Dr内野のおすすめ文献紹介

集中治療関連の文献紹介が主な趣旨のブログ。
しかし、セミリタイアした人間の文献紹介なんて価値があるのか?

研究をデザインするときに注意すること

2015年04月11日 | ひとりごと
“研究のデザインの仕方”的な教科書にはいろいろなことが書いてある、らしい。
例えば、研究テーマを考えるときには、FINER、
・Feasible(実施可能性)
・Interesting(科学的興味深さ)
・Novel(新規性)
・Ethical(倫理性)
・Relevant(必要性)
を意識しなさい、とか。

ちなみに、“書いてあるらしい”と書いたのは、僕は研究の仕方についてまともに教科書を読んだことがないからだ。
さらにちなみに、統計の教科書も、研修医の頃にちょっと読んだ以外は読んでいない。
さらにさらにちなみに、集中治療の教科書も、集中治療医になろうと決めたときに”ICU book”を、文字通りむさぼり読んだとき以外、読んでいない。
でもそれなりに集中治療の臨床をしたり、自分で統計解析をしたり人の解析を評価したり、自分で文献を書いて雑誌に掲載されたり人の文献を評価したりしている。その内容のレベルがどれくらいのものかを採点するのは難しくてほとんど不可能だが、とりあえず自分で書いて掲載された文献の数や雑誌を考えると、まあボチボチの採点はもらえるのではないか。
あ、教科書を読むということについて書こうと思ったのではないので、これは完全に脱線だ。

で、元に戻ると、
上記の教科書的な記載は、もっともである。
でも、研究をデザインする上で、他にも重要なことはあると思う。昨日もちょっとそんな話をしたが、今日はまた別のこと。

それは、研究を行う上で得られるものと失うものを天秤にかけること。
研究をすると得られるものはたくさんある。医学の進歩への貢献、自分の業績、自分の思考を論理的に説明する訓練、他の研究の理解が深まる、などなど。
でも失うこともたくさんある。お金、時間、周囲への迷惑、などなど。

これまで、自分で研究のアイデアを思いついて、さらに具体的にデザインを考えた結果、天秤が釣り合わないのでやめたことは何度もある。
他の人の研究デザインを聞いて、それは天秤が釣り合っていないでしょうと助言したことも何度かある。
でも時々、すでに始まっている研究や、データ収集が終わった研究で、天秤が全然釣り合っていないものを見ることがあって、そういうときはただ驚く。というか、驚くことしかできないので残念に思う。きっと、得られるもの、もしくは何かが得られるという事実そのもの、もしくは自分が新しく得られるものを思いついたという喜び、そういうものに注意が行ってしまって、失うものとの比較がうまくできなくなるのではないか。木を見て森を見ず、的な。

研究をデザインするときは、想像力も大事です。どれくらいの手間がかかるかを始める前に想像してみる。場合によっては模擬的にやってみて、時間を測定したりとかね。

最近、身近なところで、“実際やってみると意外と手間がかかる”という発言を聞いたので、ふと思って書いてみた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誰かに仕事を頼むということ | トップ | “木“と”森“のどちらが重要か »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひとりごと」カテゴリの最新記事