ちょっと前になりますが、久しぶりにスタジオに入って思い切り叩いてきました~~
マイクは通していないけど、思い切り歌いながら叩いたら、頭の中にあったモヤモヤがそれなりに吹き飛んでね。スーーッとした・・・完全にじゃないけど。ま、いろいろあらーな
また近いうちに叩きに行こうっと
ちょっと前になりますが、久しぶりにスタジオに入って思い切り叩いてきました~~
マイクは通していないけど、思い切り歌いながら叩いたら、頭の中にあったモヤモヤがそれなりに吹き飛んでね。スーーッとした・・・完全にじゃないけど。ま、いろいろあらーな
また近いうちに叩きに行こうっと
稽古休みの日に、パソコンをいじっていたら6年前のライブ動画が出てきました。
高校時代の同期生が集まってのライブ。同期生だけでってのも初めてだったな。宇崎竜童、所ジョージ、サザンオールスターズ、クレイジーケンバンド、SHOGUN、YMO、松田優作、野坂昭如・・・知ってる曲、知らない曲あれども楽しかったな
高校時代の文化祭で、某男性教師が生徒の制服を着用して、「いとしのエリー」を歌っていたので、その先生を引っ張り出して40年ぶりに歌ってもらったっけ。
一番右がその先生。
”まぶしいから”と言って、うちわをライト除けに持って熱唱。実はびっしりと歌詞が書いてあった(笑)
またやりたいねぇ~。僕もこれ以来バンドやってないからなぁ
サザンオールスターズデビュー45周年「茅ヶ崎ライブ2023」 残念ながらコンサート会場のチケットは取れませんでしたが、映画館で行われた”ライブビューイング”には参加することができました。日本各地の映画館でコンサートを生中継で見られるという画期的なイベントです
桑田がステージで「茅ヶ崎元気かぁーーーー!」と叫ぶと「オーーーー!」の歓声。そして「ライブビューイング!見てるかぁーーーー!」に映画館にいる我々も「オーーーー!」と大歓声。「札幌!栃木!鹿児島!」と叫ぶたびに各地の映画館は盛り上がったようです。ちなみに私が観に行った時には「横浜ーーーー!」とは呼んでくれませんでした(笑)
いやいやいや。高校や大学時代に聞いた曲を聞いていたら、桑田の声で聞いていたら、メンバーが奏でるサウンドを聞いていたら・・・涙腺が緩んじゃって・・・ サザンってファンはもちろん、アンチ派でさえ彼らの曲を知っているし、我々第1世代から平成生まれの若者にまで知られているわけですから、どこかで常に、それも無意識に耳に入ってきて、知らないうちに身体になじんでしまっている・・・だからあえて言うならば「日本の偉大なるBGM」なんですよね(ちなみに世界のBGMはビートルズだと思っています)
大学時代に組んでいたバンドでは、サザンの「いとしのエリー」「いなせなロコモーション」「MY FORPLAY MUSIC」「DJコービーの伝説」「夏をあきらめて」「匂艶THE NIGHT CLUB」「BIGSTAR BLUES」「女流詩人の哀歌」などなどをやったっけ。当時サザンのメンバーだったギタリスト/たー坊の「猫」を、なんと私が歌ったり(冷汗) 私らのライブの様子が録音されているカセットテープたち。久しぶりに聞いてみようか。恥ずかしいな
髪の毛長かったなぁ~~~~ 肩までかかってるよ(驚)
自分で買ったり、友人からもらったり・・・なんだかんだでサザンはうちに居ついております
50周年にはぜひ観に行きたいなぁ
2018年のライブを最後に解散した我がバンド「MY網50円」
久々に集まり、スタジオに入りました オリジナルメンバー5人で遊ぼう!と何となく話が上がったのが3年ほど前・・・と、ほどなくコロナ騒ぎになり、下火になったので”じゃぁ集まろう!”となると陽性者が増えたり、新たなるウィルスが出てきたりと、なかなかうまくいかず・・・。でもって今回の再会となりました。
桐野将明(ベース)
石丸栄一(ボーカル&ギター)
宮沢”サスケ”敏生(ギター&ボーカル)
加山到(ドラム)
残念だったのがメンバーの児玉ちゃんが都合により不参加。「5人揃っての音」は出せませんでしたが、久しぶりの演奏を楽しんできました。
児玉ちゃん、次は5人揃って・・・だぜ
むむむ・・・気づけば還暦が3人(笑) メンバー、着実に歳を取ってます
昨年の1月以来のスタジオ。久しぶりにドラムを叩いてきました
あ。ドラムに座っている写真を撮るの忘れた・・・
かつて、バンドで演奏していた曲を流して、それに合わせて思い切り叩いたぜ~おまけにドラムを叩くちょい前にマッサージに行ってね、そのあとなじみの喫茶店で80過ぎのマスターとお喋りしまくって、心身ともにリフレッシュして、そして叩きまくってさらにスッキリ~~~~
ここんとこ、いろいろメンタルに来ちゃってね。ここんとこ・・・というより、ずっとだね。調子がいい時と悪い時と、波がある。
でも、ホント、すっきりしたぁ~~~ 帰宅した瞬間に「体がすんげぇ軽いのよ~~~(フワフワしていた)頭ん中もしっかりしてる」って、はしゃぎまわったよ(笑)
こういう状態が続くと良いんだけどねぇ。しっかりしろ、60歳
先日のブログ”同級生のケーキ””同級生のりんご”に続いての”同級生”シリーズ(笑)。今月はたまたま重なったなぁ、同級生とのつながり これからも大事にして行こうっと。
高校時代の同級生が、ヨコハマのロックバンド・フェスティバルに出演という事で見に行きましたぁ~
「THE SHOWER OF RAIN」 かわゆくポップに楽しく歌う女性ボーカル、なおみちゃんの横で味のあるギターを弾くのが同級生。
4年前に解散した我がバンド「MY網50円」のギタリスト&ボーカルだった石丸君です 彼は今、このバンドともうひとつにも参加しており、ヨコハマを中心に活動。生き生きとしてるんだよ、ホント。かっちょいい
「MY網50円」でギターを弾いていたサスケくんと一緒に見に行きました。彼とも久しぶりの再会でしたぁ~~
そして、もう一人
みっち君 同じ学校ではないけども同い年。その昔アルバイト先で知り合った彼とは、連絡先を交換しないまま時が経って・・・知人の知人ってことでSNSでつながって、30数年ぶりの再会でしたーーー
そりゃ、しわも増えてるし、血圧も高くなっている(らしい)けど、全然変わっていないんだよ。イケイケぶりは相変わらず
石丸といいみっち君といい、ばりばりカッコいいんだよ。負けてらんねぇな、俺も
私が愛用しているスネアドラム YAMAHA/YD9000シリーズ/モデルナンバー:SD955R
YD9000シリーズって、1970年代後半に登場したドラムセット。3000シリーズから始まり5000、6000、7000、8000・・・9000シリーズはいわば最高峰で一流ミュージシャンがこぞって使っていたセットでした。 バスドラ、タムタム×2、フロアタムの基本セットだけで40万円程度と記憶しています。これにセットの中心的役割を果たすスネアドラムや、シンバル類、スタンド類、フットペダルに専用スローン(椅子)を揃えて、いわゆる”ドラムセット”と初めて言えるわけです(シンバルは高額なので総額70万ぐらいにはなる・・・)。
ギター、ベース、管楽器などは、プレイヤーが自身の愛器を持ってスタジオ練習に入るのですが、ドラムセットは持ち運びができないのでスタジオに置いてあるのを借ります。でも心臓部分でもあるスネアだけはどうしてもどうしてもどうしても欲しくなるんですよね
大学3年の時に、吉祥寺のヤマハ楽器店で遂にスネアを購入。定価は45000円程度だったと思いますが、モデルチェンジだか、店頭展示品のみになっていたかで29000円台でゲット。バンド”ASO”を結成して1年後、コンビニのバイトで一生懸命に貯めたお小遣いでようやく買いました。それだけに今でも愛着があります
スネアと同時に購入したソフトケース。桜美林大学、ANA、MY網50円の各ステッカー。いつの時代にもこれを使っていたことが窺がえます(BATMANは単純に好きだから)。裏面の「PENTA」とは、当時よく利用していたスタジオの名前で、令和になった今でも東京都内や横浜に数店舗ある老舗です。後年MY網50円時代にこのステッカーを見たPENTA/20代の従業員。「うわっ!すげぇっす!レアもんっす!」と見入っていたっけ。
大学時代に行なった合宿時の一枚。左側に、ギターケースと共にスネアケースがあるでしょ?これが嬉しいんだ。右の写真ではスタジオのセットを叩いてますが、スネアは私のです
大学3年の秋。某大学祭に出演した時の2枚。バンド名はASO(AFTER SCHOOL ORCHESTRA) 青春を謳歌していました。あ、そうかぁ・・・この頃はメガネではなくコンタクトだったんだなぁ。
数年前のMY網50円時代。スネアは同じものですが、ドラムセットは中古で購入したYD8000シリーズ/クリームホワイト色。発売当時の価格30万円台が・・・なんと38000円(笑)
こうしてみると・・・YAMAHAのヘビーユーザーですなぁ。しかし高校の時に初めて使用したのはPEARL、でも実はTAMAが好きという事は黙っておこう・・・
やっぱね。叩きたくなるもので。
バンド時代にやっていた曲の音源をスタジオ内に大音量で流して、それに合わせて叩きまくる事2時間弱。
折れた
スタジオ利用者は今だに少ないみたいね。わしが行った時にはスタッフが1人と、別のスタジオ利用者が4人いただけでした。
久しぶりに叩いて来ましたぁ~
今回は自分のペダルを持参。いつもはライブの時しか使わなかったからなぁ、
しかしまぁ、このスタジオで一番広い部屋をあてがわれたのですが、一人だとなおさら広く感じますね。
久しぶりに来たら、セットが充実 いつもはひとつだけのフロアタム(右下)が2台に。
シンバルもスプラッシュ(中央の小さいの)と、チャイナ(右上)がありました。
ま、使いこなせなかったけど・・・(苦笑)
過日、ちょいと必要があって、アルバムをめくって探し出したのが、1984年春頃の音楽雑誌「KEYPLE」の切り抜き。
キーボードを奏でる人たち向けの雑誌ですね。大学時代組んでいたバンド”ASO”がたまたまこの雑誌に掲載されたんです
キーボーディストをメインに撮られるのは仕方ありませんが、私は右手だけ。シンバルを叩いていなかったら、それすら映っていなかった(笑)
で、その頃の私です
バンダナの時代です(爆笑)