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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

11/24 小谷城炎上か? 真っ赤な紅葉の中を歩くⅢ

2013-12-27 22:09:53 | 山歩き

黒金門跡をくぐると(ありませんが)大広間跡です。
千畳敷と呼ばれてもいた広い敷地は長さ85メートル 巾35メートル 前面に4メートルの石垣が積まれているそうです。

建物跡 井戸跡 蔵跡などが確認されているとか
ここが淺井の居住場所で有り 淺井三姉弟は ここに暮らしていたようです。 可愛らしい姫様達の声が聞こえるようです。

Oohiromamap千畳敷って言うから本当に大広間があるのだと思ったけれど 何軒かの館があったようです。

一段高いところに本丸があります。

Honmaruato
大きな石がごろごろしてます。
あれが敷石でしょうか?

Oohiromaato2一段高い本丸跡から大広間を見ています。
木々がいっぱい植わっているもかなり広いです。
どのくらいの人数が住んでいたのでしょうか? 人数によってはさほど広くも無いような

本丸はあまり広くなかったです。 何層かの建物だったと想像できるそうです。
そのすぐ後ろは大堀切りです。 番屋からここまでを堀切で分けてあるようでした。

Otoboneyasikiato
看板だけを並べてもなんですが 面白い名前だったので・・・・
御局屋敷跡

そりゃ そのまま御局さんのお家とおもいますがね

馬屋敷から続く帯曲輪で本丸を守る為に作られたそうです。

紛らわしい

Nakamaru
本丸の後ろには大きな堀切があって中の丸と遮断しています。

この上に京極丸が繋がります。
淺井はもともと京極の家来であり 京極が力をなくしたとは言っても無視できない。

そこで京極の館を自分たちの館よりも高いところに作って大事にしているというスタイルを取ったのだそうです。

江と京極高次がいとこ同士で幼なじみの意味が分った。 高次の母親は長政のお姉さんだったのですから。
京極高次の妹も絶世の美女で(実は淀殿よりも美しかったらしい)秀吉の側室になり・・・・
京極高次はこんなふうに女の人に守られて力を付けていったのでしょうか?
話がそれました。

Nakanomaru
中の丸方面へ登っていきます。
なんだか段々畑の様ですね?

Katanaaraiike
刀洗い池
水は全くありません。 かれてしまったのでしょうか?

こんなのを見ると 綺麗な紅葉が悲劇の城小谷城炎上とイメージがダブります。

この池を登っていくと京極丸です。

Kyougokumarukara
京極丸  随分高いところにあります。
かなり奥座敷です。

広さも案外あります。

Kyougokumaru
立派ですね?

南北4段の構造 
虎口は枡形 一つの城の体裁をなしているように思うのですが・・・・

枡形虎口は水の手に繋がり この道は秀吉が小谷城を攻めるときに駆け上った道だそうです。

ここを攻められたから本丸と 小丸を分断されてしまった・・・・

Kyougokumaru2
強者どもが夢の跡

Komaru
小丸跡

京極丸のすぐ上にあります。
淺井久政の隠居所です。
京極丸を攻められ本丸と分断されたのでどうしようも無くなって49才で自刃しました。

長政の亡くなった年も29才と若い。29才の肩に 家臣の行く末や家族への責任 家を守ると言う役目等ががかかっていたのかぁ・・・

Isigaki
小丸の上に山王丸

登り口には崩れたと思われる石垣がありますが 東側に当時の石垣が残っているというので回ってみます。

比較的大きな石を積み上げた石垣で高さは5メートルもあるそうです。
本丸よりも立派と言う事になります。

山王丸が詰めの城と言う役割を担っていたのでしっかり作ったのでしょうか?
残念ながら役に立たなかったみたいですが

Sannoumaru
古い城の絵図にはここから清水谷へ行く道が書かれているそうです。

戴いたパンフレットのは山王丸から月所丸 六坊に繋がる道が書かれているのでこれのことでしょうか?

普通本丸が一番高いところにあると思っていたので 本丸よりも更に数段も高いところにあるって言うのは不思議です。

山王権現が祀られていたようですけれど

Ootakejyouhoumenn樹間に大嶽城跡が見えます。 これなんて読むんだっけ? おおたけじょうでは無いです。

小谷山の山頂にあたる一番高いところに(標高495メートル)初めの頃は小谷城があったとか
あそこまで山王丸から大下りをして六坊へ その後厳しい登りの後山頂に着くようです。

行く予定だったのですけれどね 山王丸から降りようとしたら思いがけず急下り。 私ちょっと足の踏ん張りが効かなくなっていて ちょっと危ないかも・・・・・
それに朝の渋滞の影響を受けて登り初めが遅かったので もう3時です。

「あかん 止めよう」

と言うわけで 来た道を引き返してきました。 くっく 悔しい~~~

でも正しい判断だったと後で解りました。 後日ベッドから降りることも出来なくなってしまいましたから

治るかどうかは解らないけれど もう少し鍛えて時間にゆとりを持って 何とかもう一度挑戦したいです。

Kouyou2

コメント (12)
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11/24 小谷城炎上か? 真っ赤な紅葉の中を歩くⅡ

2013-12-23 21:21:02 | 山歩き

御茶屋ってなんだか良い響きですよね?
お団子とかお茶が出てきそうです。

でも そんな響きとは全然違って軍事施設だったらしいです。 御茶屋???? どこからこんな名前がついたんだか?

主閣部最先端の曲輪 そこにはちょっと下お屋敷もあって裏には庭まで造られていたとか・・・と言うとますます優雅な感じしてくるけどね

Niwaisi
御茶屋の上の曲輪には馬小屋が建っていました。

Umayaato
木が切り倒されていますが 尾根を利用した割には広い場所でした。
馬は大事ですから

手前には 馬洗い池

今ではただのぬかるみにしか見えませんでしたが

その上が桜馬場
どうしてでしょうかただの馬場では無く桜馬場です。 徳川発祥の地松平の郷にも桜馬場がありました。

Kubisueisi
首据え石

ぞぞっとしますね? 桜馬場の入り口に上を平にした石が・・・・

初代淺井亮政が家臣の今井秀信が敵方に内通していたことを知りここに首を曝したと

何となく 石の上の方が赤いような・・・・(?_?)なはず無いか

こんなのがあるからこの山は気持ち悪いって言われていたんだね

Akaoyasiki
赤尾屋敷

本丸に一番近い場所にある家臣の屋敷

淺井三代に使える赤尾氏は武勇に優れていた分 六角氏と闘わずして和した事を快く思わなかったらしい。

小谷城陥落の時 本丸からここまで逃れてきた淺井長政はここで自害したらしい。

Sakrababa見事な紅葉にうっとり
ここが桜馬場です。 木々は桜では無いように思ったのですが・・・

Sakurababa2
二段になった曲輪は真っ赤に染まって綺麗だった~

大河ドラマで長政とお市の方がならんで琵琶湖を眺めていたシーンはここのようです。

Tenbou2
琵琶湖に夕日が落ちて赤く染まる頃 西方浄土を感じながら人々は仏に祈っていたのでは無いか?と弥高寺跡で言われたことを思い出しました。

なるほどです。

Akaimi
びっしり重いほどに赤い実がなっています。

その向こうは周回予定の尾根です。

Kuroganemonato
大広間入り口にあったと言われている黒金門跡

黒金って言うから柱に鉄が打ち付けてあったのだと思います。

Matuyamajyou_2

松山城の門 これも黒金門ってありました。
鉄の鋲が打ち付けてあります。

いよいよ 淺井三姉妹が暮らした大広間へ入ります。 
どきどきしてきます。

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11/24 小谷城炎上か? 真っ赤な紅葉の中を歩くⅠ

2013-12-20 19:35:37 | 山歩き


23日に続いて24日も山登りである。

行き先は小谷山。 浅井氏の居城で有り 浅井三姉妹の出身地で有り 戦国時代屈指の山城で有り 四季を通じて花咲乱れる山で有り・・・・・・数え切れない魅力を秘めた山だった。

前から行きたかった山でしたが 一昨年だったか 江姫が大河ドラマで取り上げられ 今まで山好きしか訪れなかったような山が人であふれかえっていると言われ ちょっと様子見・・・・

24日 小谷山登山の話が出て 連日の山登りにちょっと不安があったけれど決心。 同じ方向に毎日愛知県から通うのもどうか?って思ったかしら Yさんが泊って下さいって誘ってくれたけれど 丁寧にお断りして・・・・これが裏目に出た。
連休で高速は大渋滞  約束の時間には一時間以上遅れそうで・・・・途中で電話して参加を断る。 断ったけれど行きますよ~ 自分で行けば良い。 みんなに迷惑をかけないですみます。

Map
今日のコースはこの地図の出丸から六坊へ その後大嶽(頂上)に行きそこから点線の尾根 福寿丸から山崎丸を下りて来る。

ただ出発が11時過ぎになってしまったので とりあえずの目標を六坊へ

駐車場に車を置いて左の方へ

Ootemiti
アスファルトの立派な道が続いていますが これは板書後までのバス道路のようです。

少し歩くと階段があるのでこの道を使うようにと言われましたが 逆らって大手道を行きます。

通る人があまり無いようで道はやや荒れ気味。 しまった あっちの道が良かったかな?と一瞬思ったけれど すぐにバス道路に出会います。

その後三回ほど交差したように思います。

Demaru
出丸

文字通り主閣尾根の最先端にある郭で小谷城を守る最先端の砦。

上下二段の曲輪と土塁で出来ている。

ここからバス道路を横切り左の方へ入って行く

Kouyou
うわ~~っ 真っ赤や

小谷山はちょっと怖い場所のイメージがあったけれど 綺麗な山だこと

Tozandou
案外急登です。
観光客もやってきますが 途中で引き返す人も・・・・
バスを利用するとかなり上まで行けるようですが

Tozandou2

Magaratouge
真柄峠に着く

この地の謂われを風化して読めなくなった文字を辿って何とか知る。

まだ淺井亮政の頃に江南の六角氏が攻めてきたとき 越前の朝倉金吾と真柄備中の守が助太刀にやってきた。その時に布陣した場所がこのあたりらしい。

あまり広くな無かったよ。 もともと尾根筋だしね

Tenbou望笙峠が右側に現れます。昔ここは駐車場では無かったのか?と
少しづつ展望が開けてきますが まだまだですね

大河で浅井長政が琵琶湖を眺めていた場所は何処だったのか?と思いながらその場所を探しています。

金吾丸への階段を登って行きます。朝倉金吾宗滴から来た名前ですよね? ここに陣を張ったのでしょうか? こんもりした山のような曲輪です。

Hotutuji
葉っぱがツツジのようです。ホツツジでしょうか? 紅葉しています。

Soyogo
ソヨゴの赤い実が綺麗です。

Kingomaru

Bansyoato
金吾丸から下りて来ると番所跡に出ました。
ここが事実上の小谷城の入り口のようです。アスファルトの道もここでおしまいのようです。

バスはここで観光客を下ろすようです。後から知りましたが下にある戦国歴史資料館で申し込むとガイド付きで小谷城跡を回れるようでした。

番所って言うと街中にあって今の交番のようなものだと思っていたのですがここの仕事は城へのと登城者の検問をしていたようです。

Toragozenyama_2
正面は虎御前山でしょうか?

その手前は 頂上から周回しようと思っている尾根です。 かなり急なようです。

Ocyaya
番所のすぐ上の曲げ輪は御茶屋 

ここから馬場 馬洗い池等と続いて主閣に繋がります。

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二兵衛に湧く 北近江

2013-12-18 13:25:39 | 日記・エッセイ・コラム

山から下りてくると 今度は講演会です。

場所は 上平寺の集会所。
Syuukaijyo
今住まなくなったお家を開放しているのだろうか? 典型的な田の字形のお家です。

ここで竹中半兵衛と黒田官兵衛の話を聞きます。
講師は垂井町タルイピアセンター学芸員 原田 義久氏
長浜市立長浜城歴史博物館 副館長 太田 浩司氏

太田講師はNHKの大河ドラマの時代考証も担当しているとか・・・・

二人の軍師の話に 期待が高まります。

私は二人の名前を知っているけれど 軍師としてどんな仕事をしたのか良くわからない。 あまり主役として取り上げられること無かったからね。

黒田官兵衛と北近江との関わりってなんだ? 実は黒田家のルーツは北近江にある。
「黒田官兵衛は姫路の出身でしょ?」って言われそうです。
確かに官兵衛は姫路で生まれましたが 黒田家は京極から出た家なのです。佐々木信綱が子達に四つの姓を与え近江を分割しました。
京極氏を名乗った満信の子宗満が黒田家の始祖のようです。
今家系図を見てこれを書いていますが 木ノ本の黒田に5代在住 その後備前長船に その後播磨に・・・・ですから官兵衛は姫路生まれです。

Kouenkai
この説が一番強いのですが 実は黒田氏のルーツにはあと二つの説があります。

もう一つは米原の黒田

もう一つは播州黒田庄

それぞれにいくつかの文献はあるようで???です。

 大河ドラマを契機に 新しい商品の開発も行われました。
ここで 姫路と垂井のコラボです。 官兵衛の出身地の姫路からは和菓子所 甘音屋 垂井からは小さな小さな町から全国にパンを発信し続けているグルマン
あんパンです。

手のひらに載りそうな小さなパンでちょっと高いなぁとは思いましたが美味しかったですよ。

あ そうそう 何で垂井なの? 北近江からいきなり垂井では話が解りませんね?

垂井は竹中半兵衛の出身地です。
半兵衛も軍師として取り上げられますが これも具体的に何をしたのか?私にはちょっと・・・・

ただ 黒田官兵衛とつよく結びつくことになった話があります。
天正13年荒木村重が謀反を起こしたとき黒田官兵衛は信長の命を受けて説得に行きます。
しかし 敵陣でとらわれの身になった官兵衛は村重側に寝返ったのだと信長から誤解を受けます。 信長は官兵衛の息子 松寿丸(後の黒田長政)を殺害するように命じる。
その松寿丸を人知れずかくまったという。

やがて官兵衛は助け出されるが 半兵衛はその少し前に亡くなり二人が合うことは無かった。
官兵衛は半兵衛にとても感謝し 家紋には竹中家のものを使ったり 半兵衛の子どもが成人するときには烏帽子親になったり生涯半兵衛に感謝の気持ちを忘れなかったと言うのだ。

Sassi私もあまり詳しくないのに 間違ったことを書いてはいけないので 当日心に残ったことだけを書いて良しとします。

それだけでも充分楽しいあつまりでしたから。

Ohagi
講演の合間におはぎが出ました。
地元上平寺地区の人々の振る舞いです。何度も言いますが 戸数14戸です。

自分たちの町を愛し 上平寺に城を築いた京極氏を誇りに思っている事を感じて 胸が熱くなりました。

Zeri
手元近すぎて暈け暈けですが薬草ゼリーです。

これも上平寺地区の人々の手作りです。

私は今自分の住んでいる地区に大きな思い入れは残念ながらありません。何かイベントをやるとなったらこんなに献身的に尽くせるでしょうか?

先祖があるから今の私があるんですけれどね。

すっかり暗くなってYさんが「明日も山行くなら 今日は僕の所に泊っていってよ。」って何度も誘ってくださったけれど 有り難くお断りして 明日の小谷山に思いを寄せながら帰宅しました。

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北近江の中世都市 上平寺

2013-12-14 21:03:24 | 山歩き

上平寺城跡から降りていくとやがて屋根がちらほら見えてきます。
伊富貴神社のお社です。

Jinjya
長い下り道を降りてきた安心感からかどうにも画像が少なくて 一部前に行ったときの画像を貼り付けます。

季節感が合わないのはそのためです。あしからず。

古い絵図にはこの伊富貴神社は載っていないので 上平寺城があった頃にはこの神社は無かったかもしれません。

Sandou
なが~~い階段の真ん中あたりから左に 京極家の墓があります。

とは言え 今ではここに女の人の墓だけを残して高清の墓は 清滝山の麓徳源院に移されています。

なんだか寂しいですね?

この長い階段を降りたところに 京極氏の館がありました。

上平寺城を背後に 前面に家臣屋敷や城下町を作りました。
館まで行く道に 家臣の屋敷を並べるのはこの頃の作り方だったのでしょうか? 安土城もそうでした。

Danjyouyasiki
前に内堀と呼ばれる溝を作り 弾正屋敷からくの字に曲って蔵屋敷や隠岐屋敷等広大な屋敷跡が続きます。

Hotoke

奥行き54メートル巾35メートル 奥には庭園跡があります。

Gorin

Niwaato
落ち葉や土が滞積しているもののここが立派な庭園であったとわかります。

二つの池には中之島が配され虎石と言われる巨石も残っていて・・・

この時代武士がこのような立派な庭を造ることは許されていなかったとのことでした。

このすぐ手前に建物が有り 沢山の素焼きのかわらけが発見されています。
お酒を飲んで「いざ出陣じゃ」ってぱりんと割るあの杯です。

使い捨てだったんですね? それが贅沢の証?
戦前までは池に架かる橋等もまだ残っていたそうで 京極氏が庭を見ながら客人をもてなしていた宴を想像して静かな森の中で感慨にふけっていました。

屋敷跡の一角にコンサートホールのように沢山のベンチが並んでいます。
これは何年か前まで 屋敷跡に灯りを点々とともし演奏会などをしながら京極氏を偲んでいたと言う事でした。 見たかったなぁ・・・・・

上平寺のの戸数は今や14軒だそうで 運営がままならないと言う事でいまはお休みしているのだそうです。 お手伝いしますよ!

Takadono
広域農道の向こうにこんもりした森のような小山が見えます。
地元では高殿と呼ばれる場所ですが あれが家臣屋敷跡です。

浅見 黒田 若宮 加洲 西野 多賀・・・・等

古地図とぴったり合います。後で行ってみましたが ただの草ぼうぼうの場所でしかありませんでしたが 土塁で囲まれた方形は 屋敷跡には違いありません。

上平寺館は その後クーデターに寄って焼失したようで やがて京極家は一度京極家は姿を消したのです。

Map
今日はこの後 上平寺の公民館で 講演があります。

黒田官兵衛と竹中半兵衛の話です。

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