」は支配層にとって御し易いが、小沢氏には少し骨があるようだから、支配層の意向を代弁することを使命とする大マスコミは、菅氏に肩入れすることになった。
新聞各紙での世論調査とは異なって、ネットなどでの調査では、既に今の段階でも、菅さんよりも小沢さんを支持する意見が多くなっているという(「五十嵐仁の転成仁語」9月3日)。
五十嵐さんは、「選挙になったのなら、小沢さんに勝ってもらいたいと思います。確かに、小沢さんは『政治とカネ』の問題を抱え、古くさい政治手法や親しみにくいキャラなど、支持しがたいところもありますが、それでも内容のない『空き菅』よりはましです」という(9月1日の「五十嵐仁の転成仁語」)。

私も、「菅蹴り」は必要だと思うが、五十嵐さんほど小沢さんに熱くもなれない。
肝心なことは、国民がなぜ自分たちは、政権交代を望んだのか、政権交代による政治変革を前に進めるためには、いかに支配層の権力操作が障碍になっているかを身をもって学ぶことである。いつまでも、「その国の政治がアホなのは国民がアホだから」と言わせてはならない

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