プロフィール写真を久しぶりに撮り直してもらいました(by佐藤武志くん。感謝!) いわゆる「宣材写真」です
こうして並べると・・・恥ずかしい(笑)
ちなみに初めての宣材写真がこちら
1988年。近所のなじみの写真屋で撮ってもらいました。25歳~~~
プロフィール写真を久しぶりに撮り直してもらいました(by佐藤武志くん。感謝!) いわゆる「宣材写真」です
こうして並べると・・・恥ずかしい(笑)
ちなみに初めての宣材写真がこちら
1988年。近所のなじみの写真屋で撮ってもらいました。25歳~~~
中国・広東省深圳で起きた日本人学校児童刺殺事件。むごすぎる。悲しすぎる。6月の蘇州・日本人学校児童を襲った事件しかり。
北京と上海の日本人学校の前身である”日本人学童補習校”の出身である私としては、児童のご両親の気持ちを考えるとつらく、ただただお子さんの冥福を祈るばかり。
日中両国の国交回復前後、小学生だった私は北京の中国人学校に通っていた。教科書には戦前の両国についての記述が多くあった。そんな中、ある日の授業で担任の先生が「教科書を閉じてください。私たちの国には不幸な時代がありました。でも今は、このクラスに加山同学がいます。皆さんと一緒に勉強しています。これから両国はどんどん仲良くしていかなければなりません。」と一生懸命に語ったのを覚えている。そんな先生の想いを無にするような痛ましい事件。つらい。
事件を受けて発せられた、中国政府報道官の「どこの国でも起こりえる」の言葉に憤りを感じる。
今朝(9月21日)のテレビ朝日系列「朝だ!生です旅サラダ」に石原良純が登場 メイン司会の神田正輝とのツーショットに「わぉ!ドックとマイコンだ~」と朝から萌え萌え~~(笑)
「太陽にほえろ!」後期に登場したマイコン刑事。先輩刑事のドックに可愛がられていたっけ・・・あ、からかわれていた(笑)っけ
劇中では殉職していない二人。すでに定年?雇用延長?悠々自適?警備員のバイト?それとも「あぶない刑事」の二人のように探偵?
七曲署刑事のその後を描くスピンオフ的な物語も見てみたいですね。その時は”現役刑事”として私も出演したいです・・・そんな私もすでに年ですが(苦笑)
ネットオークションで見つけた写真です。拝借いたします! ちなみにオークションは「缶」だけで中身はありません
いやぁ~懐かしい~~~~
イギリスのキャンディ菓子「クォリティ・ストリート」です
幼稚園の頃、香港に住んでいた時代に時々食べていた記憶があります。缶を開けると、様々な色の紙に包まれたキャンディが、まるでキラキラ輝く宝石のように思えたっけ
そうそう!これこれ、こんな感じでたくさんのキャンディ・・・キャラメル、チョコ、ナッツとか・・・だったかなぁ。私は平べったくて黄色い包み紙のが好きだったかな。中身は確かミルクキャラメル・・・あこの写真の左上に写ってる
ちなみに上の長方形の缶は、現在では下の写真のように八角形に変わっているようですね。舶来品のお菓子を売っている店に行けばあるのかな・・・カルディとか・・・
忘れていた。こんな作品があって、自分が出ていたなんて。
1991年/平成3年。映画好きの高校生たちが、文化祭で上映するために作った自主映画。 最近になって画像が送られてきて・・・徐々に記憶が蘇ってきました
『素直に 泣ける日 笑える日』(1991年/脚本・監督 中村隆太郎)
”落語に挑戦する事”を通して、学校生活を意義あるものにと奮闘する男子の青春グラフティ 出演する”大人”は、出演者たちの学校の先生だったり、本物の親だったり それ以外の大人役を演じるにあたって、監督からオファーがかかっての出演でした。
私は、仕事がうまくいかずに公園で暇をつぶすサラリーマン役 そこで悩みながらも、落語を練習する高校生に出会って「君頑張ってるねぇ。俺も昔はやりたいことがあったけどさ・・・時代の流れってのかなぁ。なかなかな・・・」とぼやく情けないイタルでした。
ちなみに共演しているのは足立学くん。現在は地に足のついた、しっかりとした演技をする俳優として、舞台やドラマで活躍しています また、監督の中村隆太郎君も、コマーシャルをはじめとしたさまざまな映像媒体で、素敵な作品を作り出す監督として活躍中
久しぶりにバーミヤンに入ったんですよ。お昼時
でね。ここのラーメンが好きでね 昔ながらの味が良いんです
そしたら・・・ラーメンに、いくつかセットメニューってのがありまして。 なんとアジフライセットもあるもちろんライス付きこれがまたふつーに美味しいんです。ラーメンをすすりながらアジフライをほおばる・・・夢の世界でした(笑)
地元ヨコハマは京急線「上大岡駅」近くの老舗「佐野金本店」に行きましたぁ~
やったぜ ナルトが乗っかっている~~ 細麺がうまい~ ライスも付いてきたぁ~
小学校の頃からの悪友が「実家の整理をしていたら、出て来たんだよ。いる?」ってことで頂きましたぁ~ 彼もまたブルースフリークで、当時は高価だった木製六角形/本物志向のヌンチャクを振り回していたなぁ。私は100円のプラスチック製でした(笑)
左)スクリーン特別増刊(昭和53年5月/近代映画社発行・780円)・・・「死亡遊戯」公開に合わせて発行されたジャンボグラフ。
右)決定版グラフ(昭和51年3月/近代映画社発行・680円)・・・「ドラゴンへの道」も公開されて、ブルース・リー&カンフー映画ブームが少し落ち着いた頃。
今となっては「定番」となった様々なスチール。あの頃は1枚1枚食い入るように見たっけ。
ブルース行きつけの香港の和食店「金田中」オーナーの梶田さん。実は我が家が香港に住んでいた60年代中期、梶田さんは「名古屋」という和食店で働いており、うちの父と仲が良かったんです。
巻末(裏表紙)の関連書籍の広告。とにかくたくさん発行されていたんですよね
実はその彼からは、2001年にレコードも貰っていました~ 時代はアナログからCD時代に突入。レコードプレーヤーを手放す際に有難く頂きました 嬉しくて聞きまくったな
いつだったか・・・地元ヨコハマは上大岡(だったかな?)のスーパーの前で、古書フェアが開催されていたので立ち寄ってみました。テントの下で移動式書棚にズラズラズラ~っと並べられた各種各ジャンルの書籍や雑誌。
雑誌類に目を通す際には、1974年(昭和49年)~1976年(昭和51年)あたりに発売された物をつぶさに見ていきます。 なぜかというと「燃えよドラゴン」で一気に火が付きカンフー映画ブームを巻き起こした「ブルース・リー」、ツナギにリーゼントで注目された「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」、或いは放送3年目ぐらいに入り、人気がうなぎのぼりだった「太陽にほえろ!」に関する記事や写真が掲載されている確率が高いからです
この時に発見したのが「アサヒグラフ」(1975年7月発行/280円・・・もちろん税込でも税抜きでもありません)
「このカッコイイ 突っぱり野郎たち」と題されたDTBWBのミニ特集 まさに旬のバンドでしたからね
アサヒグラフの記者による特写ゆえ、他社では見られないような雰囲気がうかがえます。
ツナギの背中にある「BOOGIE WOOGIE」のロゴマーク 手前にいる相原誠だけが「鯉の滝登り」。この半年後に出演した紅白歌合戦でもバッチリと映っていましたね。 しかし、こんなだだっ広い更地を歩く写真を撮る際に「ギターを持ってください」と注文され、メンバーはどんな思いだったのかなぁ。「え~、めんどくさい~~」とか思ったのでしょうか(笑)。それともメンバーサイドから、「楽器持とうか?」と提案したのかな
巻末のレギュラーコーナー「わが家の夕めし」には、歌手・高石ともやと家族のショット。福井県名田庄村の自宅でカレーを食べるところですね。そうそう、食卓の脇には炊飯器(もしくは電子ジャー)、魔法瓶、厨房から運んできたカレーを煮込んだ鍋。それをお母さんがよそって食卓に並べる・・・。我が家もそうでした。味噌汁や吸い物も食卓脇でよそっていましたっけ。昭和の光景ですね。
この3年後ぐらいにDTBWBは、野外コンサートなどで”高石ともやとザ・ナターシャ・セブン”と共演するんですよね
「いこまいか/椛の湖ピクニック」(1978年/東芝EMI)・・・出演:ザ・ナターシャー・セブン DTBWB 自切俳人とヒューマン・ズー 杉田二郎
役者仲間が亡くなった。私より2つ年下。
いろいろあってこの数年間は連絡が途絶えていた。
遺体が安置されてる葬儀社に顔を見に行った。
「いろいろ振り回しやがって…」
そう呟いたら、彼の口元がピクッと動いた。
「え?まさか…?」
と思ったら、隣にいた仲間が、
「イタルさん…今、動きましたよね…?」
と。
何はともあれ、かつては9年以上にわたって作品作りをした仲。安らかに。