プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

「君が代」起立命令は合憲  「日本国憲法の精神」がわからない最高裁

2011-05-31 20:55:55 | 政治経済

卒業式の「君が代」斉唱時の不起立を理由に、東京都が定年後の再雇用を拒否したのは「思想や良心の自由」を保障した憲法(19条)に違反するなどとして、元都立高校教諭の申谷(さるや)雄二さんが都を相手に賠償を求めた訴訟の判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、「教職員に対する校長の起立命令は合憲」とする判断を示した。職務命令は、特定の思想を持つことを強制するものではなく、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するとは認められないというのだ。しかし、職場における自由な人間関係が最も尊重されなければならない教育現場に教師の行動を監視するような職務命令を持ち込むこと自体「憲法の精神」に反する。20世紀の人類の歴史と英知を体現した日本国憲法は、国家が人間の精神内部に立ち入ることを許さない。違憲の職務命令に従わなかったからといって処分の対象になる謂われはないのだ 

 

最高裁も少し気が引けたようだ。「君が代」を起立斉唱する行為は、教員が日常担当する教科や事務内容に含まれず、国旗と国歌に対する敬意表明の要素を含む行為ともいえるから、自らの歴史観や世界観との関係で、日の丸や君が代に敬意を表明するのは応じがたいと考える者が起立斉唱を求められることは、思想及び良心の自由の間接的な制約となる面があるとした。しかし、公立高の教諭である原告は、地方公務員の地位や職務の公共性にかんがみ、法令及び職務上の命令に従わなければならない。今回の職務命令については、間接的な制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるから、原告の思想及び良心の自由を侵して憲法19条に違反するとは言えない、と結論づけた。

 

個人の精神的内面の自由を、職務命令によって、縛って(制約して)もよいと最高裁は言う。国家(地方権力も含む)にそのような裁量権を与えてよいのか。国家権力にどのような裁量権を与えるかは、国家と国民との力関係によって決まる法というものは国家権力の物理的力によって制裁が加えられるルールであるから、どういうルールを法にするか、すなわち国家権力の行使をどの範囲のルールにのせるかは、裏を返せば、国民の権利がどのように守られるかと言うことである。税務署の役人が国民から税金を取るときのルールとして税法があり、警察官が人を逮捕する場合のルールとして刑事訴訟法とか、警職法がある。国家と国民の関係では、権力を持っている国家のほうがはるかいに強い立場にあるわけだから、国家権力の作用を一定のルールによって抑え、弱者である国民の権利を守るのが「憲法の精神」であるこうして近代国家では人間の精神的価値の自由というものは基本的人権となり、国家は人間の精神内部に立ち入ってはならない、言い換えれば、国家は精神的価値の担い手であってはならないということになったのだ。

 

戦前の天皇制国家は近代国家でなかった。天皇が唯一の主権者であったから、天皇が法の権威を持つと同時に、精神的権威であり、道徳的権威の担い手でもあった。

一般論として言えば、国旗・国歌は近代国家の象徴となるものだから、通常はそれぞれの国の歴史のなかで作られてきた。多くの場合、各国の国旗・国家は、市民革命・独立・開放などを記念し、それゆえ何よりも国民の自由を象徴するものとなっている。フランスの国旗は自由・平等・博愛のシンボルである三色旗であり、国歌はかの有名な「ラ・マルセイエーズ」である。アメリカの国旗は、独立宣言当時の13州の数を星で示す(いまは星の数は50)ものである。ドイツの国旗は、民主的自由と統一のシンボルであり、隣の韓国の国旗は、平和愛好の精神をあらわすものである。つまり、大体において、国旗・国歌とは近代国家の「憲法の精神」を象徴するものなのだ。

 


ところが、わが国の「日の丸」「君が代」は、近代に入ってからは、天皇制国家の象徴として強制されてきたものであり、国民の自発的意思とは縁もゆかりもないものだった。それどころか、それは旧日本帝国主義・軍国主義のシンボルとして侵略戦争の道具として利用されてきた。日本がアジア各国を占領すれば、必ずその国の国旗を引き摺りおろして、代わりに日の丸の旗を掲げた。また、その国の民衆に君が代を歌うことを強制し、歌わない者には、ひどい懲罰を加えた。いま日本の権力者は、天皇制国家当時そのままに、かつてアジア諸国民に強制したように、自国民に対して、「日の丸」「君が代」を強制しようとしている。屁理屈をつけて、それを是認する最高裁がいかに近代国家の「憲法の精神」からかけ離れた存在であるかは明らかであろう。そして、近代国民国家の自覚ももたず、日本のあるべき国旗・国歌とは何かについて考えもしない日本国民の遅れた歴史認識は日本における国家権力と市民の力関係を象徴している。


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1 コメント

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Unknown (えまのん)
2011-06-03 11:09:59
>国民の自発的意思とは縁もゆかりもないものだった。

それじゃぁ、憲法改正しましょうよ。
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