友人のブログ「平山歯科医院」で紹介されていた『川島芳子 知られざるさすらいの愛(相馬勝・講談社)』を読了。
中国・清朝一族の皇女(ラストエンペラーの親戚)として生まれ、親交のあった日本人・川島浪速の養女となり、のちに満州国の要人として、或いは“男装の麗人”として名を馳せた川島芳子。本名は愛新覚羅顕シ(王偏に子)。
日本・中国・満州を股にかけたその数奇なる運命に翻弄され、日本敗戦後の1948年には漢奸(売国奴)として中国(当時は国民党)によって死刑に処せられました。
ここまでは史実としてよく知られている話なのですが・・・なんと1979年まで中国の東北で生存していた、という驚くべきドキュメント的内容を記した一冊。
“処刑”以降、30年間にわたり芳子を匿いながらも身の回りの世話をしていた段連祥なる人物の「第一人称」としての目線から描いた内容だけに、その詳細な光景・行動・発言には説得力がある一方で、「川島芳子ワールド」を楽しめるような小説的な側面がある事も否めません。
ただ、多くの証拠物品などが挙げられ、中国の川島芳子研究家が多く台頭してきており、またそれまでは生存説を否定してきた中国政府も柔軟な姿勢となってきた事も、“生存していたのは事実”を裏付けしているように思えてなりません。
いずれにしても、川島芳子に魅了されている人たちにとっては楽しめる一冊ではないでしょうか。
1989年12月にフジテレビで2夜連続で放送された「さよなら李香蘭」は、もちろん戦前の満州国を舞台にしたドラマでしたが、そこで川島芳子を演じていたのは女芸人の山田邦子でした。
私も少なからず・・・というか、このドラマ制作にかかわっていたために、役者への道を開く事ができたと同時に、私自身が中国で育ったという背景がこの時代に興味を持たせているのだと思います。
その「さよなら李香蘭」の主役を演じた沢口靖子さんから頂いたサインです。
この番組では下っ端のスタッフとしても参加していたので、あらかじめ「加山さんへ」と書かれたサイン入りのテレホンカードも頂きました。
私です。辮髪です。たった数十秒でしたが2人だけのシーンでしたぁ
中国・清朝一族の皇女(ラストエンペラーの親戚)として生まれ、親交のあった日本人・川島浪速の養女となり、のちに満州国の要人として、或いは“男装の麗人”として名を馳せた川島芳子。本名は愛新覚羅顕シ(王偏に子)。
日本・中国・満州を股にかけたその数奇なる運命に翻弄され、日本敗戦後の1948年には漢奸(売国奴)として中国(当時は国民党)によって死刑に処せられました。
ここまでは史実としてよく知られている話なのですが・・・なんと1979年まで中国の東北で生存していた、という驚くべきドキュメント的内容を記した一冊。
“処刑”以降、30年間にわたり芳子を匿いながらも身の回りの世話をしていた段連祥なる人物の「第一人称」としての目線から描いた内容だけに、その詳細な光景・行動・発言には説得力がある一方で、「川島芳子ワールド」を楽しめるような小説的な側面がある事も否めません。
ただ、多くの証拠物品などが挙げられ、中国の川島芳子研究家が多く台頭してきており、またそれまでは生存説を否定してきた中国政府も柔軟な姿勢となってきた事も、“生存していたのは事実”を裏付けしているように思えてなりません。
いずれにしても、川島芳子に魅了されている人たちにとっては楽しめる一冊ではないでしょうか。
1989年12月にフジテレビで2夜連続で放送された「さよなら李香蘭」は、もちろん戦前の満州国を舞台にしたドラマでしたが、そこで川島芳子を演じていたのは女芸人の山田邦子でした。
私も少なからず・・・というか、このドラマ制作にかかわっていたために、役者への道を開く事ができたと同時に、私自身が中国で育ったという背景がこの時代に興味を持たせているのだと思います。
その「さよなら李香蘭」の主役を演じた沢口靖子さんから頂いたサインです。
この番組では下っ端のスタッフとしても参加していたので、あらかじめ「加山さんへ」と書かれたサイン入りのテレホンカードも頂きました。
私です。辮髪です。たった数十秒でしたが2人だけのシーンでしたぁ