Heuts S, Lee ZY, Lew CCH, et al.
Higher Versus Lower Protein Delivery in Critically Ill Patients: A Systematic Review and Bayesian Meta-Analysis.
Crit Care Med. 2024 Dec 27. Epub ahead of print. PMID: 39728669.
24研究(N=4164)のメタ解析。高蛋白の死亡リスクは1.01。死亡の有害性の事後確率は56.4%。
ベイズ、なんか嫌い。
そういうことを言う人をfrequentistと呼ぶのも嫌い。なんか馬鹿にされている感じ。先日も、o1先生になんとかして「そうですね、確かにベイズはちょっとダメかも」と言わせてやろうと思って何度も議論をふっかけてみた。こっちが負けたけど。
嫌いな理由の一つは、確定はしていないものの、現状では有効ではないと考えられている治療法を持ってきて、「有効である事後確率が80%」とか結論する研究ばかりだから。
そんな中で、この研究は、
" There is a considerable probability of an increased mortality risk with higher protein delivery in critically ill patients, although a clinically beneficial effect cannot be completely eliminated based on the current data."
と中立な感じで結論づけていて、好感が持てた。
o1先生との議論の最後をコピペして今日は終了。
ーーーーーーーーーー
まとめ
ベイズと頻度論は対立する二者択一の関係ではないですが、
•不十分なデータ下での推論方法、
•主観(prior)の明示化、
•臨床での“確率”の直接的解釈
などでアプローチが異なるため、しばしば比較・議論の対象となります。結局「データが増えれば真実に近づく」という事実は変わらず、最終的に大規模RCTの必要性も共通認識ですが、そこに至るまでの解釈や意思決定プロセスでの使い勝手・哲学が違うという点に、議論の意義があります。「比較議論が無意味」というよりも、両者の考え方を理解することで“限られたデータでどう判断するか”や“主観と客観をどう折り合いづけるか”の理解が深まり、研究デザイン・意思決定の幅が広がるという意味で有用と考えられます。
要するに、最終的に大規模RCTをするまでの間にもさまざまな小規模・中規模のエビデンスをどう評価し、どう統合するかという点で、「ベイズ vs. 頻度論」の議論は十分意義があると捉えられます。そして、大規模RCTが完了した後でも「複雑なサブグループ解析」や「リアルワールドデータとの統合」など、常に次のステップで両方のアプローチは活かされ続けるのです。
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Higher Versus Lower Protein Delivery in Critically Ill Patients: A Systematic Review and Bayesian Meta-Analysis.
Crit Care Med. 2024 Dec 27. Epub ahead of print. PMID: 39728669.
24研究(N=4164)のメタ解析。高蛋白の死亡リスクは1.01。死亡の有害性の事後確率は56.4%。
ベイズ、なんか嫌い。
そういうことを言う人をfrequentistと呼ぶのも嫌い。なんか馬鹿にされている感じ。先日も、o1先生になんとかして「そうですね、確かにベイズはちょっとダメかも」と言わせてやろうと思って何度も議論をふっかけてみた。こっちが負けたけど。
嫌いな理由の一つは、確定はしていないものの、現状では有効ではないと考えられている治療法を持ってきて、「有効である事後確率が80%」とか結論する研究ばかりだから。
そんな中で、この研究は、
" There is a considerable probability of an increased mortality risk with higher protein delivery in critically ill patients, although a clinically beneficial effect cannot be completely eliminated based on the current data."
と中立な感じで結論づけていて、好感が持てた。
o1先生との議論の最後をコピペして今日は終了。
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まとめ
ベイズと頻度論は対立する二者択一の関係ではないですが、
•不十分なデータ下での推論方法、
•主観(prior)の明示化、
•臨床での“確率”の直接的解釈
などでアプローチが異なるため、しばしば比較・議論の対象となります。結局「データが増えれば真実に近づく」という事実は変わらず、最終的に大規模RCTの必要性も共通認識ですが、そこに至るまでの解釈や意思決定プロセスでの使い勝手・哲学が違うという点に、議論の意義があります。「比較議論が無意味」というよりも、両者の考え方を理解することで“限られたデータでどう判断するか”や“主観と客観をどう折り合いづけるか”の理解が深まり、研究デザイン・意思決定の幅が広がるという意味で有用と考えられます。
要するに、最終的に大規模RCTをするまでの間にもさまざまな小規模・中規模のエビデンスをどう評価し、どう統合するかという点で、「ベイズ vs. 頻度論」の議論は十分意義があると捉えられます。そして、大規模RCTが完了した後でも「複雑なサブグループ解析」や「リアルワールドデータとの統合」など、常に次のステップで両方のアプローチは活かされ続けるのです。
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