プロメテウスの政治経済コラム

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『核持ち込み』密約 歴代外務次官の証言 日本人の反核感情を恐れた日米支配層

2009-06-22 21:43:56 | 政治経済
5月31日、米軍の日本への「核持ち込み」に関する密約が歴代外務事務次官らによって引き継がれていたことを、4人の次官経験者が証言したとの記事を共同通信が配信し、1日付の地方紙・ブロック紙がいっせいに報じた。「1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した『核持ち込み』に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。4人の次官経験者が共同通信に明らかにした」と言うのだ(「共同通信」2009/05/31 16:58 )。
「次官経験者によると、核の『持ち込み(イントロダクション)』について、米側は安保改定時、陸上配備のみに該当し、核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は、日米間の『事前協議』が必要な『持ち込み』に相当しないとの解釈を採用。当時の岸信介政権中枢も黙認した」「こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきた」という(共同通信」同上)。
 
「核持ち込み」密約の存在を裏付ける資料の本体は、1990年代末に米公文書館で解禁され、日本共産党が独自調査にもとづいて入手していた。この秘密協定は、改定安保条約のワシントンでの調印(1960年1月19日)に先立って、1月6日、藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使が署名したものである(「相互協力及び安全保障条約討論記録 東京 1959年6月」―「交換公文」としないで「討論記録」としたのは、日本政府がいかなる秘密取り決めの存在も否定できるようにするためだとアメリカの報告書は説明している)。
不破哲三委員長(当時)が2000年、国会の党首討論で小渕恵三、森喜朗首相(同)を合計4回にわたって追及した。2000年の党首討論では、不破氏の追及に小渕首相は文書の存在について「コメントできない」と答弁。その上で、「(密約は)見たこともないし、聞いたこともない」と述べ、密約の存在を否定した。
ところが今回の「共同通信」によれば、小渕氏は、事務次官が密約を伝えていた首相のひとりである。国民には白々しいウソをついても、「日米同盟」に忠誠を尽くす、いかにも自民党の代表らしい。もはや誰の目にも密約の存在は明らかである。それでも麻生政府は、当然のように、何の根拠も示さないまま、「密約は存在しない」「核の持ち込みはない」(1日、河村建夫官房長官)と繰り返している。
この60年密約は、陸上常時配備の核兵器以外、艦船や航空機による核兵器の持ち込みは、事前協議の対象としない、というものであったが、これだけでは説明のつかない事例もある。安保改定前の59年から改定後の66年まで、岩国基地沖100~200メートルに核爆弾を積んだ上陸用舟艇(LST)サンホアキン・カウンティ号が係留され続けた事実がある。駐日大使だったライシャワーもこの事実を認めている。新原昭治・国際問題研究者は、「本格的な陸上の常時貯蔵に相当する行為で、別の密約が結ばれていた可能性がある」と語っている(『週刊 金曜日』2009年6月19日 755号)。

旧安保条約が1951年9月8日に国民に目隠ししたままでスタートして以来、日米安保交渉の節々で各種の「密約」が交わされていることは、米解禁文書を研究している人々とっては常識となっている。米国防総省は、日本における米空軍の反撃能力を緊急に高めるために必要な核兵器の日本における貯蔵を長い間にわたって希望してきた。米国あるいは海外の米軍基地か核攻撃を受けるような状況になった場合、日本に核兵器が配備されていなければ核兵器による反撃を準備するための時間が長くなり、その結果、米国の核抑止力の信頼性が低下する、という論理からである。しかし、米国政府は、日本人の反軍事とりわけ反核の感情が根強いことを重々承知していた。核に対する日本人の嫌悪感を下手に逆撫でするようなことをして、結果として日本における全ての米軍基地を失うようなことにならないか―これをかれらは最も恐れた。だから、日本を守る気などもともと無いのに「米国が日本を守る」と言い続け、日本国民を懐柔しているのだ。
1955年3月14日、当時の鳩山一郎首相が外国人記者団に「力による平和を是認するなら原爆貯蔵を認めなければならないだろう」と発言し、大問題になった。1955年は、前年の第五福竜丸の被爆事件を受けて、第一回原水爆禁止世界大会が始まった年である。重光葵外相は国民世論を鎮めるために、アリソン駐日大使と会談し、「日本の承諾がなければ原爆を日本に持ち込まない」と合意したと国会で答弁した。しかしこの「合意」なるものは、日本側の捏造であった。アリソン大使は、国民の前で論争するわけにはいかないので、秘密書簡で重光外相を厳重に注意したことも米解禁文書で明らかになっている(新原 同上)

「非核三原則」(つくらず、持たず、持ち込ませず)でノーベル平和賞を受賞した佐藤首相ら日本政府は一貫して国民をだまし続けてきたわけだ。今回は外務官僚機構トップにいた人たちの証言だけに、言い逃れを許せば、日本国民は世界の笑い者である。国政調査権の発動も含め、国会として真相の徹底究明をすべきである。総選挙後の新しい国会に期待したい。


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