プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

日の丸・君が代―懲罰で強制する国旗・国歌とは何か

2006-03-02 19:21:59 | 政治経済
卒業式の季節になりました。子どもたちの成長と前途を祝う心温まる式にしたいと誰もが願います。しかし、毎年関係者を嫌な気持ちにさせている問題があります。国旗・国歌の強制です。

国旗・国歌のもともとの役割は、国が公の場で、国をあらわすシンボルとして使うことです。それを国民に義務づけたり、学校行事などに押しつけたりする国は、日本以外にはないのではないでしょうか。日本では、卒業式や入学式のたびに、日の丸・君が代をめぐって混乱や問題が起きてきました。侵略戦争の責任を曖昧にし、反省しない戦前の支配階級の後継者がそのままで戦後の政権を担う日本の政治の後進性が日の丸・君が代問題に集中的に現れています。

日本では、「私たちの国を代表する国旗・国歌は、どんなものがふさわしいか」を、国民のあいだで議論したことが一度もありません。明治時代に政府が勝手に「日本の国旗は日の丸、国歌は君が代」としました。第二次世界大戦が終わり、憲法が「国民主権」に大もとから変わったあともそのままにされました。そして、1999年8月、たった28時間の審議で「国旗及び国歌に関する法律」が強行成立するのです。
周知のように、「日の丸」は明治以来の軍国主義、アジア侵略のシンボルであり、「君が代」は神である天皇をたたえる歌でした。国民の中で論議が広まれば、広まるほど戦前の「負」の歴史をもつ日の丸・君が代が民主主義の日本の国旗・国歌としてふさわしいのかどうか疑問の声が大きくなるのは、あたりまえです

日本とともに、第二次世界大戦の主な侵略国だったドイツとイタリアは、戦後、国旗をとりかえました。

「国旗及び国歌に関する法律」は単なる定義法であって、国民に国旗掲揚や国歌斉唱を義務付けるものではありません。国会でも、(遵守義務や罰則規定を定めなかったのは)「国のシンボルという国旗や国歌といえども、これを敬う心情は国民各個人の良心の境域の問題であり、強制的に扱うべきものではない」ということが確認されています。卒業式についていえば、教職員や保護者、子どもが話し合って「君が代」斉唱をきめた場合でも、歌うかどうかは各自の「内心の自由」に属するもので、強制は許されません

ところが三年前、東京都教育委員会は、この原則を未曽有のやり方で破りました。「日の丸は壇上正面」など卒業式のやり方を子細に指示する「通達」(10・23通達)をだしたのです。大勢の役人が監視にきて、命令に従わない多くの先生が処分されました。生徒は、「君が代」を大きな声で歌わないと担任の先生を処分すると脅されました。
10・23通達以来、「君が代」斉唱時に不起立だったことなどを理由に処分された教職員は延べ三百十一人に上ります。この間の裁判や人事委員会の審理で、通達を出した横山洋吉前教育長(現副知事)は「外部的行為を命じたにすぎず、どういう気持ちを持っているかを変えようというものではない」とのべました。しかし、行動と心は切り離せません。「行為」を強制されたため大変な苦痛を受けたと多くの教職員が証言しています。命令に従って起立した人も、処分を覚悟で座った人も、悩んで眠れなくなった、食事がのどを通らなかったとのべています。
キリスト教信者の教師は起立強制を江戸時代の「踏み絵」にたとえてこう述べました。「内心と外部的行為をわけることはできない。踏み絵を踏むことは外部的行為だが、踏んでしまえば信仰を守ることはできない」
ある女性の都立高校教師が陳述しています。「思考停止を求められた教員がどうやって生徒の主体性を育てることができるのか。個人の信条や良心を恐怖で抑えつける強制は教育のぼうとくとしか思えません」
強制反対の要請書を都教委へ提出した保護者の一人の女性はいいます。「何にでも『はい』としかいえない先生と生徒をつくり、この国は一体何をしたいのか? 強制の先にあるものを考えると不安でたまらない」

懲罰で強制しなければならない国旗・国歌は、国民の国旗・国歌ではありません。

 ▼10・23通達 「国旗は舞台壇上正面向かって左、都旗は右に掲揚する」「教職員は指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」「卒業証書は壇上で授与し、児童生徒の席は正面を向いて座るよう設営する」―など式のやり方を細部まで規定した「実施指針」を定め、教職員が校長の職務命令に従わない場合は服務上の責任を問われるとしています。フロア形式や「内心の自由」について説明することは禁じられ、養護学校では車いすの子を壇上に上げるためにスロープを設置したところもあります。


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1 コメント

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Unknown (きつね)
2006-03-12 19:49:49
「第二次世界大戦の主な侵略国だったドイツとイタリア」の中の「侵略国」は、「敗戦国」とした方がより的確な表現ではないでしょうか?
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