プロメテウスの政治経済コラム

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沖縄施政権返還40年  祖国復帰は日本国憲法のもとへの復帰ではなく、安保体制への復帰だった!

2012-05-15 18:28:33 | 政治経済

15日に本土復帰40年を迎えた沖縄に、祝賀ムードはない。政府の振興策によって県都・那覇が本土の都会と同じような街並みとなったが、米軍基地負担が重くのしかかり続ける現実に沖縄の人々は、ヤマトンチュへの不信をつのらせるばかりである。日本共産党の志位和夫委員長が、12日に開かれた全国革新懇の年次総会で『日米安保条約をなくしたらどういう展望が開かれるか』という記念講演を行った(http://p.tl/-GMS)。中身は至極もっともなことばかりだが、沖縄の人びとには虚しく響いたことだろう。日本共産党や革新懇は、本気で民主連合政府の樹立を目指しているのだろうか。安保条約廃棄の政府ができるまで、なぜ沖縄に基地を押しつけ続けられなければならないのか。安保廃棄の政府の前にヤマトンチュはやることはないのか。

15日の本土復帰40年を前に、琉球新報社と毎日新聞社が合同で実施した世論調査は、米軍普天間飛行場の辺野古移設など、これ以上の基地重圧をきっぱり拒む沖縄の強い民意と、本土との認識の差を浮かび上がらせた(「琉球新報」2012年5月10日社説)。
<在日米軍基地の74%が沖縄に集中していることをめぐり、県民の69%が「不平等だ」と答えたのに対し、全国調査では33%と半数以下にとどまった。住んでいる地域に在沖米軍基地が移されることへの賛否を全国で問う設問で、賛成は24%だが、反対は67%に上った。米軍基地集中を「不平等」と回答した人のうちでも、自らの地域への基地移設反対は69%に上る。沖縄の過重負担を一定程度理解しても、基地受け入れには難色を示すのが本土の民意の現実だ。移設候補地に挙がった本土の自治体はすぐに反対を表明し、政府も断念する。だが、知事、議会、市町村長のすべてが県内移設に反対し、民主主義的な手だてを尽くす沖縄に対しては、日米両政府が県内移設をのませようとする。復帰から40年を経ても、結果的に本土は沖縄に基地を押し付け、自らの安全の踏み台にしている。
これって、安保廃棄の政府ができるまで待てということと同じでないか! 明らかに差別と犠牲の押し付けである。

 

国際法を蹂躙した米国の軍事植民地のもとでつくられた米軍基地が、憲法違反の日米安保条約で正当化された。歴史的に何度もヤマトに差別と犠牲の苦渋をなめさせられながら、沖縄県民が祖国復帰を望んだのは、日本国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願い、基地のない平和の島を取り戻したいと強く望んだからであった。

毎日新聞の井本義親記者(那覇支局)が、示唆に富む興味深いレポートをしている(記者の目「沖縄復帰40年を迎えて」毎日新聞2012年05月15日 00時17分)。
<沖縄は15日、本土復帰40年を迎えた。那覇支局で2年間取材して強く感じていることがある。沖縄で米軍基地問題などを巡って繰り広げられる集会やデモの頻度と温度の高さだ。集会の自由を保障する日本国憲法を沖縄の人たちは大事にしている。それは、27年間の米国統治下で闘って憲法の下への復帰を獲得したからに違いない。本土以上に民主主義の本質をつかんでいる沖縄に私たちが学ぶべきことは多いのではないか。沖縄赴任直後の10年4月、読谷村であった普天間の県外移設を求める県民大会に超党派の9万人が集まった。民意に抗しきれず、参加した仲井真弘多(ひろかず)知事は大会で「沖縄の過剰な基地負担には差別の印象すら持つ」と叫んだ。民意と県政が一体化した瞬間だった。大きな力に抵抗し、直接的な民意の表現を続ける沖縄を私は初めて目撃した。>
<太平洋戦争で本土のための捨て石とされた沖縄の人々は、戦後、米軍に対するデモなどで自治を勝ち取った。土地を強制接収した米軍相手に50年代に土地闘争を挑み、60年代の運動で琉球政府の主席公選制を認めさせた。そして本土復帰運動を闘い抜いた。対して沖縄の本土復帰2年前の70年に日米安保条約が自動延長となり、本土の人々にとって安保は水や空気のようなものになり、沖縄の犠牲の大きさに対し思考停止状態になっていないだろうか。イギリスの自治制度などに詳しい琉球大の島袋純教授は、本土復帰運動をふまえて意識の差をこう解説してくれた。「復帰運動は米軍による人権侵害からの解放を求めた運動でもあった。国民主権と基本的人権を尊重する日本国憲法の下でこそ、それが可能になると思った。ところが復帰後、沖縄が米軍基地被害を訴えても本土は動かない。裏切られたとの思いになった」。 島袋教授はこうも語った。「欧州では権力による人権侵害があった場合、声を上げるのが主権者たる国民の義務と思っている。だからデモもストライキも辞さない。民主主義を形骸化させないために、市民の直接行動は大切だ」
<取材の中で肌で感じるのは、沖縄独特の民主政治が育っていることだ。選挙を通じた民主主義のシステムとは別に、集会やデモで直接に民意を示す文化が定着している。水面下には無言で賛意を示す多くの県民が存在する。だから集会などで示された民意が行政の動きを規定する。普天間問題が好例だ。政府は首長の了解があれば地元了解は取れたと考える。しかし沖縄の場合、首長の態度とは別に、集会などで繰り返し民意がはっきりと示されるため、首長の了解だけでは問題は進展しない。>
本土が沖縄の犠牲の上に安穏と過ごす間に、自らの痛みに向き合い自治を勝ち取ってきた沖縄の民主主義ははるか先へ行ったと、私は思う。

安保廃棄の政府樹立の前に私たちヤマトンチュは何をやるべきか。沖縄でデモや集会があれば、それに呼応して本土でもデモや集会を必ずやる。沖縄の基地負担軽減のために、進んで本土で負担を受け入れる。そのうえで、安保廃棄のスローガンを建前的に掲げるのではなく、沖縄の人びとに納得してもらえるレベルまで民主連合政府樹立のための具体的な行動を起こし、奮闘することだ。5月15日だけを沖縄連帯の日にしてはならない。

 


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