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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

龍神伝説の山 鏡山

2007-11-30 13:00:00 | 山歩き

名神八日市インターと竜王インターの間に蒲生野とよばれる場所がある。 秋に太郎坊山に登ったときに眼下に見えた。

Kagamiyama

万葉の時代に額田王と大海人皇子が愛を語り合った場所。

あかねさす 紫野行き 標野行き

野森は見ずや 君が袖振る。 (額田王)

紫草の にほえる妹を 憎くあらば

人妻ゆえに われ 恋ひめやも (大海人皇子)

不倫の匂いぷんぷんするその歌を みんなの前で歌う妖しさと 強さを感じ どきどきした物だった。 その舞台がここ。

此の地に竜を名乗る山が二つある。 一つは別名雪の山と言われる竜王山 もう一つは反対側に対峙する鏡山と言われる 竜王山。 どちらも古くから雨乞い伝説の山で 龍神の山だった。 ずっとずっと歴史を見てきた山。

春に雪野山に行こうと思っていたけれど縁が無くて 残念。今回鏡山に行くことになって 嬉しかった。 雪野山はまた行けばいい。

鏡山で 卑弥呼の鏡が発見された とどこかで読んだような気がしたのだけれど 今どこを探しても その記述が見つからないので 違うかもしれない。 ただ鏡の里 鏡神社には 製陶技術を伝えた新羅の王「天日槍」が祀られ 鏡を此の地に納めたと言われている。 それが此の地を鏡の里と呼ぶようになった由来らしい。

さて 登り口は竜王インター降りて直ぐ 薬師(くずし)から登っていく。今日は鳴谷渓谷沿いに登って頂上に行き下りは反対側竜宮宮を経てあえんぼ広場経由で降りてくる。鏡の里は 古道 東山道 中山道とずっと主要な街道だったから 義経にゆかりの史跡もある。 降りたら少し史跡を回ることにする。

はじめから感想を言ってしまうと 竜王町が立派なパンフレットをつくって招致している割には放りっぱなしの山だった。 くずしの入り口は立派な門扉でシャットアウト。 間をすり抜けて入るのだけれど 知らない人は入れないよ。 

Iriguti ずっと続く砂地は 不思議な光景だったけれど もっと驚いたのは 廃棄物の山。 車があちこちに捨てられている。唖然としてしまった。 なんと言うことだろう? 万葉の時代から続く里の風景は 何ともやりきれない物に変わりそうだった。

Saku

Gomiおよそ 山らしくない景色でしょ? ちょっとびっくりしました。 これを防ぐために 入り口に柵が 作られているに違いありません。

遠くの紅葉は綺麗なのに 空を見て歩くしかありません。

ま 天気は良かったし・・・

やがて 地道に入っていったときは本当にほっとした。

しかし まるで茅ヶ崎かどこかの海岸を歩いている景色は 地形的には どんなふうにできたのだろう? あまりに細かい砂地に どうも得心がいかない。

Tozandou2Naritani   

どこかで水音はする物の か細い。 右の方に確かに川が・・・と思ったら現れた。

渓谷と言うにはちょっと小さいし水量も少なかったけれど 綺麗な水が流れている。

Keikokuiriguti あの砂地は どこからながれてくるんだろう? 水は澄んでいるし 川底にも砂は見えない。

渓谷の入り口当たりからだんだんに登りになっていく。 殆ど流れは見えない道を歩くけれど 時々かいま見て・・・・

そう長くない登りの後急に目の前が開けて 池が見える。

ここも砂地。 元々はおおきな池らしく 満水時の迂回路もできている。 水は美しいけれど 半分ぐらい干上がって 砂地がむき出しになっている。 この山は砂でできている?

Narutaniko

Narutaniko2

湖を右に巻いていくと 希望ヶ丘からの道とも出会う。

更に進むと また樹林に入り経塚に至る。

と言っても何かあるわけでは無い。 立て看板の説明によると この丘陵地には 箱石千軒 牟禮千軒と言って沢山のお家があったらしい。確かな文献はないのだけれど 地名には牟禮とか 箱石とか残っている。なんだか わくわくする話だよね。

でも山を見ている限り どう考えてもここに二千軒もの家建っていたとは思えないんだけれど。ただこの先 聖徳太子がたてられたと言われる箱石山雲冠寺跡があるので なんだかわくわくしてくる。同じく聖徳太子が建立された法満寺と仲が悪くいつも喧嘩してお互いの寺を焼いていたと・・・そのたびにその灰を運んでいたのでこの辺りを経塚と呼び その時に金の茶釜も一緒に埋めたとか。。。。何処だ? 掘ってみますか?

Saodou

石の広場を通り(ここは 荒れていて 何処が広場だかわからなかった)雲冠寺跡への分岐に出る。

更に山道を進むと 磨崖仏の案内がある。本来の道は左だったけれど 右に折れてみる。下る 下る 大下り あららぁ~

何処まで行くのやら?立っていられないくらい急な所へ来て諦めた。 私の膝でこの道を 無事に戻ってくる自信が無かったから。

先ほどの分岐まで戻って更に進むと鏡山頂上。 384.8メートル。三角点は無い。 更に左100メートルと書いてある。

Cyoujyou

山頂は展望が無いので 三角点を探して左へ降りてみる。

小さなアップダウンを三つほどして三角点。西の展望地と言うらしいのだけれど??? 見えない。 登山道を造ってからずいぶん時が経ったらしい。 南の山がほんの少し見えるだけ。

また戻って下山することにする。まだお昼には時間がある。

Tenboudai

下山途中に展望地が 櫓を組んで登れるようにしてあるけれど??? ここも木々が成長してしまって・・・ 先を急いで階段を下りていくと竜王宮への分岐。 近そうだったので寄ってみる。 またしても石段を登って大岩の前に出る。 これが御神体らしい。 大きすぎてカメラに入らなくて何が何だかわからない。

Ryuuguusha 今でも毎年7月10日には龍王宮祭が 行われて雨乞い踊りが奉納されるそうだ。

どんな踊りだろうね?生活と結びついたお宮だし 竜王の町を守っている山なんだね。

さてここから大下り。

反対側は割合のんびりした山歩きだったのに 何だろう?これは。

Kudari1 Konmeiwa  

こんめ岩を右に巻いて降りていくと更に 大下り。 おいおい 大丈夫か?私の足。

こんめ岩 横をすり抜けられそうだけれど 正規のルートを

こんなところ 岩好きはきっとよじ上ってみるんだろうな?

危ないよって書いてあったけれど。

Kudari3  

何処まで続くこの下り道。 あえんぼ広場に出る。あえんぼ 地元の方言でコバノミツバツツジのことらしい。両側に躑躅の木がいっぱい。 花の頃も紅葉の頃もさぞかし美しい事でしょう。

あえんぼ広場からはらはらどきどきしながら降りてくると 道は林道になり 急にお散歩気分になる。

あちこちに古墳があるらしかったけれど 一つも見られなかった。

Rindou  林道はあまり好きでは無いけれど ここは別。

木の葉の絨毯を踏みながら 山を感じながら 史跡を感じながら歩くのは嬉しい。 今では何も残っていないけれど竜王山へ 雨乞いの為に 幟旗を持ち 鐘や太鼓を鳴らしながら竜王山へ登山した人々が休憩した場所もあった。 

Ootaniike 左に紅葉の山を移した池を見ながら フェンスでぶつかった所を左に曲がると 積水の工場。

ここを越えると道路に出る。

ここからは更に左に行き 鏡の里 の歴史散策をすることにする

期待しただけに がっかりするところも多かった山だったけれど 小さな自治体でこの山を維持するのは難しいのかな? はじめの印象は 登るにつれて薄れ 山の中では歴史とマイナスイオンをいっぱい感じて  楽しんで歩けた。 お昼前に下山してしまった ちょっと歩き足りなかったかな?

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でっかいどー 百々が峰

2007-11-27 15:00:00 | インポート

百々が峰は 地元の人に大事にされている山らしい。 休憩中もひっきりなしに人が行き交う。 と言っても反対側の金華山と比べたら静かな山歩きができる。 観光客も入り交じる金華山と比べると山の大きさも違うらしい。 何たってピークが二つあるし 今日の予定には そのほかに長良川展望地 白山展望地が入っているというのだ。 更に三田洞の方へ行くコースもあるというのだから・・・・一日では無理だわ。

東峰から左の方にある登山道を降りていく。 尾根伝いに直ぐとの話。 登山道は二手に分かれていて 整備された林道の様な(地道だけれど)道と いかにも登山道らしい道。 東海自然歩道と書かれている。

Sizenhodou Kiba

東海自然歩道かぁ あの岩の壁急降下の岩古屋山もそうだった。 継鹿尾山もそうだった。 春に行った谷汲の妙法が岳もそうだった。 それらが何処でどう繋がっているのか? 確かにつながっているんだね。 東海自然歩道。

雰囲気の良い登山道は何度も寸断され 林道と出会う。 何度か登ったり降りたりして最後に林道に降りたところで見事な萩の実がぶら下がっているのを発見。 豆みたいに見えるけど あんまり実がふっくらしていないし 食べられないんだろうね?

途中で振り返ると さっきまでいた東峰が見える。 遠いなぁ。

Haginomi Hana_2

少し歩くと 殆ど展望無いけれど 西の三角点につく。そんなに魅力的な場所とは思えなかったけれど こちらが百々が峰の正式なピークだったらしい。

Higashimine Nisicyoujyou

「ご飯はぁ?」「もう少し先。反射板の所へ行こう」

この反射板は ランドマークみたいな物だね。金華山からも見えた。今朝来るときにも大垣の方から見えた。何年か前に山火事があってこの山が 燃えてしまった。 その時の被災したところがこの反射板の斜面らしい。 金華山から見たときも 不思議な感じがした。

Nagaragawatenbou

金華山を間近に見てお昼ご飯。 細かい虫がいっぱい寄ってきたし 寒かったけれど めげず 無事に食事を終える。

今日のメニューは オモニの点天の餃子 珍しい青トン味噌の韓国おにぎり ロールケーキ 私はたらこスパゲティ 果物 カステラ ジオンさん沢山の漬物と煮物 豪華なフルコースになってしまった。 これが楽しみなんだけれどね。

Lunch_2

お天気もはっきりしないので 撤収して先を急ぐ。毎度の事ながら 体が重い。 帰りピストンの予定だったけれど 林道から更に降りてアスファルトの道を歩く。 深い理由は無い。大嫌いなアスファルトだけれど 同じ道は止めようと思っただけ。

「こちらから行くと トイレが近いんです。」このアスファルト道路は 管理用に作られた物だけれど バスでも十分通れる立派な物。 みんなに解放すると大変なことになるのかしら?両親にこの紅葉見せたかったのに。

Hana2 Yukimusi

登って来るときからずっと気になっていた虫がいた。 クリオねみたいに立って羽を激しく揺すって飛んでいる。 結構すばしっこい。 小さいのでなかなかカメラに収まらない。

ここでその虫がいっぱい飛んでいた。あんまり可愛いので みんなでティンカーベルと名付けた。 後で トイレに来ていた管理のおじさんに聞いたら「この辺では雪虫って言うんだけれど この虫が沢山出ると 雪が近いって言われているよ。」

雪虫かぁ 可愛い虫だった。 そんなに寒くは無かったけれど 今年は雪が多いのかなぁ?

ぶらぶらと 紅葉の山を眺めながら歩いていく。 三田洞の尾根も見える。自動車学校も見える。私はここで免許を取ったのでは無いけれど 子どもの頃から慣れ親しんだ名前だ。

Rindou バイオトイレまで行くと東峰から降りてくる道とぶつかる。これで一周した。 トイレには今では見なくなってしまった手押しポンプがあった。 がっちゃんこ がっちゃんこ やってみる。

面白かったけれど これでは手が洗えないことに気づく。片手はポンプの柄にかかりっきりになっているからね。 どうしていたのかな?昔の人。

トイレの直ぐそばが分岐 権現山のピークを越えて行かないと駄目と思っていたら 巻き道があるとのこと。 ジオンさん おいでおいでをしているように先に立って振り返っている。

Kiri_2 Akaimi

Gongenbunki 

Makimiti_2

斜面を行く巻き道はわずかで やがて広い階段を下りていく。何処をどう歩いたか気づいたら白山展望地の小公園に来ていた。

山茶花が可愛い。 白山展望地 当然のことながら見えず。

Hakusantenbou2

Sazanka

ジオンさん更に長良川展望地まで案内したいと言ってくれたのだけれど オモニがあまり遅くなると ちょっと・・・と思ってお断りする。 近そうだからいっても良かったね。ごめんなさい。

右手に萩の滝へ降りる道がある。 この道は厳しい道では無く観光気分でも歩けそうなゆったりした道。 したに降りるに従って 紅葉のトンネルの中を入っていく。

Gezandou Gezandou2

前半は岩場いっぱいのアドベンチャーワールド。 後半は気持ちの落ち着くゆったりした山歩きだった。 

最後に萩の滝に降りて 去年の思い出とつなぎ合わせる。

あら 萩の滝は二段だったんだ。

Hagiuenotaki

Haginotaki

終点松尾池によって 鴨を見て帰る。

ここは鴨やら鴛鴦やらがいっぱいなので 沢山のカメラマンでにぎわうところだ。 昼もずいぶん過ぎたけれど やはり沢山のカメラが・・・

鴛鴦見つからなかった。

Osidoriこれは去年の物の筈。

ジオンさんが送ってくれた。

美しい。

さて里山だからと心のどこかで 気楽に考えていた山だったけっれど 岩場があったり ピーク及び 立ち寄りたい場所がいっぱいあり 面白い山だった。やっぱり案内必要だね。

せっかくのチャンスを拾い落としてしまうよ。 ジオンさんありがとう。

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岩場とスズメバチに冷や汗 百々が峰

2007-11-27 13:00:00 | 山歩き

去年両親を連れて松尾池に行った。 紅葉には早かったけれど萩の滝までの散策を思いの外喜んでくれて 今年の年賀状はその時の絵を短冊にした物をデザインして作ったぐらいだった。

萩の滝では両親の喜びとは別なことを考えていた。見上げた先に見える岩の塊を見て「あそこは登れるのかしら?」

山中間のジオンさんが「百々が峰案内したいから 是非岐阜へ」と誘ってくれたのは今年の五月頃。何度も誘ってくれるけれどなかなか時間や日にちの調整ができず。そのままになっていた。

家の都合で 山登りを諦めていたオモニから月一度ぐらいなら・・・とメールが入った時 小躍りして喜んだ。その時に百々が峰の事を思い出した。

「ジオンさんと予定が合うと良いな」

幸いというべきか 本当はジオンさん予定があったのだけれど 動かせる予定だと言って都合を付けてくれた。  百々が峰 岐阜市で一番高い山。

今にも降り出しそうな天気だったけれど決行。紅葉の時期なのであまり天気が良いと 人がいっぱいで車駐められないかも・・・と思っていたので丁度良かった。(負け惜しみじゃないよ・・・ん? ちょっとだけね)

松尾池の手前で車を降り歩き出す。 「うぉ~~」何と綺麗なのでしょう 両親と歩いた去年とは比べものにならない。湖面にも赤や黄色の山々を映し まさに綾錦。 今年はついている。

何度も何度も素敵な秋に出会う。

Matuoike2Kouyou2 左から東屋に行って山の中に入るのが近いのだけれど トイレ休憩のため右から回っていく。

合掌造りの上の道 真っ赤に染まった遊歩道を楽しみながら登ると 右に踏み跡が・・・

標識はない。枯葉がカサコソしていて良くわからないけれど 一人の男性がひょうひょうと足もとも軽く登っていったのでわかった。 ひとりじゃ 見つからなかったかもしれない。

今日のコースは岩場コースらしい。ああ あのとき見た岩場を越えていくんだ。 嬉しいと同時に不安も「大丈夫 夜叉壁登ったんだから大丈夫。 距離も短いし」

はぁ そうですか?

Tozandouiriguti 前の男性は足取り軽くすいすい登っていったけれど 思ったより直登が長かった。 急というわけでもないと思ったけれど直ぐに見失った。 おちばの乗った斜面を「結構きついな~」と登っていくと道はやがてジグザグになってきた。

それでもそのきつさにはあまり変化が無く アキレス腱がきりきり悲鳴を上げている。 止まってゆっくりのばしてみる。 そんなことを繰返していると 木々の間に展望がのぞき見られるようになって やがて岩の壁に到着。

Konoma

「水分補給しよっ!」と立ったままお茶を飲む。ふ~~生き返った。 まだまだ修行が足りないな。

さてと 次は・・・れれれ?道が無い。

「この岩の壁を登りまーす。」  「え~~っ?」 それは想像していたよりも急だった。鎖もロープも無い。あってもあまり使うこと無いからいいようなものの 問題は何処をどう登ったら何処へ行くのか見当がつかなかったこと。 間違っていたからってもどってくるのもな~

Iwaba1Iwaba4 

Iwaba5

私の左手は 引っ張ることはできるのだけれど つかんで寄せるとか 手をつくことはまだできない。

岩の角を探して手を引っかけて体を引っ張り寄せる。膝が悪いので高さがあまりあると 踏ん張ることもできない。 くそっ

オモニが押してあげるって言ったけれど「ゴメン 自分でできないと意味無いのよ がんばってみる。」と断わる。

そんなきつい登りが三カ所ぐらいあったかな? ゆっくり慎重に登っていった。がっし がっしと斜面を歩けるようになってやがて ふつうの登山道に戻る。

しかし 相変わらずアキレス腱痛いな。更に悪いことに 膝ががつんがつん音を立てるようになった。こりゃ困ったな。 立ち止まって様子を見ながら歩くとだんだん回りの山の景色がちらちらしてくる。

更に登ろうとしたとき 先に行ったジオンさんがうずくまって何か言っている。「えっ? 何かあったの? 具合悪いの?」 大変  良く聞いてみると「スズメバチが・・・気が立っていて・・・」と言っている。 近づいてみると ブンブンかちかち 行く手を弧を描いて飛び交っている。

足もとを見ると瀕死のスズメバチ一匹。 でかっ

「どうしよう?」後ずさりしながら這いだしてきたジオンさん。進むのは間違いなく危険。 スズメバチ大騒ぎしているもの。 でも先に行ったおじさんどうしたんだろ? もしあのおじさんがスズメバチを怒らせたのだとしたら 時間が経ちすぎている。

戻ろう。 当然そう決めたけれど やっとの事であの岩場をはい上がってきた私。下りのことを考えると気が重かった。何とか斜面を通って あの蜂の住みかをまけないか?

なんとなく左手に踏み跡あり。 ジオンさんが先遣隊になって 行く。 「ここって蜂よりひだりにでてる~?」「うん 大分行ってる」「じゃあ この方法で行きましょう」というわけで少しずりずり滑りながらみちなき斜面を進む。 さっきのおじさんもきっとこの方法で行ったはず。

無事 松尾池を見下ろすテラスに到着。やれやれ 冷や汗もんだったよ。 スズメバチ 怒っているの初めて見た。怖かったぁ。

TerasukaraKutinasi  テラスは良い場所だった。

紅葉に輝く山も見えたし 長良川も見える。 学生時代を懐かしく思い出せる。

あの美しい松尾池は深い碧。

ふと回りに目をやると クチナシの実がいっぱい。 登山道側の実は取られたのか無い。反対側にびっしり実を付けている。 クチナシはたくあんの色づけに使うぐらいしか知らなかったけれど サフランの代わりに使うんだって。サフラン独特の香り クチナシで出るのかな?

心残りだったけれど先を進む。 あんまりのんびりしているとジオンさん企画が 遂行できないからね。

ここからは 右の方に巻いていってやがて樹林帯を通って 頂上にひょっこり出る。 でも長かったよ。 そんなに高い山なのに 歩きごたえのある山だこと。

JyurinJyurin2 いや でかい山と言うべきだね。それはこの先思い知らされた。

紅葉は松尾池辺りが一番綺麗。今年は 沢山の紅葉に出会えた。

頂上にてジオンさんにチーズケーキをいただく。 あれれ まだお昼じゃ無いんだね?

Cyoujyou Sankakuten

Gifujyou Teatime

百々が峰には二つの三角点があるのだそうで 今までは西峰が地図上の頂上だったけれど 今は東峰(つまりここ)が登録されるようになったのだと

こちらの方が少し高いらしい。

おおきなおおきな百々が峰 休憩後は西峰に向かう。

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中山道を歩く 妻籠風俗絵巻之行列

2007-11-23 15:00:00 | 山歩き

妻籠寺下は 妻籠保存の原点とも言える場所。古い町並みが良く残されている。

繁華街?に入る前に妻籠発電所による。今日のお祭りに合わせて公開されていたから のぞいてみようということで・・・水力発電所 水が高いところから落ちる力を利用して作る電気は 思ったより 簡素な物で小さかった。こんな物で電気を作ることを思いついたって 凄いな

そしてだんだんいろんな事に思い当たった。 いただいたパンフレットには関西電力東海支社と書かれている。 れれれ? 関西電力? 木曽川なら中部電力何じゃ・・・?

で 読み進めていくと 福沢桃介の関与した発電所だったんだぁ。 岐阜県東濃地方に桃介は中電に勤めていたのだけれど さらなる電力を求めて御岳や中央アルプスの奥に入ったのだと・・・思えばなかなか魅力的な人だったんだね。 福沢諭吉の養子に入ったときのエピソード 川上貞奴とのエピソード そして事業家としての桃介

さていよいよ繁華街 

昔見た写真は タイムスリップしたような町並みだった。夜になって家々からテレビの音がしてきて初めてこれが現代なんだと思う。そんな場所だった。 今はまるでテーマパークの町並みのように賑やかで人がごった返している。 ご飯を食べるのも容易じゃ無い。

集落の入り口では藁でできたおおきな馬がお出迎え。 と思ったけれどこれは馬の小物を売っているお店のディスプレイだった。うん良くできている。

Warauma_2 妻籠の宿は正面にいつも伊勢山を見て歩く。山頂付近にある岩が気になる。どんな山なんだろう?

博物館とか本陣跡とか見るところはいっぱいあるのだけれど人がいっぱいでゆっくり見られそうになかったので 今回は見送る。また来たらいいさ

そんなわけで 町(町のっていう時点で変わってしまっている気がする)の様子を少しご覧ください。

Tumago1 Tumagohonjin

本陣跡からは あの南木曾岳が見える。

Cyoujiya ここはご飯が食べられます。

こういったお店なら好いているかもしれないと思い入ったらやっぱりいっぱい。でも二人だから直ぐに案内してもらいました。

いただいた食事は朴葉みそステーキ定食 どうして妻籠で朴葉みそ? と思ったけど そんなのかんけいね~ぇ(ちょっとテレビを見ながら書いていてつい使ってみました)

Goubamiso

Turuumemodoki この辺の人は 生活を楽しむのが得意? どのうちもディスプレーで観光客サービス。

Masugata

と言いたいけれど 宿場町全体が一人のコーディネーターに寄って作られている気もする。

枡形もしっかり残っている。

Tumago2

Tumago3

Karin

さて 大妻籠の所で話した文化文政風俗絵巻之行列だけれど 宿場町のあらゆる場所で 旅人に扮した行列に出会う。

今はもう見なくなってしまった虚無僧さん あれ? 私の子どもの頃まだ見かけたよ。いっつも「はぁるの おがわはさらさらいくよ~」と尺八を吹きながら歩いていた。

越後獅子 越中富山の薬売り なかなか面白い。

カメラの調子が悪くて 携帯に変えたので 起動が遅くてうまく写真にならない。雰囲気出ているかな?

Gyouretu Kakubeijisi

Kawaraban

Komusou KusuriuriOkosozukin

すっかり観光地になってしまった宿場町を心の片隅で嘆いてみたものの こんな催しを楽しんでいるのだから 自分でも恥ずかしい。 中山道歩いていると ○○跡と言った看板しか立っていなくて何ともつまらない思いをするのだから勝手といえば勝って

今回は面白い物が見られた。 それは結婚式 デモンストレーションかと思ったら そうでもなく 公募で選ばれたカップルだそうな。 丁度行ったときには新郎が新婦にご飯を食べさせている所だった。 へえ~ 所変われば・・・そんな儀式もあるんだ  美しい花嫁さんとはにかんだお婿さん  観光客には振る舞い酒が配られた。 木曽の梯 きついけど おいしい日本酒だった。

FurumaizakeNagamoti   

Syuugen こうして短い間だったけれど 妻籠の宿の時代絵巻を楽しんで バス停に向かう。ここから馬籠まで戻って馬籠の宿を見て帰ることにする。

バス停は大渋滞。観光バスも身動きできなくて 路線バスはその間を縫って運行。

イベント主催者としては 大成功だったね。

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中山道を歩く 馬籠峠を越えて

2007-11-23 14:00:00 | 山歩き

馬籠峠から 妻籠をめざして歩く。 馬籠の次のが妻籠だと思ったら大違い。峠の集落があったように この先下り谷 大妻籠 神明と続く。

亭主は 馬籠から妻籠へ向かうことに少々抵抗を示していた。 妻籠の方が標高が高いので 登っていくのはきついのでは無いか?という考えらしかった。 しかし峠からの大下りにそんな気持ちも吹っ飛んだようだった。それに本当のこというと 妻籠より馬籠の方が遙かに標高が高い。

延々と下りが続く。 石畳の道から地道から 中山道「木曽路はすべて山の中である」だ。

Isidatami Kudaritani

山の中から出てくると少し開けた所に出て 丁度宿と宿のほぼ真ん中 立場茶屋に出る。

下谷から移された一石栃番所跡がある。 明治2年まで木曽五木(ひのき サワラ あすなろ コウヤマキ ねずこ)の出荷規制のためにある番所。

木曽の番所は出女と 木曽五木をおもに取り締まっていたと聞いたことがある。

Nobotoke Tatebacyaya

往時は7軒あった家も今では南側を切り取って小さくなったこのいえ牧野家が残っているだけ。(人が住んでいるかどうかはわからなかったけれど 綺麗に手入れされて今でも十分住めそうだった。)

番所跡を後にして石畳と地道を繰返す。車道と中山道を何度か交差して暫く車道を歩く。右手に本来の中山道があるのだけれど 雄滝 女滝を見るために車道を歩く。

この雄滝女滝は吉川英治の「宮本武蔵」に武蔵とお通のロマンスの舞台として出てくる場所だそうな。NHKのドラマではここでは無かったような・・・・? 倉科様伝説もある。滝に金の鶏が舞い込んだんだって

滝は道からすぐ入ったところにある。元々はもっと高さもあったらしいのだけれど 洪水や蛇抜け(蛇が穴を通ると岩が崩れるの?)によって高さも滝壺も小さくなったのだとか 向かって左が雄滝 右が女滝 確かに高さは無いけれど 水量は豊かで 道行く人々を慰めていたに違いないことは想像できる。

Medaki   Odaki

中山道を歩いていると 同じ中山道でも 時代によって道がどんどん変わっていることがわかる。 今滝の上を通っている中山道も 昔は滝の下を取っていたらしい。

道は生き物だ。

追分に来て下り谷の集落に出る。 滝の伝説の主倉科様を祀った倉科祖霊社がある。

とても小さなお社。

Kurasinajinjya

倉科様 どんな人か知らない。松本城主小笠原貞慶の重臣だったそうだけれど 松本? ここから遠いでしょ?と思ったら従者30余名と一緒に地元の士豪達に全滅させられてしまった。その礼を弔うために建てられた物。

しかしそんな人と金の鶏どんな関係があるのだろう?金の鶏は 倉科様に吉をもたらしてはくれなかったのかな?

ここまで三つの神社を見たけれど どれもとても小さい。

子どもの頃 飛騨の山奥に暮らす祖父母を家に招待しようとすると 神社の秋祭りだから と断わられて不思議に思った。

今思えばわかるけれど。 ここでも4月3日にはお祭りがあるそうな。 暮しと結びついている信仰心。

石畳の道を更に降りて大妻籠の一里塚に出る。 ここから橋を渡っていよいよ大妻籠 この一里塚見たことあるような 南木曾へ行った通った道では無かったか? 妻籠が馬籠からずいぶん離れたところにあるのに驚いた覚えがある。

この集落もいなかの良い雰囲気がある集落。うだつがある家々。 出し梁作りの家。観光客を意識してか 濡れ縁にはディスプレーがお洒落。

Dasibari Dhisupurei

 

Ryokan

大妻籠の集落をこえて 神明に至る。 ここに石柱道標がある。その場所は人家の中にあり見せてもらうのも憚られるような変なところにある。 道がどんどん変わっている証拠だね。

石柱道標 飯田街道と中山道の分岐を表わす道標はその頃の名士(松井 藤原 今井)と商人達が作った物らしい。 ずいぶん栄えていたようだ。もっとも 道標がたてられたのは明治の話。江戸じゃなくて東京って書いてある。

Sekicyuudouhyou 川のせせらぎを聞きながら里の風景を楽しむ。街道から外れた農家も良い感じ。ほっとする 懐かしい。

Kanson川沿いの道を歩いているうちに 妻籠へやってきた事を感じる。

今日この道を歩こうと思ったのは 今日はちょっとした時代行列があることを知っていたから。 どこかの神社のお祭りらしいのだけれど 人が溢れてくる。

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